眠れる美女

ある日のこと、川端康成先生の前に、新人の女性編集者が挨拶にやってきました。若い綺麗な女性です。康成先生は、あのぎょろっとした大きな目を向いて、彼女を見つめます。見つめます。見つめます。一言も声をかけません。

そのまま、一時間が過ぎ、女性編集者さんはいたたまれなくなると共に、なにか失礼があったかと、ついに泣き出してしまいました。

そこでやっと康成先生が口を開きました。

「えっ、どうして泣くの?」

世界に誇る日本のノーベル賞作家、川端康成、美しい日本の風土を書くと共に、そこで育まれた美しい日本の女性の悲しみを書き続けた人でした。作品の内容と同じく、とにかく女好きで、担当編集者は若い美人な女性でないと機嫌が悪くなったそうです。件の気の毒な女性編集者さんも先生の好みにあわせ、出版社から担当につけられた人でした。

軽井沢にあった先生の別荘には、そうした美人編集者が、中国の皇帝の後宮のようにたくさん出入りしていたそうですが、気むずかしく、また大作家だった先生と四六時中顔を見合わせるのは、女性達には苦痛だったようです。お喋り上手でプレイボーイだった遠藤周作先生が「海と毒薬」を書くために、同じく軽井沢の廃病院に住んでいたときは、わざわざそんな薄気味悪いところに息抜きに遊びに行っていたほどでした。

康成先生に負けず劣らず女好きだった周作先生は、はじめこの状況を喜んでいたのですが、その女性編集者達が勝手に病院の電話を使って東京の出版社と連絡を取るもので、電話代がかさみ、最後は「もう頼むから来ないでくれ」と泣いて頼んだそうです。

康成先生の作品には、多くの魅力的な日本女性が出てきます。彼女達は一様に美しく、そして悲しみを背負っています。先生の分身である主人公の男は、彼女達を愛し、見守りますが、積極的にその苦しい境遇から救おうとはしません。なぜなら、主人公が、また先生が愛しているのは、女性の美しさとともに、その宿命的な悲しさでもあるからです。

眠れる美女は、多くの川端作品で書かれた、主人公の男性の態度、美しい女性を「見守る」が、積極的にその運命とは関わろうとしない、を究極的に推し進めた作品でした。

なんといったって、舞台は、もう不能となった老人のための売春宿。娘達はみな死んだように眠っていて、だからこそ、老人は安心してそい寝できるという、異様な場所です。主人公の江口老人は、実はまだ不能ではないのですが、この売春宿で、これまでの人生で接してきた女性達との交流を振り返ります。眠れる少女達の体温と香りに包まれながら。

なぜ川端康成先生はこんな異常な舞台設定を思いついたのでしょうか?

それは、この眠れる少女との添い寝というのが、先生が長い間、求め続けた女性との最良の距離だったからなのだと思います。先生は女が本当に好きで、ずっと見ていたいし、触れていたい。しかし、先述の泣き出した女性編集者のエピソードのように、女性のリアクションは、先生にとっては常に唐突で困惑させられるものでした。(一般常識的にどうかは置いておいて)

そこで考えたのが、絶対にリアクションが取れない、死んだように眠る少女。これが、康成先生のたどりついた理想の女性像だったのだと思います。

ただ少女が眠り続けるためには、男の側もアクションを取れなくする必要があります。だからもう不能になった老人という設定が必要だったのでしょう。作中、江口老人の友人が死にますが、これは江口老人自身も死に近いこと、そしてだからこそ眠れる少女との距離を安定して保てることを暗示しています。

が、物語の終盤、少女は死にます。友人の死から一転、安定したかに見えた少女との距離は果てしなく遠いものとなります。江口老人にとって、そして康成先生にとって理想と思えた眠れる少女と不能の老人との距離もまた成り立たないものだった。

男女は究極の意味では、決してわかり合えない。安定して保てる距離など、この世にはない。

現実の女性の迷惑おかまいなしに、理想の女性像を追い続けた康成先生がたどり着いた一つの境地が上のようなことでした。

にほんブログ村 小説ブログ 小説家志望へ
にほんブログ村

この記事へのコメント

トラックバック

URL :

三国志連載小説
花武担 花武担
プロフィール

黒澤はゆま

Author:黒澤はゆま
歴史小説家。はゆまは古語で「早馬」「報せ」の意味。小説のことや歴史のこと、また日々の徒然のことを、「報せ」ていこうと思います。三国志を舞台にした小説「花武担」連載中。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
ご意見、ご感想はこちら。必ず返信します

名前:
メール:
件名:
本文:

works
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR