花武担 第五章 友というもの(二)

 後漢代から、重陽節には「登高」といって家族や友人と小高い丘や山に登り、開花時期にあたる菊を観賞して過ごすのが慣わしとなっていた。

「うん、いいよ」

 柳隠は、快諾した。

「よかった。どうやって過ごそうかって令則(羅憲)と話してたんだ」

 賑やかな日だけに、家族から離れて異郷に居るものには、よりいっそう孤独が染みる日でもある。

「一人ぼっちだったら、どうしようかと思ってたの」

「老師もついてくるかもね。菊酒を飲むために」

 柳隠が、言った。

「節句じゃなくったって飲むのにね」

 張嶷も話しをあわせると、二人は、顔を見合わせコロコロと笑った。

 この頃には柳隠の憂鬱は、すっかり消え去ってしまっていた。

 いつしか二人は、孔明邸はじめ、高級官僚が多く住む場所を抜け、太学の近くまで来ていた。後は、太学の壁を右手に通り過ぎ、花江にかかる市橋を渡ったら、簡雍の家まで、もうすぐである。

「すごいお屋敷ばっかりだったね」

「宮城の近くで、出仕しやすい場所だから、偉い方達は、皆あそこに住むんだよ」

「でも、何だか、ひっそりとしてたよ」

「そりゃ、北伐のために漢中に出払ってる人が多いからだよ。右将軍の家も、僕のほかは、あまり人がいなかったでしょ」

「北伐かぁ」

 孔明の内治のよろしきもあって、成都には戦時中という雰囲気は、あまり無い。そのため、今の張嶷には、北伐と言われても、遠くで聞こえる太鼓のようにしか聞こえなかった。

 と、柳隠が急に立ち止まった。

 張嶷が、いぶかしげに柳隠を見ると、顔が青くなって、固まったように前方を見ている。視線を辿ってみると、薄ら笑いを浮かべながら、シャナリシャナリと近づいてくる四人組の若者がいた。皆、錦の豪奢な服を着て、甘ったるい香水の匂いをプンプンと漂わせている。張嶷たちより、一、二歳ほど、年上のようである。

「おい、隠じゃねぇか」

 若者の一人が、殊更横柄に、呼びかけてきた。

「ちょっと、こっち来いよ」

 そういうと、柳隠の首に乱暴に腕を回してきた。そのやり方は、ひどく権高で、ヒヤッとする残酷さが感じられた。

 太学で柳隠を苛めている連中らしく、腕を回された柳隠の首が雨に濡れた稲穂のように垂れている。

「何だ、これ?汚い蜜柑と林檎だな」

 別の一人が、柳隠の抱えている袋の中をのぞいて、馬鹿にしたように笑った。他の三人も、それに合わせて、ゲタゲタと笑っている。

 柳隠は、唇をかみ締めていた。四人の若者は、巴西の周氏、蜀郡の杜氏、義陽の来氏、梓潼の李氏といった名族中の名族の子供達である。皆栄養の行届いた血色の良い顔をして、大柄である。かなうわけがなかった。

「ちょっと食べてみようぜ」

 四人は、柳隠の袋を取り上げると、てんでに手を突っ込み、蜜柑や林檎を取り出しだした。

「ちょっと、やめろよ」

 柳隠が、恐々抵抗しようとした。すると、いじめっ子の一人が、口の端だけ曲げ、ひどく意地悪そうな顔をしながら、耳の後ろに手を当てた。

「あっ、何だって?今何て言った?」

「それは、簡老師に渡す束脩なんだ。だから、触らないで」柳隠の声は震えている。

 束脩という言葉を聴くと、四人は、爆ぜたように激しく笑い出した。

「これが束脩だって!?」

「俺は、豚に餌をやりに行くのかと思ったぜ」

 口々に好き勝手なことを言う。

 それでも、柳隠が何か言い返そうとすると、若者の中で、一番体が大きな者が、柳隠を突き飛ばし、太学の壁に押し付けた。その若者は、体も顔も大きいが、目だけは線で描いたように細く、まなじりが吊り上がっている。いかにも、酷薄そうな人相だった。

