クリスマスツリーと門松

日本人は季節の行事を大切にする民族です。それは四季のはっきりした日本列島に住み、種まきと収穫のタイミングを逃すことは決して許されない、米というスケジュールにうるさい作物を主食にしているためです。

同じ米を主食にしていても、常夏なので、いつ田植えを行ってもよく、いつ収穫を行ってもいいタイやカンボジアとはこの点条件が違います。ちなみに、タイやカンボジアの上空を飛行機で飛ぶと、田植え直後、刈り取り直前、刈り取り後の田んぼ、しかも日本のように形が揃っていない、がバラバラに並んでいて、緑と黄の端切れのパッチワークのようです。

しかし、それにしても、クリスマスから正月への年末の重大行事の立て込みかたは世界的に見ても異常かと思います。それが端的に表れるのは、デパートなどの商店の飾り付けが、12月25日を境に、クリスマスムードから一気に正月へと変わることでしょう。クリスマスツリーから門松へのディスプレイチェン人の鮮やかさは、日本人のせっかちさの象徴として、いつも外人の奇妙な感心の的となっています。

ただ、元々この二つの飾り付けが同根のものだということは、どれくらいの人が知っているでしょうか?

クリスマスの起源は、古代アーリア人がまだチュートンや北欧の森に住んでいた頃行っていた、冬至のお祝いにあります。もともとは、馬小屋で生まれた大工の息子の復活祭などではありませんでした。土着の聖人や行事を後付け設定で取り込むことにかけては天才的だったキリスト教によって取り込まれてしまったのでした。

古代人の想像力は豊かで、際限がありません。冬が深まり、昼は短く、夜が長くなっていくと、このままずっと日が昇らない時が来るのではないかと恐れました。だから、冬至という、一年で日が短くなる日は、夏と変わらず青々とした葉をつけるモミの木を飾って、もしくは、このモミの木で祭祀王を燃やして、太陽が再び生命力を取り戻すことを願いました。

この冬至の祈りとモミの木が西に行って、中近東で生まれたキリスト教のスパイスにからめられて出来上がったのが、クリスマスというわけです。

一方東に行ったものもありました。それはキンメリアやスキタイの草原をこえ、シルクロードを通り、羌族、周族、秦族など、中国西北角に盤踞する種族の手によって、アジアに伝えられました。そのため、中国の北部ではまだもとの習俗を残していて、正月にモミの木を飾るのだそうです。

さらにこの文化が南に派生すると、モミの木のような針葉樹林がありませんから、それとは違うもので代用しようとします。例えばブータンでは日本と同じく松を飾ります。要するに、冬でも青々と茂っているものであれば、なんでもいいのです。ただ、あまりに南、例えばタイ・カンボジアまで来ると、太陽が死に絶えるかもしれないという感覚がピンと来ないものになります。なんてたって、お前たまには休めよっていうくらい、いつも燦々と照っているわけですから。なので、この文化の派生南限は、ブータンまでのようです。

一方東限は、我が国になります。モミの木は、同じく年中青々として、生命力が充実し、しかも身近な植物、松と竹に変わることになりました。現実の冬至と新年は少し時期がずれていますが、それはクリスマスも同じ事。伝言ゲームではよくあることです。

しかし、となると、日本人は12月25日と新年という短い間に、太陽の復活を祈った古代アーリア人の行事を、二度立て続けに行っていることになります。しかも、ユーラシア大陸の西端と東端、それぞれに伝わった形で……

なんというか……忙しい民族ですね。日本人は。

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黒澤はゆま

Author:黒澤はゆま
歴史小説家。はゆまは古語で「早馬」「報せ」の意味。小説のことや歴史のこと、また日々の徒然のことを、「報せ」ていこうと思います。三国志を舞台にした小説「花武担」連載中。

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