花武担 第三章 姜維(九)

 馬市のまわりには、人だかりの輪が出来ていた。馬種は様々で、まだらの駁(ばく)や、漆黒の驪(り)、黄色と赤の混じった騅(すい)に、雪のような駱(しろ)。それら、色とりどりの馬が、四方に延びる紐につながれているのは、氐族の五色の祈祷旗、タルチョーのようだった。

 張嶷は、あまり馬になれていなかったが、彼ら、彼女たちの美しい毛並みをこわごわ触ったり、甘噛みを肩に受けたりしているうちに、段々、表情がもとのように明るくなってきた。

「嶷、この馬などいいんじゃないか?」

 簡雍が、鹿毛の顎をつかみ、歯を見せながら言った。もう買う気になっている。

 鹿毛は、馬幅が大きく、寸詰まりで、足が短かった。羌族の馬の特徴で、もっさりした見た目だが、こちらの方が丈夫で、凹凸の多い山岳部を走るのに向いている。

 が、張嶷は首を振った。

 鹿毛は、なかなか気性が荒いようで、激しく首を振って、簡雍の手から逃れようとしていた。そのときの表情の猛々しさが気に入らなかったのだ。

「そうか、じゃぁ、こちらはどうだ?」

 そんな風に、老人と少年は、馬を取り替えながら、物色を続けていく。蘭も、馬など毛ほどの興味もなかったが、張嶷が気を取り直したのが嬉しく、ことことと微笑みながらあとに続く。

 やがて、

「これがいい」

 と張嶷がある馬の前で止まった。

 透き通るような白馬で、首の辺り、血が浮いて、ほんのり桃色になっている。

「ふむ」

 簡雍は顎をつかんで歯を見た。まだ、二歳くらいであろうか。羌族の馬には珍しく、華奢で、馬幅が狭く、足が長い。

(平地ではよくても、山谷ではもろそうな)

 と、簡雍は思ったが、白馬は顎をつかませたままじっとしている。よく光る黒色の瞳も聡明そうだった。

(大人しそうな馬だな。これなら、未熟な者が乗っても、逆らわないかもしれん)

 いつの間にか、羌族の商人が側に来ていた。蛮語で何やら話しかけてくる。

 言っていることはさっぱり分からなかったが、身振りも交えつつ、鞍を置けと言うと通じたようで、商人は鞍を置き、手綱を簡雍に渡した。

「乗ってみる」

 老人とは思えぬ身軽さで、ひらりと馬上の人になると、手綱をさばき、馬を駆けさせた。人だかりにどよめきが起きたほど見事な乗りこなしで、この辺りさすがは千軍万馬の将軍だった。河川敷を岷江に沿って、風のように走り、たちまち簡雍と馬は小さな点になった。

「将軍、さすがね」

 蘭の言葉にうなずきつつ、張嶷は小さな胸をときめかせていた。

 あの清らかな白馬が自分のものになる。

 南中では、あまりよい馬がおらず、馬に乗る機会が持てなかった。自分の馬を持つことは、張嶷の夢の一つだったのだ。

 やがて、簡雍は戻ってきた。だいぶ責め立てたようで、人馬ともに満身汗みどろになっている。馬は紐につながれつつ、昂揚の余韻で、足摺をした。

「気に入った。こいつにしよう」

 簡雍は袖で汗を拭いつつ、そう言うと、羌族の商人と値段の交渉を始めた。言葉が分からないので、筆談である。地面に線を引き、その数で値段を表す。商人が屈んで幾本も線を引いていくわけだが、端から簡雍が足で消していく。消すことで、負けろという意志を伝えるわけである。二人は、引いては消し、引いては消しするのを、幾度も繰り返していた。

