花武担 第四章 四聖(一)
姜維という少年は、馬市のことがあった翌日から毎朝、簡雍の屋敷を訪ねるようになった。まだ、戊夜、東の空がうっすら明るみ出す頃、簡雍邸の門を少年は叩く。張嶷が、馬術を教えてと頼んだためだが、当の本人は、血圧が低く、姜維が屋敷に着いてもまだ夢のなかにいる。
それで、姜維は、張嶷が起きるまでの間、内庭の井戸のたもとに的を置き、弓の練習をして時間を潰した。腕前は見事なもので、矢の的に当たる音が、朝靄を小気味よく打ち払っていく。
三十射もしてから、ようやく張嶷が、透かし模様の入った紗の寝巻き姿で、東廂房からよろばい出てくる。しどけない姿で、盲人のように両手を前にさまよわせ、口元によだれをひき、量の多い髪は鳥の巣のようにあちこち跳ねていた。
「おはよう。顔を洗っておいで」
姜維が短く言うと、
「ん」
と、張嶷はおとなしく従い、李負の持ってくる、温かいお絞りで顔を拭き、井戸の水を汲んで口をすすぐ。それから、房に戻って髪を梳き、衣装を選ぶのだが、これにも時間がかかる。
それで、姜維は、その間、厩に行って、張嶷の馬に馬具をつけてやる。馬市で買ったあの白馬は、張嶷によって「快活」というとんでもない名前がつけられていた。
たっぷり四半刻ほどもかけた後、張嶷は、服を着替え、髪もお気に入りの形に結い上げて、姜維のもとにやってきた。
「おはよう」
遅ればせの挨拶を言いつつ、張嶷は、一仕事終えた姜維の顔を見ると、バツが悪そうに、舌を出した。照れると舌を出すのは、彼の癖だった。
その後、二人は朝寝中の簡雍に挨拶するため、簡雍の寝室に向かう。寝台の元に二人でひざまずき、挨拶すると簡雍は、布団の中から手だけ出し、訳の分からない呻き声と共に、さっさと行って来いというように手を振った。
遠乗りの先は、その日、その日の気分で、南にくだってすぐの乍橋門へ向かうこともあれば、ひっそりと寝静まった花街を抜け東の小東門の方に向かうことも、あるいは、まだ店舗の戸が下ろされている小城を過ぎて下西門へ向かうこともあった。
姜維の乗馬も白馬だが、こちらは馬幅が闘犬のように広く、気性も虎のように猛々しかった。色も深く、乳のように粘りがあって、姜維は、これをガンルンと読んでいた。羌語で、雪山という意味である。
いずれかの門を過ぎて、羅壁の外に出ると、岷江や錦江の河川敷で馬を走らせる。張嶷はまだ腕が未熟なので、姜維が並んで走りつつ、手綱を取ってやる。なかなか厳しい先生で、
「腰が踊ってる。馬の動きにあわせて」
とか、
「目が下がってる。たてがみは見ない。馬と同じ方を見て」
など、容赦ない檄が飛ぶ。
馬にとっても、姜維は手ごわい先生で、半刻もたつと、まだ若い快活は肩で息をするようになる。そこで、二人は馬を川のほとりへ連れて行き、水を飲ませながら、河川敷の草原の上で一休みした。
「ねぇ、伯約の家って、羊飼いなんでしょ? 家に羊は何頭いるの?」
袴をたくし上げ、白いはぎもあらわにしながら、足を川に浸していた張嶷は、ある日そう訊いた。
姜維は少し困った顔をした。もともと、牧畜民というのは、自分の財産である家畜を、農耕民のように数えたりはしないものだ。それで、姜維は、張嶷の質問に対して、
「雲のように」
と、詩にして答えた。
「ふふ」
張嶷は笑った。
「武担みたい」
神話のなかの彼女も、秦嶺山脈から、雲のように羊をまつろわせながら、蜀の地に降りたった。そして、武担の故地、武都は、姜維のやってきた天水とは隣り合わせの郡になる。
「武担?」
不思議そうに姜維が聞くと、
「ううん、なんでもない」
と張嶷は謎めかせた。
翠の毛氈の上での語らいは、大抵、張嶷のほうがお喋りで、張嶷が百語話す間に、姜維が、二、三語話してくれたらよい方だった。それでも、この会話のなかで、張嶷は姜維に関する様々なことを知ることが出来た。
