花武担 第二章 簡雍(六)

「ほこりだらけね」

 蘭は、戸を開けてみて、顔をしかめた。

 簡雍の院子の最正房向かって右の、東耳房が張嶷の部屋になった。ほとんど使われていなかったため、四隅に白いものがたまり、梁に蜘蛛の巣が架かっている。

 箒を槍のように構えて、蘭は部屋に真っ直ぐ突撃すると、正面の壁に架かっている丸窓をあけた。

「あら、庭だわ」

 庭との垣根が、東耳房の壁を兼ねている。

 春の陽が束になって部屋に差し入り、風が通って空気が澄んだ。

「ねぇ、庭よ」

 蘭は後ろを振り返って、嬉しそうに簡雍と張嶷に言った。

「そう大声を出さなくても分かっている。縄張りはわしがしたんだから」

 簡雍は苦笑した。

「割りといい部屋ね。ちゃんと手を入れたら気持ちのいいところになるわ」

 蘭はそう言うと、もう忙しく箒を働かせている。

 張嶷も、蘭が持っているのよりは、やや小振りの箒を持って、部屋に入っていく。

「私が上の方にはたきをかけるから、阿嶷はほこりを庭に追い出してちょうだい」

 蘭がそう差配すると、

「うん」

 と張嶷は大人しくうなずき、ちまちまと箒を動かしはじめた。

「まるで、あべこべだな」

 簡雍は内庭で二人の様子を見守りつつ笑った。

「本当に私達が手伝わなくてよろしいので」

 李夫妻が声をかけてきた。二人は、子には全て先立たれ、孫はみな女で他家に嫁している。張嶷の登場は、年少者の世話に飢えていたところに、恰好の獲物が来た形になった。李夫妻は色めきたち、昨日から、寄ると触ると世話を焼きたがる。

「いや、いいんだ。まずは、自分と自分の力でつながった友達とで出来るところまでやらせてみよう。大人が手を出すのはそれからでいい」

 簡雍は、先ほど、庭を歩いていたとき白昼夢として見た、あの地獄のような光景を思い出していた。思えば、あのとき、本当なら曹操一人の頭上にあった天命は砕け、その欠片は、他の二人の男、劉備と孫権のもとに舞い降りたのだろう。劉備のあの不気味な笑みはそれを知ってのものだったのかもしれない。

 自分の旅はここで終わった。

 世界はあのとき恐れたようには終わらなかった。

 数多の英雄達の尽力と犠牲で、人民一人一人がむき身で乱世という怪物に向き合わなくていけない世界ではなく、二人の子供が、別れた天命のうちの一つのもと、曲がりなりにも穏やかに暮らす世界を残すことが出来た。。

 三つの天命がいずれのもとで一つになるか。

 それはもう若いものの仕事になるだろう。

 自分の旅の続きは、きっとこの二人がしてくれるものに違いない。

 もうはたきは終わったのか、蘭が腕まくりして部屋から出てきた。

「薪はどこ? 一度いぶすわ」

「それでしたら、後房の方です。こちらで」

 李夫妻が、手を出す理由が出来て、大喜びで案内しようとする。

 蘭が目の前を過ぎ様、

「おい、手伝ってくれるのはいいが。今日はもともと他に何か用事があったんじゃないか?」

 簡雍はそう声をかけた。

「あぁ、そうそう」

 蘭は簡雍につけの書きつけられた木札を渡してきた。

「ふんふん、結構、たまっているな。あとで李翁に届けさせよう」

「お願いね」

 蘭は背中を向けた。

 二、三歩進ませてから、簡雍は、再び口を開いた。

「おい、蘭。他には。他にも用事があったんじゃないか」

 蘭は振り向いて、瞳を上にぐるりと回し、考える風でもあり、またからかっている風でもある、不思議な表情をした。この年頃の少女のやることはいちいち謎めいている。

「どうした?」

 と簡雍が聞くと、蘭は、

「いいえ」

 と言ったあと、今度は、しっかり、簡雍に体を向けて、

「特に何もないわ」

 とニッコリ笑ってみせた。

→ 花武担 第三章 姜維(一)


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プロフィール

黒澤はゆま

Author:黒澤はゆま
歴史小説家。はゆまは古語で「早馬」「報せ」の意味。小説のことや歴史のこと、また日々の徒然のことを、「報せ」ていこうと思います。三国志を舞台にした小説「花武担」連載中。

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