 蘭が、まどろこしいやり方に苛立ってきて、張嶷に聞いた。

「違う民族の言葉でも喋れるんでしょ? 羌族の言葉は分からないの? 通訳してあげたら?」

「羌族とは、あんまり話したことないんだ。イ族の言葉と似ているような感じだけど」

 張嶷は、首を振りながら答えた。

 交渉は、難航している様子だ。通訳がいればと思ったのだが、張嶷が出来ないとなると、どうしようもない。どうしたものか?と蘭が思っていると、ふっと野次馬の中から一人の少年が現れ、簡雍の隣に立った。

 肌の色は、白皙を超して青白く、唇が血のように赤い。磁器のようにつるりと秀でた額と、高く際立った鼻を持ち、奥二重の切れ長の目の奥に、漆のようによく光る瞳を住まわせている。

悽愴な感じがする美少年だが、眉間の辺りに独特の険があり、目元に紅でもさしたように血が昇っているのが、どこか狐に憑かれているもののように見える。

蘭は、背中にゾッとするものを感じ、思わず目を背けた。

 同じ美貌でも、張嶷の美しさは、菜の花畑に降り注ぐ春の柔らかい日差しを思わせたが、その少年の美しさは、凍てついた夜を切り裂く厳冬の月の光だった。

 少年が、通訳を買って出てくれた。どういった事情からか、羌族の商人がひどく、遠慮している。どちからといえば、華奢で小柄な少年だが、自然な迫力があって、人を従わせる何かを持っているようだった。

「何か、嫌な感じね。すかしてる感じ」

 蘭が、張嶷にささやいた。

「そう? でも、とても綺麗な子だよ」

 蘭はムキになって言い返す。

「貴方のほうが、ずっと綺麗よ。きっと何か悪巧みしてるに違いないわ。」

 そうかなぁと張嶷は、首をひねった。張嶷は、その少年に惹かれだしている。

 少年は袖のユッタリした漢族風の長衣を着ていたが、頭には藍色の頭巾、腰には長剣と号角という、漢族と羌族が折衷したような格好をしていた。半漢半蛮という珍奇な格好だったが、彼の美貌と不思議に調和し、洒落て見えた。

 号角とは、牛の角で出来た笛で、別名「胡角」とも呼ばれる。羌族の民族楽器で、彼らは他民族と戦うときは、これを吹き鳴らし、自らを昂揚させるとともに、敵を威嚇しながら突撃した。羌族に襲われたことがある漢族にとっては、狼や虎の遠吠えより恐ろしいもので、その音を聞いただけで、卒倒するものもいるほどだった。

「彼は、その値段では、少し安すぎると言っています。もう少し妥協しては、どうですか?」

 少年の通訳は、達者なもので、簡雍と商人の間で、意志が渋滞することがなくなってきた。もう地面に線ではなく、少年の指で、値段を示すようになっている。

 少年は、最初四川の言葉で話していたが、簡雍が華北出身の人間であることが分かると、驚くことに華北の音で簡雍に話しかけるようになった。洛陽で、素読の先生が出来そうな綺麗な発音である。

 張嶷は、ますます感心し、蘭は、ますますいけ好かない奴と憤った。

 四半時ほど、少年は簡雍と商人の間で指を曲げたり伸ばしたりしていたが、遂に商人の方が根負けし、交渉は成立した。三千銭程度で収まったので、馬の値段としては、まずまずであろう。ちなみに、大人の男性が一ヶ月暮らせるだけの金が、三百銭程度である。