姜維、字は伯約は、張嶷と同じ十四歳で、天水における羌族の大姓、姜氏の出だった。といっても、既に祖父の代から、功曹として県の役所に出仕していたため、彼の氏族は、地元の天水では漢族の名士と同等に扱われていた。この辺り、中国の名士の規定は厳格なようで鷹揚で、後漢代から中原に移住してきた南匈奴の貴族たちも、似たような会釈を受けている。
姜維の父の姜冏は、学問好きで、詩経を好くし、それでいて騎射にも達者という、後漢末に中原世界に参加した異族出身の人物の典型のような男だった。体つきも雄偉で、文明化して萎縮した漢族のものとはまるで違っていた。
彼は、董卓が洛陽に進出した際、他の多くの涼州における羌族戦士と共に付きしたがい、やがて、そこで漢族の娘を一人得た。後宮の女官だった女性で、名を艶という。これが姜維の母親だった。略奪同然の嫁取りで、班昭の女誡をおさめ、詩賦も読む、齢十七の才女だったこの娘を、姜冏は馬上伸び上がってヒメリンゴをもぐようなたやすさで、洛陽の巷にさらい、そのまま妻にした。
彼もいわば漢化してから二代目にあたるわけだが、この辺り、まだまだ蛮としてのぎらついた逞しさは失われていなかったもののようだ。
姜冏は董卓による長安遷都にも付き従ったが、王允によって、董卓が殺されると、牛車に洛陽と長安で得た宝物を積み、さっさと長安を脱出した。もちろん、宝物の上には、姜維の母親を乗せてである。
艶からしたら、これほどの悲劇はないが、その後、中原にしろ、関中にしろ、人口のうち十に九は失われるという戦乱が待っていることを思えば、難中に福を得たといってもよいのかもしれない。
姜冏も求婚こそ乱暴なものだったが、天水に帰還後は、彼女を宝玉のように大切に扱った。艶もそれに答え、三人の娘を産んだあと、やや間隔を置いて、一人の男児を産んだ。これが姜維である。
姜冏は、魏の夏侯淵による羌族討伐の際、ちょうど漢族と羌族の対立に巻き込まれるようにして、命を亡くすのだが、艶は彼の死後も、よく一族の太母として、天水の山谷に散らばる支族も含めれば、その口数は千を超えるともいう、姜氏をまとめあげた。
また、同時に、かつて才女と詠われた自分の才智をかけて、一人息子の教育につとめた。自分の膝下で、物心ついたときから、詩経を暗誦させ、それが終わると、尚書、そして六経と進ませた。姜維が、あの馬市の際に見せた、美しい洛陽の音も、母親からの薫陶だったのである。
「凄いお母さんだね」
この話を聞いたとき、張嶷がそう言うと、姜維は顔を伏せ、陰のある表情をした。
彼は、母親を天水に置いて、成都にやってきたのだ。
街亭で敗北後、総退却になった蜀軍に、姜維はありったけの羊をまつろわせて、自らを投じた。偶然、征討将軍である魏延の部隊だったが、蜀の首脳は、天水四大姓と言われる姜氏の嫡男の投降を喜び、そのまま、魏延の庇護下に置くことにした。そして、姜維が、成都遊学を希望したため、今は、成都に置き捨ての状態にされている魏延の屋敷から太学に通っているのだった。
「お母さんのことは心配じゃない?」
張嶷が聞くと、姜維は首を振り、
「いいんだ」
と短く答えた。
ぴしりと戸を閉ざすような語気で、張嶷はそれ以上強いて聞く気をなくした。
蜀に身を投じたのは、魏による羌族征討のせいで命を落としたような父の仇討ちのためということだったが、それ以外にも、母との何事かが関係しているようだった。
馬はもう水を飲み終わり、河川敷の若草を食んでいた。姜維は、その草原の草を千切り、風に吹き散らさせた。
「柔らかいね。涼州とは全然違うな」
そう言うと、お尻についた草を払いながら立ち上がり、ひらりと雪山にまたがった。
