花武担 第四章 四聖(二)

 朝飯がすむと、姜維は簡雍宅を出て、太学に向う。

 あれほど、簡雍が骨を折って、張嶷を入れることが出来なかった場所だが、丞相孔明と、鎮北将軍魏延の肝いりで、あっさり通ったらしい。簡雍こそいい面の皮のようだが、中国という文明の持つ一面で、異民族が自己の文明を学ぼうとするときは、孫に菓子をねだられた好好爺のように、顔を溶け落としそうにして喜ぶところがある。

 それでなくても、今、中国という領域は、三つの国に分かれている。そのうちのもっとも小国の教育機関に、羌族という強勢な蛮族の若様が入りたがり、実際に入ったということは、もうそれだけで、強力なプロパガンダだった。

 姜維が太学に行っている間、張嶷は花江の向こう岸を見ることが多くなった。

 正直、太学で学べることは嗜好にあわず、入れなかったということもさほど骨身に響いていなかったのだが、友人は行けて自分は行けないとなると、話が別である。

 簡雍も敏に、その辺りの機微は読んで、申し訳なさそうに、

「まぁ、あちらの奴らのものじゃからな」

 と、蘭のよく言う「北の人」と似た調子の言葉を使って、太学のことを表現した。

 張嶷は、そんな簡雍の言葉を聞くと、いつも悲しくなった。

 美しい成都の街が、花江のこちら側と、あちら側で、冷厳と世界が分かれているように、自分と姜維の間にも、花江が流れていて、実は世界の違う人間なのだろうか。

 蘭は、張嶷の悩みを聞くと、

「当然じゃない。貴族なんて、そんなものよ」
 と言い捨てた。

 蘭は都会の商売人の娘らしく、考え方が、サバサバしている。

 何より、今まで独り占めしていた張嶷が、あの涼州から来たという貴族に取られるのが嫌だった。

 蘭の言葉を聞いて、張嶷は、姜維に対する不安を抱いたりする。が、姜維の方は、何も気付かぬ風で、太学が終わった後も、簡雍宅を訪ねた。その時は、必ず太学の書庫の書籍をいくつか借りて来て、張嶷に渡してくれた。

 太学の正式な課程における、講義は午前中には終わってしまう。これは、朝廷の会議が、午前中に終わってしまうのと同じである。

 諸生の多くは、私淑する博士を見つけ、個人的に教えを請うことで、学問を進めて行くのだが、姜維はまだ尊敬にたる師を太学のなかに見つけていなかった。それで、講義が終わると、早々に退散し、簡雍邸にまた遊びに来る。

 大体、日昳くらいの時刻になるのだが、この時間、張嶷は大抵、昼寝中だった。成都は、すり鉢上の鍋の底のような地勢で、しかも四川という名に相応しく水気が多い。夏の昼頃は蒸し暑くて、とても活動できず、多くの住民は昼寝を取った。

 今日も、張嶷は、正門の両闋の上の、風通しの良い楼閣に竹製の茣蓙を持ち込み、蚊帳をつるし、ひんやりした感触が心地よい玉の枕に頭を乗せて、スヤスヤと眠っている。

 姜維は、その楼閣に登ってきた。この少年は、朝も昼も、張嶷を起こすために、簡雍宅を訪ねているようなものだった。 

 蚊帳に入り、枕元に、持ってきた書籍を置くと、その音で、張嶷が目を覚ました。舌を出し、恥ずかしそうに笑った。

「ありがとう」

 張嶷が言うと、姜維はコクッと頷いた。

「日が陰るまで昼寝していきなよ」

 張嶷が言った。

「でも、眠くないよ」

 涼州出身の姜維には、避暑のため午睡を取る習慣は、珍奇なものに見えていた。

「姜維は、馬術を教えてくれたから、僕は昼寝を教えるよ」

 張嶷が、言った。薄目になっている。また眠たくなってきたのだ。

 姜維は、クスッと笑った。張嶷の言葉と、枕と友達であるかのように、すぐ寝入ってしまうのがおかしかったのだ。

「また、笑ったね」

 張嶷は、最後に言うと、もう寝息を立てだした。

 姜維も、仕方なく張嶷の横に長々と寝そべり、目をつぶった。この時間は、成都中が、海の底に沈んだかのように静かになる。聞こえてくるのは、わずかな音。隣で寝ている張嶷の愛らしい寝息、蒸し暑い空気の中、時折流れる涼風。家の前を静かに通り過ぎていく馬車の轍の音。

 姜維も、いつしか眠っていた。二人の少年が眠る楼閣を、蝉の音が包んでいた。

 そのように、姜維と張嶷は、日がたつにつれ、親しく睦まじくなっていたが、蘭と姜維の間というのは、ちっとも縮まらなかった。この二人は、水と油のように、徹底的に相性があわない。いや、姜維の方は別に蘭のことをどうとも思っていないのだが、蘭が一方的に嫌うので、その当然の反作用として、姜維も蘭のことを苦手にするようになった。

