花武担 第三章 姜維(八)

 一刻も小城にいると、三人ともさすがに人酔いしてきて、人波がまだましな長順橋の草市の方に行こうということになった。

 長順橋は小城を西に出、さらに成都の外郭を囲う羅壁に穿たれた下西門を抜けた先にある。

 下西門を出ると、景色が一気に広がり、窓を開けて新鮮な風を胸に入れたような心地になった。

 豊かに澄んで光る岷江の流れが見え、その向こうに、初夏の水田の翠が、地平線まで溢れそうに広がっている。田植えの遅早(おそはや)が、濃い淡いの綾をなし、風が吹くたび、若い稲の群れがいっせいに揺れる。女神が透明な手で、大地のビロードを撫でているるような、光と色の、波のうねりだった。

「豊かな土地だな」

 簡雍が思わずつぶやいた。

 今、見えているものこそが、四川盆地でもっとも豊かな、肉で言えば脂身にあたる景色なのだ。

「いい場所でしょう」

 蘭が得意げに言うと、簡雍は少し考えたあと、

「そうだな」

 と言った。

「阿嶷もそう思うでしょう」

「うん」

 張嶷は両手を羽のように広げて元気よく答えた。

「とってもよい場所。僕大好きになっちゃった」

「よし」

 満足そうに蘭はうなずいたが、ふと南の方へ目線を向けてみて、顔をしかめた。

「見て」

 蘭が指差した方を、簡雍と張嶷が追うと、下西門から南へ少し下ったところに、羅壁に沿うようにして、石作りの粗末な家の群れが出来ていた。まだ、作りかけのものも多く、その一角では、肌は白く、手足が蜘蛛のように長い、蜀の人間とは明らかに違う人種の人々が、忙しく石を積み重ねている。

「羌(チァン)だわ」

 背景の水田の翠のみずみずしさもあり、石作りの家は、妙に白っぽく見えた。家の裏手の壁に、シロアリの巣でも見つけたような感じで、蘭は言った。

 羌は、中国西北に広く分布して住む種族で、馬に乗り、羊を追って暮らす遊牧民である。四川という盆の北や西の縁(へり)にあたる、大巴山脈にも住み、ときに平地に雪崩れ込んで、街を襲い、天災のような災害をもたらす。

「天水のやつらではないか」

 簡雍が取りなすように言った。

 失敗に終わった北伐だったが、唯一の成果として、隴西・南安・天水といった土地の男女、数千人を拉致し、蜀や漢中に移住させている。彼らも、その一部なのだろう。

「ふん」

 蘭という、この郷土愛の強い少女は、時に情が勝ち過ぎることもあるのだろう。成都という街のあるべき美観を犯すものは、なんであれ、許せないようだった。

「見苦しい家だわ。羌なんて皆追い出してやったらいいのよ」

 履いている赤い履で、蹴り出してしまいそうな勢いで言った。

 簡雍と張嶷は顔をみあわせ、虎の尾を踏まぬようふっと息をひそめた。

 草市は、小城のような官設の市とは違い、街の郊外で、藪蚊が湧くようにしてたつ、いわばバザーである。店も塼作りの立派なものなどはなく、木作りの屋台様のものか、茣蓙の上に商品を並べただけのものばかりだった。

 雲南からやってきた旅商人のたてた市のため、行き交う人も蛮人が多い。赤銅色の毛脛もあらわな屈強な彝族の男、百合のようにほっそりとした泰族の女性、日に焼けて色黒な氐族、彫が深く茶色の瞳の羯族など、民族の交差路のような態を見せている。

 売られている品は、犀の角や、豹の胎児の干し物、瑠璃の破片を綴った首飾り、翡翠や瑪瑙、芳しい香木や乳香などで、貴州か、そこを経由した身毒の物産が多い。

 もちろん、日常の品も売られている。

「これ買って」

 と、張嶷がせがんだのは、甘蔗(さとうきび)だった。

 簡雍が銭を出し、蘭と張嶷に渡してやると、蘭はすぐに熊猫のように奥歯で先をかみつぶしたが、張嶷は、西瓜の種のように小さな前歯で何とかしようとするものだから、文字通り歯がたたない。

「ちょっと貸しなさい」

 見かねて蘭が張嶷の甘蔗を取ると、石に打ちつけて、ささくれを作ってやった。

「蘭の方がよほど男らしい」

 簡雍はそう言って笑った。

 蘭は怖い顔をして簡雍をにらみつけたが、その袖で、張嶷は大人しくささくれをしゃぶっている。

 草市の文物は珍奇なものが多かったが、やはり、官設の市である小城に比べると、品がやや下がった。市としての長さも、下西門から長順橋の間までと短かい。

 長順橋まで歩ききると、こんなものかと、どこか物足りない気持ちに三人はなった。

 足元には、岷江が流れていて、河面は、初夏の日を吸って、ふっくらとふくらみ、ものうげな波を打ち立たせている。

 まだ初夏だが、気のはやい子供達が、川のなかで水遊びしていた。中原と比べれば、蜀の風俗は鷹揚で、なかには、もう少年や少女といってもいいような年の子もいるが、男や女としての兆しも露わな部分を、別段恥じることもなくむきだしにしている。

「大らかなものだな」

 幽州出身の簡雍はそう笑ったあと、蘭をからかった。

「蘭も混ぜてもらってきたらどうだ? つい二、三年前までは、乳も膨らみだしてたのに、庭池で泳いでいただろうか」

 蘭は顔を真っ赤にして袖で簡雍を打った。

「やぁ、蘭が怒った」

 老人は、年甲斐もなく、大仰な仕草で頭をかばいながら、橋の上を逃げ回る。

 それを追いつつ、蘭は、自分の御転婆に対する、張嶷の反応はどうか心配になって、そっとその顔色を伺った。

「……!」

 常になく、寂しげな顔で張嶷は、川の子供達を見つめていた。

 心にいつも日の照っているような、陰りのない子だが、あのことはやはり、血膿の流れ続ける古傷になっているようで、彼は、今にも泣き出しそうにして、初夏の澄んだ日の下でしなやかに弾む、欠落のない子供達の五体を見ていた。

 簡雍も、はっと張嶷の様子に気づき、二人は真剣な顔で目交ぜしあった。

 何か、気を取り直させるものはないかと、しばらく回りを見渡したが、やがて、

「あれは、馬市ではないか?」

 と、簡雍が目ざとく言った。

 子供達が川遊びしている場所から、少し南に行ったところに、岷江が大きく東にうねって出来た、広い河川敷があって、そこに、二丈ほどの高さの柱が幾本も打ちつけてあった。柱からは四方に紐が伸び、末は地に打ちつけられ、馬が何十頭と繋がれている。

「行くぞ」

 簡雍は、ぼんやりしている張嶷の背中を咳き込むほどに叩くと、先頭にたって河原へと降りていった。

→ 花武担 第三章 姜維(九)


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プロフィール

黒澤はゆま

Author:黒澤はゆま
歴史小説家。はゆまは古語で「早馬」「報せ」の意味。小説のことや歴史のこと、また日々の徒然のことを、「報せ」ていこうと思います。三国志を舞台にした小説「花武担」連載中。

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