花武担 第五章 友というもの(一)

 柳隠は、道を歩きながら、ふっとためいきをついた。

「どうしたの?ためいきなんかついて」

 かたわらを歩く張嶷が、いぶかしげに聞いてくる。

 くすぶっているような夏の埋火も去り、ようやく四川の足の遅い秋も深まりだしていた。二人は、ハンノキの落葉を踏みながら、簡雍の家へ向っている。脇には蜜柑や林檎が入った袋を抱えていた。

「いや、何でも無い」

 柳隠は、そう答えると、袋を担ぎ直した。そして、ソッと張嶷の横顔を盗み見る。

 柳隠のような思春期の少年が、こうあれかしと願う少女の容貌(かたち)が、そこにあった。

 絞りたての牛乳に薔薇の滴を浮かべたような肌、陽にあたると虹色に輝く碧の黒髪、大きな目は目じりが少しだけツンと尖り、その瞳は太陽を閉じ込めた黒曜石。あどけない顔立ちの中、唇だけは官能的で、良く実った果実のよう。

 柳隠が、しばし見とれていると、張嶷が視線に気付いて、パッとこちらを向いた。

「僕の顔、何かついてる?」

 柳隠は、顔を赤らめ、視線を逸らした。

「ううん、何でも無い」

 そうごまかしつつ柳隠は憂鬱だった。その憂鬱さは、こうして張嶷と並んで歩いていると、ますます深まってくる。理由は、はっきりしていた。

 棒組になって遊んでいる四人の中で、自分だけ取り得が無いのだ。

 張嶷の花のような可愛らしさも、姜維の美貌と勁さも、羅憲の朗らかさと膂力も、自分にはいずれも無かった。おまけに家柄も大したことが無い。

 姜維も羅憲も張嶷も、自分に対して十分な会釈はしてくれる。しかし、それでも三人とも余りに衆に秀でて目立つから、羽を広げたクジャクの群れに、一人濡れ雀が交じっているようで、時々地味な自分が惨めになるのだ。、しかも、そんな思いを感じることが、最近、頻繁になってきている。

 一方、張嶷は柳隠の憂い顔を、濃い睫毛に飾られた目をぱちくりさせて、不思議そうに見つめていた。

 が、急にニンマリしたかと思うと、柳隠に自分の身を寄せ、肩と肩をトントンとぶつけた。彼は、聞いて欲しいことがあるときは、いつもこの愛らしい仕草をした。

「ねぇ、さっきから思ってたんだけど、この袋の蜜柑、一個べちゃっていい?」

「えぇっ」

 柳隠は、返事に困った。

 この果物は、柳隠の両親が、お世話になっている簡雍へと、遅ればせながら、束脩(入門料)代わりに送ってくれたものである。量が多いということで、張嶷が運ぶのを手伝いに柳隠の住いまで来てくれたのだ。今、二人は、それを簡雍の家へ持っていく最中である。

 実は、これも憂鬱の原因の一つであった。束脩に果物というのは、あまりにも庶民じみているだろう。羅憲の親は、束脩として広漢の漆園で作られた豪奢な漆器を送ったというし、姜維は、天水の実家から、西域の素晴らしい海堂花文の羅紗を十匹送らせたという。

 それに比べて、自分の束脩は泥の付いた蜜柑や林檎である。安価なものではないが、結局の所、ちょっと高価な日常品である。それを、どう引き伸ばしたって、広漢の漆器や、西域の羅紗にはたどり着かないだろう。

 やはり、住む世界が違うのか。

 そうした柳隠の気鬱さに気付いているのかいないのか、張嶷は、袋をゴソゴソやって、もう蜜柑を一つ取り出してしまった。そして、悪戯っぽい微笑みを浮かべながら、その太陽色をした皮に爪を入れた。

 シュッと切ないほどの香気が立った。張嶷は、フフッと笑うと、柳隠を見つめながら舌を出した。

「爪を立てちゃった。もう、これは食べなきゃね」

張嶷は、唖然とする柳隠を横目に、クルクルと蜜柑の皮をむきだした。白いお菓子のような手が器用に動く。

 むき終わると、皮を、側で繋がれていた水牛の鼻先に放った。水牛は、しばらく眠そうな目で、皮の匂いをかいでいたが、やがて長い舌を出して皮を巻き込み、ペロリと飲み込んだ。

