花武担 第五章 友というもの(五)

「一体、何があったというんじゃ!?」

屋敷に、葬列の群れのような、悲しみに包まれた一団が着いた時、簡雍は思わず怒鳴り声をあげた。

 張嶷は、鶏冠花の美しい着物を泥まみれにして泣きじゃくっており、顔を赤黒く腫らした柳隠は荷車に載せられている。その荷車を、見知らぬタイ族の少年が引いていた。彼は、簡雍と目を合わせると、まるで自分がしでかしたことのように申し訳なさそうに笑った。

「太学の近くで、たちの悪い連中から乱暴されていたの」

 張嶷の手を引いてやりつつ、蘭が説明した。

 姜維と羅憲も血相を変えて飛び出してくる。二人は、柳隠と張嶷が持ってくるはずの、林檎と蜜柑を今か今かと待ち構えていたのだ。羅憲は、荷車に載せられた柳隠を抱きかかえると、正堂に運び、李婆がひいた布団の上に寝かせた。

 簡雍が、吸飲みから水を飲ませようとする。

しかし、傷に沁みるのか柳隠はすぐ吐き出した。

「隠、この指を見ろ」

 簡雍は、人差し指を立てると、それを柳隠の顔に近づけたり、遠ざけたりした。瞳孔に異常がないかジッと見る。戦場上りであるため、怪我人を手当てするのは慣れていた。

「吐き気はあるか?」

 柳隠は、苦しそうだったが、首を振った。

「どうやら、臓腑と骨まではやられてないようじゃ」

 簡雍は、ひとまず安堵の溜息をついた。念のため、李翁を医者の姚子牙のもとに使いにやった。そして、羊の胃袋で出来た水筒に水を詰めた。氷嚢代わりである。

「誰にやられた?」

 羅憲は、簡雍から水筒を受け取ると、柳隠の顔にあてがい、叫ぶように言った。眉の間が、狭まっている。珍しく怒りを露にしていた。

 柳隠は、黙っている。もし、犯人を言えば、羅憲と姜維の気性だ。きっと復讐に駆け出すだろう。友達に、そんなことはさせたくなかった。

 だんまりを決め込んでいる柳隠に、羅憲が苛立ちだした。

「はやく言えって」

 ついには怒声をあげ、床に拳を叩きつけた。

 すると、それまでだまって様子を見守っていた、姜維が口を開いた。

「休然、僕達と君は友達だ。だから、嘘は言わないでくれ」

低いささやくような声である。

「これから、質問をする。答えたくない質問は、答えないでいい。だが、嘘は言わないでくれ。いいね」

 柳隠は、頷いた。

「やったのは、韓黄か?」

姜維は、ある太学の諸生の名前を言った。胡瓜が服を着て座っているようなひ弱な人間である。柳隠は、首を振った。

「では、張育か?」

また別の生徒の名前を言った。暇さえあれば、背中を丸めて書写ばかりしている顔色の悪い男で、到底こんな悪さをする人間ではない。柳隠は、また首を振る。

 姜維は、この調子で、次々に太学の生徒の名前を言っていった。皆、どちらかと言えば、大人しめで、こんな無法をする人間ではない。柳隠は、首を振り続ける。羅憲は、怪訝そうな顔をして姜維を見た。

「では、広漢の周隠か?」

犯人の一人の名前を姜維が言った。それまで、リズム良く振られていた柳隠の首が止まった。

「杜育」「来去疾」「李晋」

姜維が、犯人の名前を言っていく。柳隠は、うなずかなかったが、首も振らなかった。

 実は、姜維は最初から犯人の目星はついていた。柳隠の優しい気性から、誰か?という質問では絶対に答えないだろうと思い、このような回りくどい質問をしたのだ。羅憲は、姜維の機知に舌を巻いた。

「ありがとう、休然。君は、嘘も言ってないし、告げ口もしていない。僕が勝手に、犯人を、この四人とするね」

 姜維は、柳隠に優しげに言った。

「でも、一体どうしたんだ?君は、今まであいつ等に逆らわなかったじゃないか?どうして、こんな激しい喧嘩を?」

 羅憲が聞いた。これまで、いじめっ子達に何をされても、柳隠は逆らおうとしなかった。聞けば、柳隠は、いじめっ子達の一人に、磚を叩きつけ、噛み付いたらしい。羅憲が、知っている柳隠からは、考えられない行動だった。