おくびにも出すことではないが、張嶷と同じペースで走らせなくてはならない鬱屈があるのだろう。彼は、簡雍の屋敷へ引き返す前に、自分の馬だけ早駆けさせるのが常だった。鞭を左右に打ちつつ、掛け声をたて、雪山を責め立てる。その時の、鎖を外して貰い、野を駆け回る犬のような嬉しげな表情は、彼のなかに確かに流れる騎馬民族の血を思い起こさせた。
帰る頃になると、出店をあけるものや、農作業のため近郊の田畑に向うものなど、人出が多くなる。溺街では、前夜の遊蕩のあとを、妓楼のものたちが、晴れぼったい目をしながら片付けていて、街全体に、酒宴のあとのような、白っちゃけた雰囲気が漂っている。
姜維と張嶷は、口を開けて転がる空の酒壺や、たわむれに地面に叩きつけられた杯の欠片や、痛飲した酒客が残した見苦しいものなどをよけながら、馬を進ませていく。姜維は、遠心的な目を落とすことなく、自家の荘園を散策する若様のように貴族然として、張嶷は、ことことと飴玉でも含んでいるように微笑みを絶やさず、顔見知りなどに会うと、気さくに朝の挨拶なども交わす。
このタイプはまったく違うのに、二滴の水玉のようにそっくりな雰囲気をまとった美少年二人は馬上並んでいるだけで、人をドキリとさせ胸騒がせるものを持っていた。溺街の人間は彼らが、何かに祝福され、何事かを約束された存在であることを確信した。
簡雍宅まで戻ると、老人もようやく寝床から抜け出し、李翁と李負が朝食を作って待っている。姜維は、市場の出来事の翌朝から、毎日、御相伴するようになっていた。貴族の若様の凄い所で、ご馳走になっておきながら、礼も言わない。
人が自分に奉仕するのを当然と思っているのだろう。しかし、一方で、自分の能力で人を助けるのも当然の義務としていて、毎朝張嶷に馬術を教えているが、恩着せがましいことは一度も言わない。
貴種とは大したもんだ、と簡雍も感心する思いだった。牧民貴族として磨き上げられたような子供だった。李夫妻も、礼も言わずに朝飯を食べていく子供に文句の一つも出そうなのに、その高貴な雰囲気に打たれて、喜んで奉仕している。
「姜維、魚を、また残そうとして」
簡雍が、注意した。フナの膾を残そうとしていたのだ。姜維は、顔を曇らせ、困った顔をした。こうした所だけ見ると、普通の子供と変わらない。遊牧民は、一般に、あまり魚を食べない。姜維もそうで、魚も、四川で良く使われる香草の類も苦手だった。
「じゃぁ、僕が食べる」
横合いから張嶷が手を出した。姜維の膾を箸で取り、自分の皿に移した。
「甘やかしたら、いかんぞ」
しかし、張嶷はもうペロっと食べてしまった。クスクスと笑いながら、舌を出す。
「だって、美味しそうだったから」
「こいつ」
簡雍は苦笑した。
姜維はほっと救われた顔で、竹の杯を取る。満々と溢れるように、四川の特産である、水牛の乳が注がれている。姜維は、唇に白い輪を作りながら、それを飲み干した。
今度は獣乳の苦手な張嶷が困る番で、見るのも嫌というふうに顔を背けている。
「ほれっ、張嶷。お前も、牛乳を飲め。大きくなれんぞ」
簡雍が張嶷に矛先を向けると、姜維も牛乳のもう一度注がれた杯を張嶷に差し出した。
張嶷は、まるで毒液を見るような目で、その白い液体を見て、
「大きくなれなくてもよいから、絶対に飲みません」
と叫んだ。その必死な様子がおかしくて、簡雍が吹き出し、給仕をしていた李夫妻も笑い出した。その時、姜維も、ユルユルと頬を緩め微笑んだ。すぐ元のすまし顔に戻ったが、意外と優しげで温(ぬくみのある笑顔を、張嶷は見逃さなかった。
「ねぇ、今笑ったでしょ?笑ったよね?もう一度笑顔を見せて」
と言ったが、姜維は何も答えず、冬の夜のような静かな表情のまま、また、牛乳を飲み干した。
