花武担 第四章 四聖(五)

「好きになれそう?」

 張嶷は、三人を市橋まで送りしな、振り返ってそう聞いた。

 もう時刻は夕方を過ぎていて、このころになると、娼妓たちが、蝶のようにふわりふわりと、溺街に姿をあらわしはじめる。まだ夏のほてりは路上から去っていない。皆胸をくつろげ、風を入れたりして、少年には眩しすぎるような白い肌を襦袢の襟から見せている。

 通りかかった妓楼の前の榻には、二人の妓女が腰をかけ、飯を食べていた。饂飩に麻辣をかけたものをすすり、丸のままの胡瓜を黒味噌を盛ったものに突き刺してはかじっている。幕が開く前の舞台裏の役者のように殺気立っていて、その姿は飼い葉に鼻面を突っ込む馬のようにあさましく、生き物生き物していた。

「阿嶷」

 そのうちの一人が箸を止め張嶷を呼んだ。

「待っててね」

 張嶷は、質問の答えは聞かぬままに、三人を道の真ん中に置いて、妓女達の方へ走っていった。

 若作りはしているが、笑うときに出来る目元の小皺で、三十近いと思える年増の妓女は、たもとから真菰の葉で包んだカタミズアメを取り出すと張嶷に渡した。

「謝謝」

 張嶷は、膝をかがめて、弾むような拱手の礼を捧げた。

「老将軍に最近つれないねって言っておいて」

 もう一人はまだ二十にも届かぬような若い妓女で、ふくふくと肉置きが豊かで、蜀錦の深衣のうえからでも、胸や尻のありどころが確かだった。彼女は、語尾のしつこく粘る甘ったるい声でそう言った。

 二人とも客である簡雍を通じて、張嶷とは顔なじみで、別に乱れもない彼の襟や、帯をつくろってやったりと、むやみに構いたがって、なかなか離さない。

 その間、姜維は妓女達などいないように遠心的な目を行く手の方に向け、柳隠は真っ赤になってうつむき、羅憲はというと、「俺にも飴をくれてもいいもんじゃないか」と年にも似合わず果敢に妓女たちをからかおうとしてうるさがられ、蹴る真似をされたりしている。

 やがて、妓女たちを振り切り、張嶷が三人の元に戻ってきた。

「お待たせ」

 少年たちは、もらったカタミズアメを分け合いつつ、歩き始めた。

 歩く列は自然と決まっている。

 姜維と羅憲が先頭を競うようにして進み、その後ろを守られるようにして柳隠が肩を落としてトボトボと歩く。張嶷はというと、三人の回りを、前へ行ったり、後ろに行ったり、蝶のごとくして自由に飛び舞う。

 歩きつつも、少年達は、先ほどの議論を続けていた。

「好きになれそう?」

 張嶷は重ねて聞いた?

 劉備とは、どういう人であったのか?

