花武担 第三章 姜維(一)

(子供が一人いるだけで違うものだな)

 簡雍は少年が来て一週間もたたないうちに思うようになった。

 これまで、来客は多いとはいえ、簡雍と、李夫妻、七十過ぎの老人が三人で暮らしていた簡雍の屋敷は、どこかかび臭く、俯いた感じだった。そこにやってきた、花も恥じらうような美童である。にわかに屋敷は活気づき華やいだ。

 李夫妻の生活の中心は、簡雍から、張嶷に変わってしまったようで、朝から、張嶷が今日は朝餉を食べた、食べなかったで大騒ぎする。

「馬鹿らしい。人間、一食抜いたところで死んだりはせん」

 そう、簡雍が言っても、

「でも、大家(だんなさま)、公子(ぼっちゃん)は食が細うございますから」

 と抗弁してくる。

 食べたといっても、大抵、小麦の餅(ピン)の焦げた裾をかじり、鯰の羹を蚊のようにすすった程度のことだ。

「おい、もっと食べないか。肉を食え。肉を」

 簡雍が言うと、張嶷はしぶしぶといった感じで箸で猪の切り身をつまみあげるのだが、黒酢と豆鼓で真っ黒に味付けされ、にんにくの匂いをぷんぷんさせているのを見ると、放り投げるように皿に戻す。

「不要(ブーヨウ)」

 そんなとき、張嶷はことさら中原の音を出して、短く言うのが常だった。

 ひどい偏食家である。

 脂で胸が悪くなるらしく、獣肉の類はほとんど食べない。簡雍が好む、小麦の餅も好まず、黒酢や豆鼓、にんにくを使った中原風の味付けも嫌がる。

 好きなのはやはり蒟醤(きんま)で味付けされた土地の料理らしく、甑で蒸した米や、川魚なら口に入れるが、それもあまり量は多くない。また、巴蜀のものなら全て食べられるというわけでもなく、四川の水牛の乳は、髭についたものがそのまま酪(バター)になるといって有名な蜀の特産だが、毛虫の煮汁のように見えるらしく、視界に入るのも嫌がる。その癖、陽気をおぎなうためにやらされてきた、幼児の頃からの習慣で、鯉や鯰といった泥臭い川魚の生血をけろりとした顔で飲むのである。

 人間誰しも食に関しては保守的なものだが、老人も少年もこの点に関しては一歩も退こうとしない。はじめのうちは、八尺四方の狭い卓子が、文明的緊張に包まれることもままあった。

 李夫妻も、心を痛めたようだった。もともと夫妻は簡雍の郷の幽州の料理を作れるということで雇われており、蜀の料理については、苦手だったが、蘭に聞いたり、市場のおかみに聞いたりして、献立を増やし、南北二流の料理を卓子に置くことで、緊張解消に努めた。

 この食卓で、張嶷はその才能の一つを見せた。

 李負が、あひるの卵を溶いた湯の入った皿を卓に置いたとき、

「落ちるよ」

 と言ったのだ。

 卓は別に傾いだところはない。

 簡雍も李負も不思議な顔をしたが、気圧の関係か、皿はまるで氷のうえに置かれたもののように、すーと卓を滑り、そのまま床に落ち粉々になった。

 馬忠の文には、この子予知の才あり、と書いてあった。初め読んだときは何のことかと思ったが、どうもこの子には、未来を感知する能力があるものらしかった。

 無論、たった一度、皿が落ちた程度のことなら、簡雍も偶然で片付けるのだが、その後も、何度か似たようなことが重なった。

 ある日、簡雍は、はっきりこの子の才を試してみようと、窓の外の梅の枝に止まっている杜鵑の群れを指差しつつ言った。

「庭の杜鵑の群れだが、どいつが一番最初に飛び立つ」

 窓の外では、李負が桶を担いで二人の様子を見守っている。

 張嶷は豊かな頬に手を当てて考える風だったが、やがて、

「一番右」

 と答えた。

 さてどうなることか、と簡雍は腕組みして、杜鵑の群れをにらんでいたが、そのうちにぱっと群れの真ん中にいた杜鵑が飛び立った。

(なんだ)

 簡雍はがっかりするやら、どこかほっとするやらだったが、苦笑しつつ張嶷に言った。

「よいかげんなことを言う。まるで外れてるじゃないか」

 張嶷は頬を膨らまし、不服な態を取った。

「いいえ、一番右が最初に飛びました」

「なんじゃと」

 李負が正房に入って来る。

 いかにも感に堪えたように、首を振りながら桶の水を水瓶に注いだ。

「公子は大したものでございますね。どの杜鵑が飛ぶか。ぴたりとお当てになりましたよ」

「なに? なんのことじゃ? 梅の枝に止まった杜鵑は真ん中のやつが一番最初に飛んだではないか」

「ああそうか。大家からはお見えにならなかったのですね。屋根の桟にも杜鵑が止まっていて、そちらを公子はお当てになったのですよ」

 慌てて簡雍が窓から身を乗り出すと、確かに屋根の桟に杜鵑が三羽止まっている。空には、先ほど梅の枝から飛び立った一羽と、張嶷が言い当てたのであろう一羽。その二羽が、飛線を交差させたり、翼を並べたりしながら、戯れあっている。

「おい、次は? 次に飛ぶのはどれだ? 屋根の桟に止まってるやつだぞ」

 簡雍がさらに聞くと、

「えっと」

 と張嶷は考える風だったが、

「いや、誰かが飛ぶ前に、さっき飛んだ二羽が、屋根の桟に止まるはずですよ。右端から順々に」

「どれどれ、見といてやるぞ」

 簡雍は手を摺り合わせつつ、空を見あげた。

 果たして、張嶷の言った通りになった。

 上空でランデブーを楽しんでいた二羽は、やがて連れだって屋根の桟に止まると、番いだったのだろうか、互いの嘴を何度も軽く打ちつけあった。

「これは本物だ」

 簡雍は感嘆の声をあげた。

 振り返って、張嶷に、

「どうして分かるのだ? お前のところからは屋根の桟など見えるはずもないのに」

 そう聞いてみたが、心のよほど深い場所で起こっている働きなのだろう。うまく答えられない。張嶷は、

「ただ分かるのです」
 
 と、言うばかりだった。

→ 花武担 第三章 姜維(二)


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この記事へのコメント

- 伯倫 - 2014年05月17日 23:50:54

タイトル詐欺なんてひどいじゃないですか!(暴論)
未来の大将軍、楽しみにしてます!

Re: タイトルなし - 黒澤はゆま - 2014年05月18日 00:01:11

す、すみません(汗)
この章の最後まで読み進めてもらったら、タイトル詐欺じゃないことが分かると思います(>_<)

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プロフィール

黒澤はゆま

Author:黒澤はゆま
歴史小説家。はゆまは古語で「早馬」「報せ」の意味。小説のことや歴史のこと、また日々の徒然のことを、「報せ」ていこうと思います。三国志を舞台にした小説「花武担」連載中。

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