顓頊暦

古今東西の歴史を調べていると、現在日本の風習との奇妙な符号に気づき、そこから新たな発見を導くことがある。

例えば、項羽と劉邦の時代の小説を書くために、顓頊暦について調べていたときのこと。
顓頊暦は、秦から前漢の元封六年(紀元前百五年)まで使われていた太陰太陽暦の暦法なのだが、年の初めが一月ではなく十月になっていた。

そのため、月と年号の関係が分かりにくく、歴史考証の際にだいぶてこずった。これは自分達のような後代の作家だけでなく、史記の作者司馬遷も苦しんでいたようで、その苦闘ぶりは「『史記』二千年の虚実」に詳しい。

素直に一月を年の初めにすればいいじゃんと、ぶつくさ文句を言っていたのだが、ふと気がついた。

あれ、そういえば、今の日本でも、会社や学校の年度では1月でなく四月を年の初めにしているな。

これは明治時代に西洋の太陽暦を導入しながら、今まで使っていた太陰暦の季節感を残そうとしたためで、いわば旧暦の名残だ。

ということはだ、顓頊歴の月と年号の開始のずれもまた、新旧二つの暦の融合の所産なのに違いない。そもそも秦は、周の孝王に仕えていた非子が馬の生産で功績を挙げ、嬴の姓を賜ったのが国の起こり。元々は牧畜を生業とする遊牧民族だった。彼らは周が西進するのを追うように、西に遷都し続け、その度に牧畜から農業へ生業の度合いを濃くしていった。そして、ど こかのタイミングで完全に農業民となったのだが、そのときに農耕に便利な顓頊暦に改暦したのだろう。

ただ、遊牧民だったときの季節感も忘れることが出来なかった。日本人が桜ほころぶ頃に新しい年の息吹を感じるように、古代秦人は秋草で馬が肥え太り、冬支度に気を引き締める頃、新年の新鮮さを感じ、その感覚を捨てることが出来なかった。それで、十月が年のはじめとなる奇妙な暦が出来上がった、と思うのである。

松本清張さんは、「本は横に読め」といったというが、こんな風に歴史書を読んで見つけた事項が、別の事項と時空を超えて結びつき、物事の本質や古代人の心情が、すとっと胸の腑に落ちたときは、なんともいえない快感があります。この感覚が忘れられなくて、きっとはゆまは毎日歴史書を読み、小説を書いているのでしょうね。

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黒澤はゆま

Author:黒澤はゆま
歴史小説家。はゆまは古語で「早馬」「報せ」の意味。小説のことや歴史のこと、また日々の徒然のことを、「報せ」ていこうと思います。三国志を舞台にした小説「花武担」連載中。

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