「黙ってろ!馬鹿が」

 彼は、そう言うと、柳隠の横の壁を、どんと殴った。その拳と殴った時の音の大きさに、柳隠は震え上がった。他のものは、その様子をニヤニヤ見ながら、取り上げた蜜柑や林檎をかじっていた。

「やめてあげなよ」

 黙って、様子を見ていた張嶷が、口を開いた。

 若者達が、何だ?と張嶷の方を向いた。張嶷は、この日、鶏冠花の模様が入った着物を着、長い袖に薫陸香の香袋を入れていた。鶏冠花の鮮烈な紅色と、薫陸香のあえかな匂いで、人の形をした燃え上がる花束のようだった。

 いじめっ子達は、このただただ美しい存在を、どう解釈したら良いか分からず、少し気圧されたようになった。

 張嶷は、薔薇色の頬に、さらに血を登らせて、腹を立てていた。何て人達だろう。名門の子供らしいが、姜維のような高貴な責任感も、羅憲のような大らかな優しさも彼等からは感じられ無い。感じられるのは、甘やかされた思いあがりと、無慈悲な傲慢さだけである。

 スタスタと、壁に押し付けられたままの柳隠の側に歩いていくと、彼の手を取った。

「こんな人達放っておいて、さっさっと行こう」

束脩の入った袋を、引っ手繰るようにいじめっ子から奪い返すと、さっさと歩き去ろうとした。

「おい、ちょっと待てよ」

 例の、一番大柄で酷薄な顔をした少年が呼び止めた。

「誰か知らんが、お前には関係ないだろうが」

「関係あるさ。柳隠とは友達だもの」張嶷は言い返した。「君たちみたいな乱暴な子と遊ぶ気はないの」

 このっ、と大柄な少年は怒鳴ろうとした。が、その前に他のいじめっ子が、大柄な少年に何か耳打ちした。耳打ちする間ずっと、張嶷の方を見て、何やらにちゃにちゃとした、嫌な笑いを浮かべている。

 大柄な少年は、聞き終わると、にたりと笑った。笑ったというより、ぐしゃりと顔の輪郭や部品が崩れたような、何とも陰険で陰惨な表情を取った。

「お前、簡雍老師の所の腐貞だろう」

 大柄な少年は、あざけるように言った。

 貞とは、宦官の中でも、性徴が始まる前に去勢されたもののことを言う。腐をそれにつけると、宦官に対する侮蔑語になった。去勢された後は、しばらく排尿の調節が聞かなくなり、召し物を汚すことが多々あるため、宦官は罵られる時は腐と呼ばれていたのだ。

 張嶷は、身体的なことを言われるのを非道く嫌う子で、回りに居る人間も、張嶷の身体のことについては成るべく触れないようにしていた。成都に来てから、これほど無造作に、そして不注意に、傷口に触れられるのは初めてだった。

 張嶷は、怒りと恥ずかしさで、頭がボゥッとなった。

 いじめっ子たちは、もう毒気をすっかり取り戻し、何がおかしいのか、またヒヤヒヤと笑い始めた。

「あの老革様も、耄碌したもんだ。色子遊びかね」

「隠も情けねぇな。五体満足でもない、男ですらない人間から助けてもらう気かよ」

 老革とは、老いぼれの兵隊といった意味である。簡雍のような、創業者劉備の友人で、蜀建国のために命を的に働いた人間でも、名士層の間では、裏でこのように言われる扱いでしかなかった。

→ 花武担 第五章 友というもの(三)

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黒澤はゆま

Author:黒澤はゆま
歴史小説家。はゆまは古語で「早馬」「報せ」の意味。小説のことや歴史のこと、また日々の徒然のことを、「報せ」ていこうと思います。三国志を舞台にした小説「花武担」連載中。

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