 議題はそれだった。

「信じられないくらいお優しくて、格好の良い人だったんだよ。老師も、おっしゃってたでしょ」

 張嶷が、三人の前で後ろむきに歩きながら言った。頬に血が昇っている。張嶷にとって幼年期の庇護者であった劉備は、神にも等しい人である。

「でも、狡猾で計略が得意だったって話しも聞くよ」

 姜維が言った。人物評が盛んだった時代である。子供ながら評価の目は厳しい。

「そりゃぁ、敵が曹公に、孫公だもん。狡猾にもなるさ」

 羅憲が、口を挟んだ。

「他にも、呂布に、袁術、劉璋もいるよ」

 柳隠が付け足した。劉備が戦った相手たちである。これを、劉備に裏切られた相手たちと言い換えることも出来る。そこが、この人物の底知れぬ恐ろしさだった。

「あぁ、皆も一度会えたら良いのに。そうしたら、僕や老師が言ってることが分かるから。どんなに僕達が話しても、皆は先帝を知ることは出来ても、分かることは出来ないよ」

 張嶷は、残念そうに言った。

「でも、太学で聞かされる話しよりは、ずっとましだよ」

 羅憲は言った。太学でも、蜀という国の成り立ちを聞かされるが、その中での劉備は、儒教風に身の丈を削られ、チンマリとしていた。それと比べたら、簡雍の話しのなかの劉備は、伸び伸びとし、幾分悪党(ピカレスク)ではあったが、ずっと魅力的だった。劉備に纏わる話しは、男の子ならワクワクするもので満ちているようだった。そこには、戦争があり、恋があり、友情があり、裏切りがあった。狐もだます策謀が、業火に包まれる城が、幾千もの剣戟の音が、地平線を埋め尽くす馬蹄の響きがあった。

「なぁ、そうだろう?」

 羅憲が、姜維に聞いた。

「うん。まぁ、そうだね」

 姜維が答えた。

「好きになれそう?」

 張嶷が言葉を重ねた。

「あぁ」

 姜維はうなずいた。張嶷は、その答えを聞くと、微笑みを顔中に広げた。花が咲いたような美しさだった。


 少年たちの後ろ姿を、先ほどの二人の妓女が見守っている。

 年増の方が、往来に立て膝で、白い脂のとろりと乗った脛を見せつけながら、

「あの子たちのことどう思うかえ?」

 と若い方に聞いた。

 当代、妓女ほど女の身で自由なものはない。それは、蕩児の口車に乗せられて深窓の奥様になったかつての妓女が、「昔娼家の女たり」と過ぎし日の艶やかなあれこれを思い出す古詩が残っていることでも分かる。また、そのまさに娼家の女であった女性を正室にした曹操は彼女たちのことを金石の樂にたとえてたたえた。

 社会から高い地位を認められていた彼女たちは、気位が高く、気に入らない客なら肘鉄砲を食らわす権利も有している。当然、男に対する評価はすすどい。

「どうって、姉さん、まだねんねじゃないの。あと、十年はたたないと使いものにはならないわ」

 若い方がそう答えると、

「馬鹿だね。あんたは」

 と年増がキュウリをかじりつつ言った。

「あたしたちは、男に住んで、男を着て、男を食べる商売をしているんだよ。青田を見て、秋の景色を読むくらいでないとどうするのさ?」

「じゃぁ姉さんはあの白魚たちが鯉になるか泥鰌で終わるか分かるとでもいうの?」

「鯉どころか、滝を登って龍になるかもしれないわよ」

「あらあら、馬鹿馬鹿しい。姉さんが、そんなに男に気の長い方とは思わなかったわ」

「ふん」

 二人は話がそこまで煮詰まると、箸を置き、肩を揉んだり、腰を拳で叩いたりしながら立ち上がった。往来にちらほらと赤灯がまたたきはじめている。顔に油を浮かべた蕩児たちの姿も往来に現れだした。

 花街の長い夜がはじまろうとしていた。

「四聖」

 と、年増の方がぽつりと言った。

 それが、いつの間に溺街の妓女たちの呼ぶ、四人の少年の総称になっていた。

「はやく、あの四聖たちもはやくあたしたちの客になってくれたらいいのだけどね」

 年増の妓女はそうぼやきつつ、妓楼のほうへ歩き出した。緑の門をくぐるとき、ちらりと少年たちの方を見た。彼らは、もう市橋の辺りまで歩いていて、その姿は小さくなっている。しかし、その影は、傾いた夕陽に引き延ばされ、大人のもののように長かった。

「四聖」

 その後、ながく成都の住民たちからは溢れるような尊敬と愛情をもって、魏と呉の人士たちからは畏れと戦慄をもって、そう呼ばれることになる少年たちは、橋のたもとで、

「また、明日」

 と、言ったようだった。

→ 花武担 第五章 友というもの(一)

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プロフィール

黒澤はゆま

Author:黒澤はゆま
歴史小説家。はゆまは古語で「早馬」「報せ」の意味。小説のことや歴史のこと、また日々の徒然のことを、「報せ」ていこうと思います。三国志を舞台にした小説「花武担」連載中。

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