→ 花武担 第三章 四聖(二)
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それで、姜維は、張嶷が起きるまでの間、内庭の井戸のたもとに的を置き、弓の練習をして時間を潰した。腕前は見事なもので、矢の的に当たる音が、朝靄を小気味よく打ち払っていく。
三十射もしてから、ようやく張嶷が、透かし模様の入った紗の寝巻き姿で、東廂房からよろばい出てくる。しどけない姿で、盲人のように両手を前にさまよわせ、口元によだれをひき、量の多い髪は鳥の巣のようにあちこち跳ねていた。
「おはよう。顔を洗っておいで」
姜維が短く言うと、
「ん」
と、張嶷はおとなしく従い、李負の持ってくる、温かいお絞りで顔を拭き、井戸の水を汲んで口をすすぐ。それから、房に戻って髪を梳き、衣装を選ぶのだが、これにも時間がかかる。
それで、姜維は、その間、厩に行って、張嶷の馬に馬具をつけてやる。馬市で買ったあの白馬は、張嶷によって「快活」というとんでもない名前がつけられていた。
たっぷり四半刻ほどもかけた後、張嶷は、服を着替え、髪もお気に入りの形に結い上げて、姜維のもとにやってきた。
「おはよう」
遅ればせの挨拶を言いつつ、張嶷は、一仕事終えた姜維の顔を見ると、バツが悪そうに、舌を出した。照れると舌を出すのは、彼の癖だった。
その後、二人は朝寝中の簡雍に挨拶するため、簡雍の寝室に向かう。寝台の元に二人でひざまずき、挨拶すると簡雍は、布団の中から手だけ出し、訳の分からない呻き声と共に、さっさと行って来いというように手を振った。
遠乗りの先は、その日、その日の気分で、南にくだってすぐの乍橋門へ向かうこともあれば、ひっそりと寝静まった花街を抜け東の小東門の方に向かうことも、あるいは、まだ店舗の戸が下ろされている小城を過ぎて下西門へ向かうこともあった。
姜維の乗馬も白馬だが、こちらは馬幅が闘犬のように広く、気性も虎のように猛々しかった。色も深く、乳のように粘りがあって、姜維は、これをガンルンと読んでいた。羌語で、雪山という意味である。
いずれかの門を過ぎて、羅壁の外に出ると、岷江や錦江の河川敷で馬を走らせる。張嶷はまだ腕が未熟なので、姜維が並んで走りつつ、手綱を取ってやる。なかなか厳しい先生で、
「腰が踊ってる。馬の動きにあわせて」
とか、
「目が下がってる。たてがみは見ない。馬と同じ方を見て」
など、容赦ない檄が飛ぶ。
馬にとっても、姜維は手ごわい先生で、半刻もたつと、まだ若い快活は肩で息をするようになる。そこで、二人は馬を川のほとりへ連れて行き、水を飲ませながら、河川敷の草原の上で一休みした。
「ねぇ、伯約の家って、羊飼いなんでしょ? 家に羊は何頭いるの?」
袴をたくし上げ、白いはぎもあらわにしながら、足を川に浸していた張嶷は、ある日そう訊いた。
姜維は少し困った顔をした。もともと、牧畜民というのは、自分の財産である家畜を、農耕民のように数えたりはしないものだ。それで、姜維は、張嶷の質問に対して、
「雲のように」
と、詩にして答えた。
「ふふ」
張嶷は笑った。
「武担みたい」
神話のなかの彼女も、秦嶺山脈から、雲のように羊をまつろわせながら、蜀の地に降りたった。そして、武担の故地、武都は、姜維のやってきた天水とは隣り合わせの郡になる。
「武担?」
不思議そうに姜維が聞くと、
「ううん、なんでもない」
と張嶷は謎めかせた。
翠の毛氈の上での語らいは、大抵、張嶷のほうがお喋りで、張嶷が百語話す間に、姜維が、二、三語話してくれたらよい方だった。それでも、この会話のなかで、張嶷は姜維に関する様々なことを知ることが出来た。