 簡雍は、少年に礼を言った

 「童(わらし)のおかげで、助かったわ。ありがとう」

 少年は、目礼でそれに答えた。元々は寡黙な子供らしい。

「ありがとう。華北の言葉も話せるなんて、どこから来たの?」

 張嶷も話しかけた。いつの間にか少年の手を取っている。人と話すときの癖で、話し終わるまで決して離すことがない。

 少年は、急に手を取られて驚いたようで、頬を赤くした。それまでのすました様子と違い、急にあどけない顔になった。

「涼州から……」

 少年が、口を開きかけたときに、簡雍が割って入った。

「いやいや、良い得物であったわ。童、改めて礼を言うぞ。ささっ、張嶷。鞍も置いたぞ。轡もくわえさせたぞ。早速乗ってみよ」

 白馬に馬具がもう備え付けられていた。先ほど簡雍に走らされたときの高ぶりがまだ残っているのか、しきりに首を振り、足掻いている。張嶷は、不安を感じた。

「老師。阿嶷は、馬は、そんなに経験ないのよ。いきなり乗れなんて無理よ」

 蘭も、心配になってそう止めたが、簡雍は一笑に伏した。

「ここは、爺さんのいうことを聞くもんじゃ。時間は、あるようで、無いもの。良いときも、若いときも、あっという間に過ぎて行く。機会は、逃してはいかん。さぁさ、乗った、乗った」

 簡雍は、張嶷の手を取った。張嶷と少年の手は、離れ、少年の言いかけた言葉も、空に消えた。

 張嶷は、困った。馬を買ってもらったものの、すぐに乗るなどとは考えていなかった。まずは簡雍宅に持って帰ってから、慣れていくつもりだったのだ。しかし、この積極性の塊のような爺様に、そんな悠長な考えが通じるとも思えなかった。

 今も、買い与えたものを、張嶷が乗るという図を早く見たいらしく、目を子供のように輝かせている。老人の希望もかなえてあげたいし、仕方が無いと、張嶷も、腹を決めた。

「じゃぁ、乗ります。でも、しっかり見ててね」

 そう言うと、商人と、簡雍の介添えの元、鞍にまたがった。蘭は、木登り中の子供を見守る母親のように、ハラハラした顔をしている。一方、少年の方は、少し離れたところで、静かに様子を見守っていた。

 体が安定すると、張嶷は、鞍の上で、背を伸ばした。天性の美貌である。それだけで、一幅の絵のようになった。

「やぁ、張嶷、見事じゃ。おのこらしく見ゆる」

 簡雍が、心底嬉しそうに言った。

 張嶷も、よい気持ちであった。馬上だと、視線が高い分だけ、気持ちも大きくなる。不安がっていたのが馬鹿らしくなってきた。蘭が心配そうに、こちらを見ていたが、大丈夫だよと手を振った。

 少年も、こちらを見ていた。

 大人びた深沈とした表情である。

 張嶷が微笑みかけると、少年は、眩しげに目を細めた。

 そういえば、話がまだ途中である。もっと話しがしたい、と張嶷は思った。

 老師が満足するまで馬に乗ったら、また少年の所に行って、話しの続きをしよう。そして、友達になるのだ。きっと、優しく親切な子に違いない。だって、信じられないほど、綺麗な子なのだから。張嶷は、少年に対して手を振ろうとした。

 と、少年の顔が、急に曇った。おやっと張嶷が思うのと、馬がむずがりだし、後ろ足を足掻きだすのが同時だった。羌族の商人が、あわてて轡を抑えようとした。が、振り払われ、商人は馬の足元に倒れた。

 足元に人が倒れたので、馬はさらに恐慌し、ついに簡雍の手も離れ、張嶷を乗せたまま、駆け出した。野次馬も逃げはじめる。蘭は悲鳴をあげた。

「誰か止めて!」

 野次馬が逃げ惑う中、簡雍だけは、暴走する馬を追いかけた。さすがに、劉備と共に幾千という戦場を駆けた古強者だったが、馬は、どんどん速度を上げていき、なかなか追いつけない。

「絶対に手綱は放すなよ」

 簡雍は、追いかけながら、叫んだ。張嶷は、馬の首にしがみついて、何とか落馬を避けている。

「だから言ったのに。だから言ったのに」

 蘭は、泣きべそをかいた。

 その蘭の横を、鼬のように何かが駆け抜けた。それは、あっという間に、簡雍を追い抜くと、馬に追いつき、手綱をつかんだ。しばらく、並走しつつ、呼吸をはかっていたが、「ヤッ」と掛け声をあげると、馬に飛び乗った。

