花武担 第二章 簡雍(五)

「英雄」

 意外な言葉だった。

 張嶷は大言が恥ずかしくなったのか、急に明るいところにでも出たようにまぶしげな顔をしている。耳まで赤くなり、ひどく可憐な表情になった。

「馬鹿、男らしゅうせい」

 簡雍は慌ててそう叱ったあと考えこんだ。

(英雄……)

 英雄とは何か?

 当代、簡雍ほど数多くの英雄達と出会ってきた人間もいないだろう。永く苦楽を共にした劉備、関羽、張飛。恐怖と畏敬の対象でありつづけた魏の曹操、一度は同盟を築きながら、袂を分かつことになった呉の孫権、周瑜、魯粛、呂蒙、陸遜。

 彼ら大陸の運命を自分の個性で引きずり回してきた英雄達と、簡雍は出会い、ときに轡を並べ、ときに敵として殺しあった。彼らの多くは既に鬼籍に入ってしまったが、ともに過ごした濃密な時間は、今も簡雍の心の中で息づいている。

 しかし、その自分でも英雄とは何かうまく説明することは出来ない。

 むりに言葉にしても、それはたちまち嘘になってしまうだろう。

 彼らの魅力。唖然とするような残虐さ。対象となるものを抱き殺しかねない激しい情愛。時折見せるへきえきするような底意地の悪さ。立ちふさがるものへの凄まじい敵愾心。

 到底ひとことであらわせるものではない。

 そして、英雄とは?という問いは、そのまま自分がもっともよく知っていると思われている、劉備とは? という問いに変わる。しかし、結局、自分はどれほどあの男を理解出来ていたというのか。

 畏れながら惹きつけられ続け、ただただ魅了されるままに、過ぎてしまった一生のような気もする。

 自分への問いかけを続けながら、簡雍は言葉を重ねた。

「どんな英雄になりたいんじゃ?」

「先帝のような」

 と、張嶷は答えた。

「獅子のように強く、狐のように狡賢い、そんな英雄に」

 鼻腔の膨らんだ、気色ばんだ顔である。

「ふむ」

 と腕を組まざるを得ない。

 成都のような穏やかな都市でも、跳ね返りは生まれるもので、血ぶくれした顔で、簡雍の屋敷の門をたたく若者は多い。簡雍が若い時分、そうだったように、男伊達を誇る侠者になろうとしてのことだ。

 大体が、

「是非、義侠の士である簡大兄の弟子に」

 とか、

「老簡将軍の侠気、先帝、漢王朝への忠義に感服いたしました。是非、お話しを伺いたく」

 といった力みかえった、その癖、どこかで聞いたような、空虚な売り文句で、簡雍に取りいろうとする。

 そのほとんどが、骨も筋もない、内実は屁のような奴らである。

 大抵、脅しつけるか、ときに、一、二発殴りつけてやれば、べそをかいて逃げ出していく。

 張嶷の言葉も、それらと同等のものなのではないか。

 簡雍はやや失望した。

 獅子のようになどといっても、それは単なる快男児というべきで、英雄などといえる代物ではあるまい。儒教的な有徳人、あるいは漢王朝への忠義の士という世間の評価でくくれるほど、劉備は底の浅い人間ではない。それは、彼とともに数えきれぬ死線をくぐってきた自分が一番よく知っている。

 たとえば、建安二年、劉備は楊奉(ようほう)という武将を宴の席で暗殺している。

 楊奉は、黄巾党の一派である白波賊(しらなみぞく)の頭目として世に出た男だが、漢王朝への質朴な忠義心も持つという不思議な人物で、献帝が長安を脱出し洛陽へ向かう際に、護衛を命懸けでつとめた。

 その功績で、車騎将軍という武官の最高位につき、一時は洛陽に献帝を擁立して盤踞した。しかし、もともと、この男、政略的な考えなどない。すぐに、曹操の計略にかかって、許へ献帝は連れ去られ、配下の徐晃まで取り上げられたうえ、自身は洛陽から追い出される。

 窮して、海西まで流れてくるのだが、そこを、当時小沛に駐屯していた劉備の宴席に呼び出され、命を落とす。簡雍が殺したのだ。劉備が楊奉の杯に溢れるほど酒を注ぎ、関羽が「こぼれますぞ」と声をかけ、慌てて首を伸ばし両手の塞がった拍子に、簡雍が刺し殺すという、泥臭い計略だった。

 関羽や張飛は戦場での槍働きなら得意でも、こうした暗殺のような、ちまちまとした手仕事には不器用で、大抵簡雍の役割になった。

 武勇には優れ、忠誠心にあつくとも、時代から見放された、この人のよいかわいそうな男の、末期の息の口臭(くちぐさ)まで鮮明に簡雍は思いだすことが出来る。

 この少年は、劉備と一方ならぬ縁があったらしいが、劉備のことをどれほど理解しているのか。

「お前先帝には世話になったらしいの?」

「はい、とても可愛がってもらいました」

 劉備の話題になったのが嬉しかったのだろう。少年は笑顔になった。

 その笑顔に釣り込まれて、簡雍は問いを重ねた。

「先帝は好きか?」

「とても」

「どこが好きだった?」

「手が」

「手?」

 簡雍は首をかしげた。どういうことか? 

「先帝の手は、赤銅色の、ゴツゴツした傷だらけの手でした。革の手袋を二枚も三枚も重ねたような大きな手。でも、まだ幼かった僕の頭を撫でてくれる時の、あの手の優しさは神様のようでした。この世でもっとも清らかで尊い綺麗な手」

 綺麗!?