 ただ、幸いというか、蘭は実家の仕事を持っているから、遊びに来るのは、午後から夕刻、一方姜維は早朝に昼間と、いわば活動時間があわない。それで、二人が顔をつきあわせる頻度というのは、そんなには多くなかった。

 しかし、運悪く、わずかに時間が被り、屋敷内ですれ違ったりすると、天敵にあった猫のように、蘭が牙を剥く。それで、自然と、張嶷は蘭とは庭園で会い、姜維とは院子の方で過ごすというふうに、棲み分けが出来るようになった。

 そのように、張嶷の方では、相応の会釈を蘭に対してしているつもりなのだが、彼女は姜維の存在が許せないようだった。この日、酒の配達という口実で、夕餉の時間に簡雍邸にやってきて、そのまま御相伴に預かっていたのだが、ご注進、ご注進という感じで、姜維の太学での不行状を、簡雍と張嶷に告げ口した。

店の客が噂していたこととして、蘭の語ったところ、姜維は太学で瞬く間に目立つ存在になっているらしい。

まず、彼の評判の一としてあげられることは、古文、鄭玄の学の、学殖の豊かさであった。

 儒教には、使うテキストの違いによって、古文と今文という二つの学派がある。テキストの違いは、秦の焚書坑儒をきっかけにして生まれた。

 秦が滅んだ後、前漢は、儒教を国学として復活させようとした。しかし、書物は、全て始皇帝に焼かれてしまっている。そこで経典を暗記している学者を呼び出し、改めて筆授させた。それらは、漢代の通用字体である隷書で書かれているため、今分経書と呼ばれた。

 ところが、伝説めいた話しだが、後になって、孔子の旧居の壁から秦以前の本が発見された。焚書から逃れるため、誰かが隠したらしいのだ。これらの経典は、秦以前の古い字体である篆書で書かれていたため古文経書と呼ばれるようになった。

 古文と今文は、字体が異なるだけでなく、内容にも違いがあり、「周礼」や「春秋左氏伝」などは古文にしか存在しない経典である。古文を正式経典とする学派を古文学派と呼び、今文を正式経典とする学派を今文学派と呼んだ。

 最初は、今文学のほうが漢王朝の政府公認学派とされていた。

 しかし、今文学は、その成り立ちから政治的動機によって作られたものである。今分経書を筆授した学者が、時の権力者におもねった記述をした可能性はないか?また、長く政府の御用学問としての役割を果たしてきたことにより、学問に必要な批判精神を失なっていないか?

 政治的な手垢が、ベタベタついている今文学にあきたらなくなったラディカルな若者達は、古文学を目指すようになった。後漢末から三国にかけては、鄭玄という大儒が古文学者として現れたこともあり、古文学の優勢が決定的になった。

 鄭玄には、信奉者が多く、有名どころをあげるだけでも、何進、袁紹、孔融、陶謙などがいる。姜維も、またその一人で、太学では鄭玄の学を好んで学んだ。鄭玄は、劉備とも縁があった人物で、劉備の師盧植は、鄭玄と馬融門下で兄弟弟子の関係だったし、劉備草創期の名外交官であった孫乾は鄭玄が劉備に紹介した人物である。

 姜維は、鄭玄の学について、母からの薫陶によって、学者顔負けの知識を身に付けているらしく、時に講師が答えにつまるような鋭い質問を発した。美貌と、当節流行の鄭玄の学に対する知識の豊かさで、姜維は太学中の注目の的になった。

 しかし、彼の評判のうちで、最たるものは、タフな喧嘩屋というものだった。

 李縊というものが太学にいた。孔明に次ぐ実力者、李厳の遠縁のものである。ニキビが浮いた巨漢の少年で、勉学には全く励まず、都会での浮華な暮らしをするためにのみ太学に通っているような様子であった。しかし、怪力無双な若者でもあったため、皆これを恐れていた。

 この李縊が、太学の中庭で姜維に絡んだ。

「お前、天水の出らしいな?」

ことさら横柄に聞いてきたらしい。

「あぁ」

姜維は短く答え、あまり相手になろうともせず、さっさと立ち去ろうとした。

 だが、李縊は、その前に立ちはだかり、

「ちょっと学問が出来るからといって調子にのるなよ。涼州の夷が、漢族の猿真似しやがって」

 と罵った。

 侮辱し、なぶってやるつもりだったのだろう。

 しかし、その言葉が終わるか終わらないうちに、姜維の拳骨が、李縊の顔面を捉えた。太学中に、その掌の音が響くような凄まじい一撃だった。李縊がたまらず前のめりになった拍子に、姜維は、彼の冠をはらい、その髻をつかんだ。

 喧嘩は、髻をつかまれた方の負けである。華奢で小柄な姜維のどこにこんな力があるのか、李縊は全く顔をあげれなくなった。その李縊の顔に姜維は容赦なく拳を浴びせた。ついには、李縊は鼻や口から血を流し、声を上げて泣き出した。