 暴走する馬に、飛び乗るなど、神業といえる。簡雍も、蘭も、野次馬たちも息を呑んだ。

 馬は、いきなり騎乗者が二人になったので、走りを止めた。ますます混乱し、前足、後足と交互に跳ね上げ、最後は棒立ちになって、乗っている二人を振り落とそうとする。

 しかし、少年は、左手で張嶷の腰を抱き、右手で手綱をさばき、その馬術は硬軟自在、馬の思うようにさせない。

 そのうちに、馬は疲れはじめ、動きが目立って衰えてきた。

少年は、かまわず馬を責め立て続ける。

 少年と馬の体から飛ぶ汗が、日の光に照らされ、金色に輝いた。蘭は、その時少年が、笑うのを見た。赤い唇が割れ、心底この危険を楽しんでいるようだった。その表情に、蘭は、狂気のようなものを感じた。

 やがて、主従は完全に逆転し、遂に馬は屈服した。溶けそうなほど汗みずくになり、降将のように首をたれている。一方、少年の方は、張嶷を左手にしっかり抱きつつ、息も切らしていない。馬上胸を張り、まるで凱旋将軍のような様子であった。野次馬は、歓声をあげた。

 簡雍と蘭は、少年と張嶷の元に駆け寄った。

 少年が先に馬を降り、次に張嶷が少年の首にしがみつくような感じで降ろしてもらった。

「大丈夫?怪我はない?」

 蘭は、少年から、張嶷を奪い取ると、顔を触り、肩や肘、手や腰をさすって怪我が無いか確認した。

「大丈夫か?大丈夫か?」

 簡雍もかたわらでうるさく尋ねてくる。蘭はちょっと睨みつけた。元は、皆この爺さんの無理のせいである。

「大丈夫。どこも怪我してないよ。この子が守ってくれたんだ」

 張嶷は、ちょっとフラフラしていたが、他に異常はなさそうだった。

 簡雍は、少年に礼を言った。

「童、何度も助けてくれて、ありがとう。わしの舎弟が無事ですんだのは、全てお前のおかげじゃ」

 少年は、また何も言わず目礼だけした。

 そのまま、立ち去ろうとしたので、張嶷が、その手を再びとらえた。

 しっかり向き合ってみると、少年の方が、半尺ほど背が高い。張嶷は、ちょっと小首をかしげ、見上げるようにしながら言った。

「ホントにありがとう。名前は、何? 僕の名は張嶷。字は伯岐というの」

 蘭は、二人の様子を見て、胸がうずき、心が曇るのを感じた。それは嫉妬の醜さからだけではなかった。張嶷に手を取られて、あどけなくはにかんでいる少年の背後に広がる、初夏の田園の美しい景色が、一瞬だけ、全て灰色に色を奪われて、羅壁よりも高く積み上げられた人の死骸の山の幻視に、代わって見えたのだ。

 少年は、しばらく考えている風だったが、やがて短く答えた。

「性は姜。名は維。字は伯約」

→ 花武担 第三章 四聖(一)

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この記事へのコメント

- 伯倫 - 2014年06月13日 23:55:38

(゚д゚)…(´゚∀゚`)キエアアアアアアアアアアアアアカッコイイイイイイイイイイイ(
真面目一辺倒と言うわけではなさそうなのがまた…
期待死我了(*'д`*)♪

Re: タイトルなし - 黒澤はゆま - 2014年06月14日 00:55:45

コメントありがとうございます。
登場までとても長くなってしまった(^_^;
これから、徐々に蜀末を代表する人物たちが出てきます。
変わらぬご愛顧よろしくお願いいたします。

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プロフィール

黒澤はゆま

Author:黒澤はゆま
歴史小説家。はゆまは古語で「早馬」「報せ」の意味。小説のことや歴史のこと、また日々の徒然のことを、「報せ」ていこうと思います。三国志を舞台にした小説「花武担」連載中。

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