姜維、字は伯約は、張嶷と同じ十四歳で、天水における羌族の大姓、姜氏の出だった。といっても、既に祖父の代から、功曹として県の役所に出仕していたため、彼の氏族は、地元の天水では漢族の名士と同等に扱われていた。この辺り、中国の名士の規定は厳格なようで鷹揚で、後漢代から中原に移住してきた南匈奴の貴族たちも、似たような会釈を受けている。
姜維の父の姜冏は、学問好きで、詩経を好くし、それでいて騎射にも達者という、後漢末に中原世界に参加した異族出身の人物の典型のような男だった。体つきも雄偉で、文明化して萎縮した漢族のものとはまるで違っていた。
彼は、董卓が洛陽に進出した際、他の多くの涼州における羌族戦士と共に付きしたがい、やがて、そこで漢族の娘を一人得た。後宮の女官だった女性で、名を艶という。これが姜維の母親だった。略奪同然の嫁取りで、班昭の女誡をおさめ、詩賦も読む、齢十七の才女だったこの娘を、姜冏は馬上伸び上がってヒメリンゴをもぐようなたやすさで、洛陽の巷にさらい、そのまま妻にした。
彼もいわば漢化してから二代目にあたるわけだが、この辺り、まだまだ蛮としてのぎらついた逞しさは失われていなかったもののようだ。
姜冏は董卓による長安遷都にも付き従ったが、王允によって、董卓が殺されると、牛車に洛陽と長安で得た宝物を積み、さっさと長安を脱出した。もちろん、宝物の上には、姜維の母親を乗せてである。
艶からしたら、これほどの悲劇はないが、その後、中原にしろ、関中にしろ、人口のうち十に九は失われるという戦乱が待っていることを思えば、難中に福を得たといってもよいのかもしれない。
姜冏も求婚こそ乱暴なものだったが、天水に帰還後は、彼女を宝玉のように大切に扱った。艶もそれに答え、三人の娘を産んだあと、やや間隔を置いて、一人の男児を産んだ。これが姜維である。
姜冏は、魏の夏侯淵による羌族討伐の際、ちょうど漢族と羌族の対立に巻き込まれるようにして、命を亡くすのだが、艶は彼の死後も、よく一族の太母として、天水の山谷に散らばる支族も含めれば、その口数は千を超えるともいう、姜氏をまとめあげた。
また、同時に、かつて才女と詠われた自分の才智をかけて、一人息子の教育につとめた。自分の膝下で、物心ついたときから、詩経を暗誦させ、それが終わると、尚書、そして六経と進ませた。姜維が、あの馬市の際に見せた、美しい洛陽の音も、母親からの薫陶だったのである。
「凄いお母さんだね」
この話を聞いたとき、張嶷がそう言うと、姜維は顔を伏せ、陰のある表情をした。
彼は、母親を天水に置いて、成都にやってきたのだ。
街亭で敗北後、総退却になった蜀軍に、姜維はありったけの羊をまつろわせて、自らを投じた。偶然、征討将軍である魏延の部隊だったが、蜀の首脳は、天水四大姓と言われる姜氏の嫡男の投降を喜び、そのまま、魏延の庇護下に置くことにした。そして、姜維が、成都遊学を希望したため、今は、成都に置き捨ての状態にされている魏延の屋敷から太学に通っているのだった。
「お母さんのことは心配じゃない?」
張嶷が聞くと、姜維は首を振り、
「いいんだ」
と短く答えた。
ぴしりと戸を閉ざすような語気で、張嶷はそれ以上強いて聞く気をなくした。
蜀に身を投じたのは、魏による羌族征討のせいで命を落としたような父の仇討ちのためということだったが、それ以外にも、母との何事かが関係しているようだった。
馬はもう水を飲み終わり、河川敷の若草を食んでいた。姜維は、その草原の草を千切り、風に吹き散らさせた。
「柔らかいね。涼州とは全然違うな」
そう言うと、お尻についた草を払いながら立ち上がり、ひらりと雪山にまたがった。