 泣き出して初めて姜維は、李縊を放してやり、そのまま立ち去った。うずくまる李縊には目もくれない。今の世代の、豪族の若様というのは軟弱なもので、洛陽の流行を真似て、白粉をしているようなものまでいる。血まみれの喧嘩に恐れをなし、皆声もなかったという。

 蘭から、姜維の太学での乱闘の件を聞いても、張嶷はなかなか信じられなかった。

 張嶷の知っている姜維は、馬や鄭玄の学のことになると多弁だが、それ以外は、物静かで、優しげな少年だった。大体乱闘したという日は、いつなのだろう。毎日姜維は、簡雍宅を訪ねているが、そんな様子を見せた日は一度も無かった。

「そんなこと言ったって、涼州出身で、しかも羌族なのよ。乱暴に決まってるわ」

 蘭は言った。涼州は、多数の民族が錯綜する土地であることから、上古から戦乱が絶えず、そのため優秀な軍人を数多く輩出した。後漢末から今にかけても、皇甫嵩、董卓、韓遂、張繍、馬騰、馬超、龐徳といった戦うために産まれて来たような男達を生んでている。

 特に董卓の率い、姜維の父親も参加した涼州軍の破壊力は凄まじく、彼らが後漢の花薫る都洛陽で行った所業は、いまだ記憶に新しい。羌族など多民族の混成軍隊でもあった董卓軍は、洛陽を灰燼に帰し、瀕死の後漢の息の根を完全に止めてしまった。

「わしは、悪い奴じゃないと思うけどな」

 簡雍が口をはさんだ。蛍石で出来た杯で、葡萄酒を飲んでいる。涼州はシルクロードの玄関口でもあり、簡雍が今飲んでいる葡萄酒も、涼州を通じ西域から輸入されている。

「いいえ、悪いやつよ。阿嶷は、あんな不良と、遊ばない方がいいと思うな」

 蘭は、松の実の殻を割ってやりながら言った。夕餉は終わったのだが、簡雍の晩酌に付き合うという名目で、腰を据えてしまっている。

「そうかなぁ」

 張嶷も簡雍のために、松の実の殻を割ってやっている。何故、蘭は、姜維を嫌うのだろう。もっとも仲良しで大事な友達は、この二人なのだから、仲良くして欲しかった。

「自分の生まれた土地や人を馬鹿にされたんじゃろ?怒って当たり前じゃ。身震いできなければ男の子じゃない。わしは、あいつの行動は間違ってないと思うぞ」

 簡雍は、松の実を口に放り込みながら言った。

 蘭は、頬をふくらましたが、よく考えたら簡雍は、人生のほとんどを乱闘騒ぎの中で過ごした様な爺さんである。姜維の乱暴にも共感するところがあるのだろう。

「阿嶷は、どう思う?」

 蘭は、張嶷に話を向けた。

「血は嫌だな」

 張嶷は、ポツリと言った。血を流しながら泣き声をあげるなど悲惨な光景である。その情景を思い浮かべるだけで、張嶷は鼻の奥が酸っぱくなるような、悲しい気持ちになった。

「将軍、阿嶷は血は嫌ですってよ」

 蘭が勝ち誇ったように言うと、

「それも間違ってない」

 そう簡雍が答えたもので、透かしをくらったようになった。

「先帝も、曹公も、血に淫するような人間ではなかった。勇気は、人の痛みに無頓着になることとは違うからな」

 簡雍は、いつになく真面目そうだった。

「姜維の乱暴も間違ってない。血が嫌っていう阿嶷も間違ってない。じゃあ、正しいのは何?」

 蘭は、聞いた。

「唯だ杜康(お酒だけ)」

 簡雍は、今度は、いかにもふだけた調子だった。曹操の短歌行の一節である。

 蘭は、あきれた。

 この爺様は、いつもこの調子である。真剣な風になっても、肝心な所は、必ず混ぜっ返す。

「さぁ、喧嘩の話は、もうよしなさい。井戸のハミウリが冷えたはずじゃ。童らはそれを食め」

 簡雍は、手を叩いて李夫妻を呼ぶと、甜品として、子供達にハミウリを切ってあげた。月の明かりで金色に輝く果肉に歯を立てると、甘い匂いがたちこめ、かなしいほど美味い。張嶷と蘭は、一口食べて嬉しさで、お互い顔を見合わせた。

 ハミウリも西域の産物で、涼州を通じて、四川に持ち込まれる。流血やまない土地で、これほど甘やかで、美味な果物が収穫できるのは不思議なことではあった。

→ 花武担 第三章 四聖(三)


ネット小説ランキング>【登録した部門】>花武担

この記事へのコメント

トラックバック

URL :

三国志連載小説
花武担 花武担
プロフィール

黒澤はゆま

Author:黒澤はゆま
歴史小説家。はゆまは古語で「早馬」「報せ」の意味。小説のことや歴史のこと、また日々の徒然のことを、「報せ」ていこうと思います。三国志を舞台にした小説「花武担」連載中。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
ご意見、ご感想はこちら。必ず返信します

名前:
メール:
件名:
本文:

works
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR