三国時代のインフレ

日本はもう十年以上デフレが続き、その退治のため、アベノミクスなんかが叫ばれていますが、後漢末から三国初期にかけてというのはインフレが大変な時代でした。

まず、魔王董卓が長安遷都後、何を思ったか、当時広く流通していた五銖銭を改鋳し、董卓五銖銭と称される粗悪銅銭を発行します。これは各種銅銭を打ち抜き、外側を削り小型化させたもので(磨辺銭、剪輪銭)、水に浮いてしまうほど薄く軽いものでした。

ちょうどその頃、通貨の原料である銅の最大の供給基地漢中と中原を結ぶ桟道を、劉焉が焼いて遮断してしまっていたので、それも影響しているのかもしれません。いずれにせよ、この改鋳というか改悪によって、貨幣としての 信用は地に落ち、私鋳銭が広く流通することになります。

また、後漢末は、寒冷化が進み、食料基地である農村の生産力がどんどん落ちていく時代でもありました。そんななか、戦いにあけくるう各地の群雄は、自衛のために、取り立てた穀物は我が城の倉庫に溜め込もうとします。董卓は三十年以上の食料を郿城にたくわえ、公孫瓚が築いた易京城には十年分の食料がありました。もちろん、こんなことをしていたら、市中に出回る穀物の量はうんと減ってしまいます。

こんな状態の市場に、水に浮き、打刻も満足にされていない冗談のような通貨が、どっと流れ込んだらどうなるか?
 
当然、ワイマール共和国末期も真っ青のとんでもないハイパーインフレーションが発生しました。記録では、穀物の値段は1石50余万銭まで跳ね上がったとされています。この傾向は、三国時代通じて続き、魏の曹叡の代になっても、洛陽の市場での取引は物々交換でされていたくらいでした。

革新的な施策を次々に打った曹操には珍しく、こと貨幣政策に関して、彼はほとんど無策でした。曹操が力の源とした青州兵と、彼らを養う屯田制は いわば管理経済だったので、それを乱す可能性のある、盛んな商取引は邪魔だと思ったのかもしれません。彼が集中したかったのは、荒れ果てた中原の生産力をまずは回復させることだったのでしょう。それは、彼の支持基盤である、潁川の名士層の利害とも一致していました。

魏の無策をついて、通貨の面で三国に覇を唱えたのは、蜀が鋳造した直百五銖銭でした。曹操の無関心とは対照的に、劉備は貨幣政策に積極的でした。帷幄に策を めぐらすことにかけては孔明以上といわれた劉巴の献策を受け、成都制圧後、すぐに貨幣鋳造に手をつけています。それは董卓の改悪以来、はじめて中国が手にした分厚く、打刻のしっかりした、品質の高い貨幣でした。

また、先に言ったように当時最大の銅山があった漢中をめぐる戦いについても、彼にしては珍しく粘っこい戦いを見せ、曹操を追い払っています。曹操には鶏肋といわれたりしましたが、銅の最大供給基地であった漢中を手に入れることは、現在で言えば中央銀行を手に入れるのに等しいことだったのです。この土地に対するこだわりの違いに劉備と曹操の価値観の違いがすけて見えるような気がします。

どうも劉備は、旗揚げ時に資金を出した馬商人、張世平・蘇双といい、流浪時代有力なパトロンだった大富豪、麋竺・麋芳兄弟といい、商との関わりが多いように思います。伝承によると、弟分の関羽は解県で塩の密売人だったそうですし、張飛も肉屋を商っていました。また、一時兄貴分だった公孫瓚は烏丸・鮮卑などの異民族との交易で大利を得、名士を軽んじ、代わりに裕福な商人を重用した人物でした。

そういったことから議論を展開というか飛躍させると、名士層の支持のなかったはずの劉備の情報通ぶりや、その不死鳥のような復活ぶりは、商人層の厚い支持のおかげだったのかもしれません。だからこそ、安定した地盤を得たとき、劉備が最初にやったのは、それまで負けても負けても援助し続けてくれた商人達に対する恩返し、安定した通貨の発行だったのでしょう。

良質な銅山を領土に持つ呉も独自の通貨を発行したりしましたが、三国時代通じて、最も流通した通貨は蜀の直百五銖銭でした。今でも、魏・呉の領土だった場所で、三国時代の墓を発掘すると、蜀の直百五銖銭が見つかることが多いのだそうです。魏・呉と比べ、領土的には一番小さかった蜀ですが、こと交易、商売においては、その存在感はかなり大きなものでした。

さらに小説家的に発想を飛躍すると、曹操の晩年、彼の手元には劉備の発行した直百五銖銭があったかもしれません。荒廃した中原の地味を回復させることに必死で、手をつけられなかった信頼ある通貨の発行を、かつての弟分がやってのけたことを、曹操はどう思ったでしょう。

小説家的妄想を許して貰えるのなら、直百五銖銭を手の平にのせながら、彼はこう言ったのだと思います。

「やはり君と余だけだったな」

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黒澤はゆま

Author:黒澤はゆま
歴史小説家。はゆまは古語で「早馬」「報せ」の意味。小説のことや歴史のこと、また日々の徒然のことを、「報せ」ていこうと思います。三国志を舞台にした小説「花武担」連載中。

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