 簡雍は、吹き出した。劉備の手はよく知っている。張嶷の小さな顔なら握れそうなほど大きく、岩のようにゴツゴツとした傷だらけの手だった。何人叩き殺してきたか分からない、簡雍も拳の乙な味を知っている物騒な手だ。

 綺麗と言われるような可憐なものだったかねぇ。

「何がおかしいんですか?」

 張嶷は、ふくれっつらである。笑われたのが、心外だったのだろう。まっすぐ簡雍を見つめながら言った。

「世界の理不尽に何度も拳を打ち下ろしてきたから、あんなに傷だらけになったんでしょう。逃げるわけにはいかない守るものがあったから、あんなに大きくなったのでしょう。理不尽に立ち向かう勇気、愛するものを守る徳、二つ兼ね備えたものを清らかで尊いといって何が悪いんですか?」

 簡雍は、驚いた。ここまで、はっきり自分の考えを述べる子とは思っていなかったのだ。

「しかし、君の手こそ綺麗ではないか?」

 簡雍が言うと張嶷は恥ずかしそうに手を袖の中に引っ込めた。張嶷の手は、小さく、白く、まるでお人形のようだった。

「これは綺麗じゃないです。刀を叩いて鍛えるように、この手を鍛えて欲しいのです。そして」

「哥哥の手のようになりたいか?」

 簡雍が続けた。ニカッと笑っている。いつの間にか、先帝ではなく、哥哥という流浪時代の言葉で呼んでしまっていた。

 張嶷も笑った。歯を見せて。今までの楚々とした少女のような気配が飛び、イタズラ小僧のような表情になった。

「うん。哥哥のように」

 簡雍は、カラカラと笑った。身をよじらせて。

 そうだったのかもしれない。

 もっとも長い時をともに過ごしながら、もっとも大きい謎であった存在は、突き詰めてしえば、そのような言葉に集約される男だったのかもしれない。狡猾で、残忍で、そして誰よりも優しい男だった。優しいから、世の理不尽に立ち向かわずにはいられなかった。そして一度抱えたものは、絶対守ろうとする人間だった。自分も関羽も張飛も、劉備を守っているつもりが結局守られ続けてきたのである。

 簡雍自身は、英雄にはなれなかった。あれほど、長い時間をともに過ごし、恋焦がれながらも。しかし、自分はなれずとも、作ることはできるかもしれない。目の前の美少女のような少年を英雄にするのも一興ではないか。

 そう思っていると、飯を待っているはずの、僰人の一人が、正房に入ってきた。

 何事かを蛮族の音で張嶷に話しかけたあと、大事そうに抱えている、細長い木箱を床に置く。

 張嶷は、僰人の言葉で礼らしきものを言ったあと、その木箱の蓋を開けた。

「ああっ、これは」

 簡雍が驚きの声をあげた。

 一双の剣が箱のなかにおさめられていた。一つは三尺ほどと長く、もう一つは一尺五寸と短い。長い方は刀で、短いほうは両刃の突剣だった。いずれも、朱漆の塗られた鞘におさめられていた。柄の飾りは素っ気なく、馬革が巻いてあるだけだ。両刀それぞれの下げ緒は牛の尻尾の房で出来ていて、中国の始祖神、伏羲と女媧が編み込まれていた。

 見まがうはずがない。

 旗揚げのときに出資してくれた、張世平と蘇双の金で作った雌雄一対の剣。五十年、劉備の佩刀であった剣である。

「哥哥はこれもお前に渡していたのか」

 張嶷は花が咲いたように笑ってうなずいた。

 僰人が箱のなかの剣を取る。

 張嶷が立ち上がると、僰人は、その剣を、柳のように細い腰に、太刀緒をつかって括ってやった。

「何ということだ」

 簡雍は、記憶の海の、もっとも奥底に眠る景色を思い出していた。

 七十年前。

 長城の麓。

 開拓者達の住まう小さな貧しい村。

 こなっぽくざらざらした空気と、漠北の草原へと続く、果てなく見える蒼穹。

 簡雍が、物心ついて初めて一人で家を出たとき、向かいに傘のように広々とした木陰を作る大きな樫の木のある屋敷があった。

 その家の門前にいた秀でた額を持つ、大人という大人があの子とは遊ぶのはよしなさいという、札付きのワルの、しかし、黄金色の少年。

 彼は長い腕を伸ばして、簡雍の腕を抱いて言った。

「お前は簡さんとこの餓鬼だな。ほら来いよ。面白いことがあるんだ」

 その声が老いた耳朶の奥に響く。

 残りの人生、庶民や武官と飲み笑い、朝廷の人士達を好き勝手に小突き回すことで過ごそうと思っていたが、どうやら目標が出来たらしい。

 もはや錆びきったはずの体に沸々と熱い血潮がよみがえってきた。遠き日の思い出だった剣戟の音が、血にぬれた草いきれの戦場の匂いが、この大陸の片隅の下町の部屋に立ち込めるようだった。

「似合うでしょう」

 張嶷は得意そうに言うと、少女が自分の着物を自慢するときのように、くるりと一回転してみせた。

 簡雍はその体をとらえると高々と掲げて言った。

「よかろう。わしが英雄にしてやる。残りの人生で、英雄が何かお前の体に叩き込んでやる」

→ 花武担 第二章 簡雍(六)


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プロフィール

黒澤はゆま

Author:黒澤はゆま
歴史小説家。はゆまは古語で「早馬」「報せ」の意味。小説のことや歴史のこと、また日々の徒然のことを、「報せ」ていこうと思います。三国志を舞台にした小説「花武担」連載中。

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