 張嶷は、水牛が皮を食べたのを見ると、柳隠の方を向き、小首を捻って、笑いかけた。

 そして、蜜柑の房を一つばらすと、自分の小さな口に入れた。よほど美味しいらしく、噛むごとに身悶えするような仕草をする。

 房を六個程食べてしまった所で、張嶷が、柳隠の方を向いた。何やら口をパクパクやっている。口を開くたびに、川底で輝く白石のような歯が覘いた。どうやら、口を開けろということらしい。

 柳隠が口を開けてやると、張嶷は、蜜柑の房を放り込んだ。柳隠も、やむを得ず噛んだ。黄玉(トパァズ)色の香りが口に広がる。切ないほど甘く美味い。

 最後の房を柳隠の口に放り込むと、張嶷は、その大きな黒い瞳に柳隠の顔が、すっかり写るくらい顔を近づけた。悪戯っぽい笑みを浮かべている。

「蜜柑二人で食べちゃったね。ツマミ食いしたのは、僕と休然。二人は、共犯だよ」

「伯岐が、勝手にむいて、むりやり食べさせたんじゃないか」

柳隠は抗議した。

 しかし、張嶷は、キラキラ笑うばかりで相手しない。

 ひとしきり笑った後、

「でも、蜜柑ホントに美味しかったと思わない?老師も、きっと喜ぶよ」

と言った。

「そうかな?」

「絶対そう」

張嶷は答えた。

「自信持って良いと思うよ。素敵な束脩だね」

 ふんわりと微笑んだ。生まれてから一度も嫌な事に会ったことのない少女のような可憐な微笑みだった。

 その微笑みによって、さっきまで心に引っかかっていたものが、氷が溶けるように消え去っていくのを柳隠は感じた。

「それにしても、休然の家って大きいね」

「あれは、僕の家じゃないよ。右将軍の家さ」

右将軍とは、蜀の最高権力者、諸葛亮孔明のことである。先の北伐の失敗により、自ら降格を申し出たため、現在の位階は丞相ではなく、右将軍になっている。

「あんな宮城の近くの良い場所に、家を構えられるわけないじゃないか。僕の家族の家は、別の所にあるよ。太学に通うには遠いから、住まわせてもらってるんだ」

「えっ、丞相の家だったの?」

張嶷が目を丸くした。果物を受け取りに行ったとき入った孔明宅を、ずっと柳隠の家と思っていたらしい。
 柳隠は、吹き出した。
「閣楼も隅櫓も望楼まである御屋敷だよ。僕の家のはずがないよ。それと丞相じゃなくて、右将軍」

「孔明様は、丞相と呼んだほうが、おさまりが良いよ。じゃぁ、休然の本当の家は、どこにあるの?」

「城の中にはない。外壁の外、濯錦橋を東に渡って、丘を一つか二つ越えた所にあるよ」

「どんな所?」

「どんなって、普通の農家だよ。桑林があって、田んぼがあって、交替で菜の花を植えたり、菊を植えたり、蕎麦を植えたりする畑があって。全部が僕の家のものじゃなくて、右将軍からお借りしている土地もあるけどね」

太学では諸葛家の奴僕と陰口を叩かれることもあるが、柳隠の家はれっきとした自作農で、小なりとはいえ宗族も百を超える。

「菊畑があるの?」

張嶷の顔がパッと輝いた。

「菊畑があるのなら、重陽節の時、柳隠の家に遊びに行ってもいい?伯約も、令則も、蘭も一緒に」

 重陽節とは、旧暦九月九日晩秋の節句のことである。古典「易経」では奇数は陽の数とされる。陽数の極である九が重なる日であることから、この日は「重陽」と呼ばれていた。陽の気が強すぎることから、この日は不吉とされ、それを払う行事として節句が行なわれる。

→ 花武担 第五章 友というもの(二)

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プロフィール

黒澤はゆま

Author:黒澤はゆま
歴史小説家。はゆまは古語で「早馬」「報せ」の意味。小説のことや歴史のこと、また日々の徒然のことを、「報せ」ていこうと思います。三国志を舞台にした小説「花武担」連載中。

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