「僕を守ってくれたんだ」

 姜維と羅憲が振り向くと、張嶷が、タイ族の少年と蘭に付き添われて、正堂の入り口に立っていた。大きな目から、止め処なく、涙が零れ落ちている。

「何をされそうになった?」

 姜維が、白皙の顔を怒りで蒼白にして聞いた。しかし、張嶷は、いよいよ激しく泣き出すばかりで、詳しいことは何も言わない。小さな人形のような肩が、震えていた。

 埒があかないと姜維と羅憲が、張嶷に詰め寄って、質問を重ねようとした。

「ちょっと、阿嶷は、何も悪いことしてないじゃない。被害者よ!詰問するようなことしないでよ。とにかく嫌なことされそうになったのよ」

 蘭が、張嶷を抱きしめながら、二人を睨みつけた。

「士(おとこ)に、被害者などいないがな」

黙って母屋の奥の上座で、少年達の様子を見ていた簡雍が口を開いた。

「あるのは、力の強弱だけじゃ」

 蘭が、今度は、簡雍を睨みつけた。老師とはいえ、暴言である。許せない。

「それじゃ、弱いものは、踏みつけにされっぱなしじゃない」

「そうじゃよ。だから、優しい人間には、責任がある。何者よりも強くならなくてはならない」

 簡雍は、話を続ける。蘭がハッとしたほど、その表情は、一切の感情移入を許さない厳しさに満ちていた。

「隠は、すべきことをまったき形でやった。力及ばなかったかもしれんが、弱いことは、やるべきことをやらない理由にはならん。わしは、こいつを見直したよ」

 そして、姜維と羅憲を見る。

「わしは、お前達全員を見どころのある若者と思っている。お前達を、先帝の御前にならべたとしても、恥ずかしくないようにするのが、わしの使命じゃ。こういう時、かつての先帝麾下の侠(おのこ)達なら、どうしたか、お前たちならもう分かるはずじゃ。やるべきことをやれ」

 かつての劉備軍は、何よりも侠的紐帯によって結ばれていた。それは、ライバルの曹操軍が、法規や機構、名士層の利害関係で結ばれていたのと対照的だった。

 今、友達が、辱められ、傷つけられた。その恥を雪ぎ、仇を討たなくてはならない。侠(おのこ)の証を打ち立てるために。

 羅憲は、柳隠の側まで歩くと、彼の手を握った。

「自分のことじゃないから。伯岐がヒドイ目にあいそうになったから、君は怒ったんだね」

 羅憲の胸を、この小さな友人に対する清らかな感動が満たしていた。そして、同時に卑怯者達に対する怒りが、止め処なくこみあげてくる。

「必ず、仇は討ってやるからな」

 羅憲が、そう言うと、音もなく柳隠の頬を涙が伝った。

 姜維は、もう厩から自分の馬を引き出している。

「あいつら、太学に入ったって言ってたな」

 姜維は、愛馬の雪山にまたがった。袴(ズボン)に、スラリとした足を包み、帯鉤(バックル)は獅子の金飾り。上着は、腰までの緋の襟飾りの素衣(白い衣装)。北冥の氷山を思わせる美貌は、怒りでいよいよ研ぎ澄まされ、その漆黒の瞳の奥で、触れるもの全てを焼き尽くす青い炎が、静かに、音もなく燃え上がっていた。

 羅憲も、自分の馬を引き出し、その大柄な身体を姜維の隣に並べた。

 こちらは、藍色のゆったりした裳(はかま)を穿き、上着は、膝まである橙の菱紋があしらわれた緑の羽織。いつもは、美味しそうな笑みを浮かべる陽気な顔が、今は怒りで真っ赤になっている。

 二人は、突撃前の騎都尉(騎兵隊長)のような緊張感を漂わせながら、門に向っていく。

 すると、どうしたことか、姜維の手元から鞭が落ちた。普段なら、こういうヘマはしない少年だが、今日は余程怒っているのだろう。手元が狂った。

 姜維の鞭は、珊瑚の掴み手に、鯨の髭の芯という高価なものだ。

 羅憲が、拾うよう姜維に注意した。姜維の馬も驕って進もうとしない。だが、姜維は、何百銭もするであろうその落ちた鞭には一瞥もくれなかった。

 彼の戦いの前の逸る気持ちと、高貴な誇り高さが、地に落ちたものを拾うなどという卑しい真似を許さなかった。

 その代わり、鞍から伸び上がって、側にあった楊柳の枝をポキリと折った。そして、ハァッと一声、凄まじい掛け声をあげると、その柳の枝を鞭に、稲妻のような速さで、太学に続く道に飛び出した。羅憲も、弾丸のような勢いで、それに続く。

 蘭が、姜維の鞭を拾い上げ、簡雍邸の門を出て、二人の背中を探したときには、すでに若き騎士は、市橋も超え、流星の尾のような砂煙をあげて、小さな二つの点になっていた。

→ 花武担 第五章 友というもの(六)

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プロフィール

黒澤はゆま

Author:黒澤はゆま
歴史小説家。はゆまは古語で「早馬」「報せ」の意味。小説のことや歴史のこと、また日々の徒然のことを、「報せ」ていこうと思います。三国志を舞台にした小説「花武担」連載中。

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