おくびにも出すことではないが、張嶷と同じペースで走らせなくてはならない鬱屈があるのだろう。彼は、簡雍の屋敷へ引き返す前に、自分の馬だけ早駆けさせるのが常だった。鞭を左右に打ちつつ、掛け声をたて、雪山を責め立てる。その時の、鎖を外して貰い、野を駆け回る犬のような嬉しげな表情は、彼のなかに確かに流れる騎馬民族の血を思い起こさせた。
帰る頃になると、出店をあけるものや、農作業のため近郊の田畑に向うものなど、人出が多くなる。溺街では、前夜の遊蕩のあとを、妓楼のものたちが、晴れぼったい目をしながら片付けていて、街全体に、酒宴のあとのような、白っちゃけた雰囲気が漂っている。
姜維と張嶷は、口を開けて転がる空の酒壺や、たわむれに地面に叩きつけられた杯の欠片や、痛飲した酒客が残した見苦しいものなどをよけながら、馬を進ませていく。姜維は、遠心的な目を落とすことなく、自家の荘園を散策する若様のように貴族然として、張嶷は、ことことと飴玉でも含んでいるように微笑みを絶やさず、顔見知りなどに会うと、気さくに朝の挨拶なども交わす。
このタイプはまったく違うのに、二滴の水玉のようにそっくりな雰囲気をまとった美少年二人は馬上並んでいるだけで、人をドキリとさせ胸騒がせるものを持っていた。溺街の人間は彼らが、何かに祝福され、何事かを約束された存在であることを確信した。
簡雍宅まで戻ると、老人もようやく寝床から抜け出し、李翁と李負が朝食を作って待っている。姜維は、市場の出来事の翌朝から、毎日、御相伴するようになっていた。貴族の若様の凄い所で、ご馳走になっておきながら、礼も言わない。
人が自分に奉仕するのを当然と思っているのだろう。しかし、一方で、自分の能力で人を助けるのも当然の義務としていて、毎朝張嶷に馬術を教えているが、恩着せがましいことは一度も言わない。
貴種とは大したもんだ、と簡雍も感心する思いだった。牧民貴族として磨き上げられたような子供だった。李夫妻も、礼も言わずに朝飯を食べていく子供に文句の一つも出そうなのに、その高貴な雰囲気に打たれて、喜んで奉仕している。
「姜維、魚を、また残そうとして」
簡雍が、注意した。フナの膾を残そうとしていたのだ。姜維は、顔を曇らせ、困った顔をした。こうした所だけ見ると、普通の子供と変わらない。遊牧民は、一般に、あまり魚を食べない。姜維もそうで、魚も、四川で良く使われる香草の類も苦手だった。
「じゃぁ、僕が食べる」
横合いから張嶷が手を出した。姜維の膾を箸で取り、自分の皿に移した。
「甘やかしたら、いかんぞ」
しかし、張嶷はもうペロっと食べてしまった。クスクスと笑いながら、舌を出す。
「だって、美味しそうだったから」
「こいつ」
簡雍は苦笑した。
姜維はほっと救われた顔で、竹の杯を取る。満々と溢れるように、四川の特産である、水牛の乳が注がれている。姜維は、唇に白い輪を作りながら、それを飲み干した。
今度は獣乳の苦手な張嶷が困る番で、見るのも嫌というふうに顔を背けている。
「ほれっ、張嶷。お前も、牛乳を飲め。大きくなれんぞ」
簡雍が張嶷に矛先を向けると、姜維も牛乳のもう一度注がれた杯を張嶷に差し出した。
張嶷は、まるで毒液を見るような目で、その白い液体を見て、
「大きくなれなくてもよいから、絶対に飲みません」
と叫んだ。その必死な様子がおかしくて、簡雍が吹き出し、給仕をしていた李夫妻も笑い出した。その時、姜維も、ユルユルと頬を緩め微笑んだ。すぐ元のすまし顔に戻ったが、意外と優しげで温(ぬくみのある笑顔を、張嶷は見逃さなかった。
「ねぇ、今笑ったでしょ?笑ったよね?もう一度笑顔を見せて」
と言ったが、姜維は何も答えず、冬の夜のような静かな表情のまま、また、牛乳を飲み干した。
→ 花武担 第三章 四聖(二)
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