「怒りの葡萄」「キャピタリズム」

「怒りの葡萄」を二週間くらいかけて読了した後、マイケルムーアの「キャピタリズム」を見ました。「怒りの葡萄」はちょっと古い翻訳だったので、読みにくいところがあったものの-レジが自動精算機って書かれてた-作品自体は面白く読めました。

「怒りの葡萄」は1930年代のアメリカを舞台に銀行や不動産会社に生まれた土地を追われる人々の悲しみと怒りを描いた小説で、「キャピタリズム」は2000年代のアメリカを舞台に銀行や不動産会社に生まれた土地を追われる人々の悲しみと怒りを描いたドキュメント映画です。

あれっ、同じだ。

「怒りの葡萄」から70年がたち、第二次世界大戦が起こり、長い冷戦の果て、ベルリンの壁が崩れ、ソ連が崩壊しても、アメリカ型の資本主義の根幹の問題は、なに一つ解決せず、いやむしろ共産主義陣営の自滅により、ますますひどくなっていくようです。

世界最強の経済大国であるはずのアメリカでなぜこのようなこと、誠実で実直で働き者の人達が、土地を追われ、今日食うものにも事欠くようなことが起こるのでしょうか?

少し話が変わるようですが、明治時代、福沢諭吉がpolitical economy という言葉を、日本語に訳しようとしたとき、候補は二つあったそうです。一つは今使われている「経済」もう一つは「理財」

economyは、1)資源・資本を投入して生産された財を、2)需要に応じて効率的に供給・分配する仕組みです。なので、理財でも決して間違いではないのですが、諭吉は理という文字の持つ冷たい響きと、財という字面の生々しさが嫌ったようです。また、理財では1)の営みにだけフォーカスされ、2)がおろそかにされる可能性もあります。それで、最終的に選択されたのは「経済」の方でした。

こうして、本来、冷徹で効率的な供給調整システムであるはずの、economyは世を経(たす)け民を済(すく)うためのものとなりました。ある文明圏の言葉が、別の文明圏の言葉に移植される際に誤訳は必ず生じるものですが、そのなかで最良の誤訳だったといえるでしょう。

よく他国の経済状況を伝えるニュースで、企業最高益連発、経済絶好調という記事と、経済不調で国民は借金地獄という記事が交互に載り、どっちやねん?と首をひねりたくなることがありますが、本来こう伝えるべきだったのですね。企業最高益連発、理財絶好調。でも、分配がうまくいかず経済は絶不調で、国民は借金地獄。

この文脈でいくと、アメリカも本来、世界最強の経済大国と表現すべきでなく、世界最強の理財大国と表現すべきなのかもしれません。

ちなみに狩猟採集を主とする原始的な部族では、理財は敏捷で勇敢な男が獲物を獲ってくる営みに比定されますが、優秀なハンターが獲物を我がものにすることは決してないそうです。自分の腕を誇ることもありません。老人、女、子供たちなどの足弱の輪のなかに、どかっと獲物を置くと、あとは隅っこに引っ込んで、恥ずかしそうにしているのが、常なのだそうです。

economyが「理財」を越え、「経済」に至るには、強者の謙譲が絶対必要条件なのでしょうが、そのモデルは、はにかみながら、自分の獲物が足弱達に分配されるのを見守る、原始部族の狩人にあるのかなと、はゆまは思ったりしました。銀行と不動産会社に爪の垢を飲ませてやりたいものですね。

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黒澤はゆま

Author:黒澤はゆま
歴史小説家。はゆまは古語で「早馬」「報せ」の意味。小説のことや歴史のこと、また日々の徒然のことを、「報せ」ていこうと思います。三国志を舞台にした小説「花武担」連載中。

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