花武担 第二章 簡雍(四)

(とすれば、宦官に打ち負かされ続けてきたようなものだな)

 簡雍はそう思ったが、さすがに我ながら考えが進み過ぎたようでおかしくなり、口のなかでくくっと笑った。

「ん」

 張嶷が身じろぎして目を覚ます。

 旅塵にまみれた髪をポリポリと掻き、辺りをきょろきょろと見回したあと、二、三回、目をぱちくりさせた。

「起きたか?」

 そう聞くと、大きく欠伸をしながら何度もうなずいた。

 簡雍も人のことは言えないが、あまり行儀はよろしくない。

(馬忠は、この子が、屋敷の後房で妻や娘と一緒に暦を見、いつ服を裁縫するか占っているのを見て、慌てて遊学を決めたらしいが)

 あまり心配することもないようなと簡雍は思った。娘ならこの年頃になれば、自然と身につけるはずの媚が仕草のなかにない。この少年の放恣さやあどけなさからは、むしろ大巴の森を駆ける子鹿のような自由さを感じた。

 李夫妻が漿を入れた杯と、足洗いの盤を持って部屋に入って来た。

 李負(ばあさん)が張嶷の下駄を脱がし、足を盤に入れて洗い始める。

 くすぐったいようで、張嶷は身をよじって、「キャッ、キャッ」と笑った。

 李翁(じいさん)は脇机に杯を置いた後、榻の後ろを廻って、簡雍に近づいてきた。

「どうした?」

「僰(ぼく)人共が敷地のなかに入って来ているのですが」

「僰人だと?」

 僰人は、西南夷の一つで、数ある異族のなかで、最も原始的な生活をしている部族である。雲南の森深くに暮らし、田を掻くようなこともせず、自然の産するもののみに頼って生活している。武器も骨や石で出来た未熟なものしか持たない。

 そのため、他の西蛮達からいじめられ、ときに鳥獣のように、狩りの対象になった。捕らえて、奴隷として売り飛ばすのである。揚雄の「蜀都賦」のなかには、成都の特産物として、蜀竹(しょくちく)や孤鶬(こけい)、銀や鉛、犀などと並び、僰の奴隷のことが描かれてある。人を物産扱いするなど、はなはだ野蛮な行為といえるが、褌に腰巻きだけの半裸で、重労働に従事する僰の奴隷は、成都の風物の一つだった。

「僕を連れてきてくれたんです」

 張嶷の耳にも聞こえたようで、李負に預けた足裏を反りかえらせながら言った。

 簡雍が榻の前の帳を手で差し上げると、確かに内庭に、赤肌で髪が縮れた僰人が三人入り込んできている。彼らは鋲の打った木箱を、井戸のたもとに積み上げていた。

「あれは?」

「僕の荷物」

「若い癖に物持ちだな。あいつらは、どうしてやったらいい?」

「馬忠は解放してやって欲しいと言っていました。文にも書いてあるはずです」

 読み落としがあったかと、文を繰っていくと、確かに最後の方に、張嶷と共に来た僰人達が太守府付きの奴隷であること、長年奉公してくれたし、本人達の希望でもあるので、成都東南の高禾(こうか)街という外民の住まう街で適当な顔役を見つけ解放してやって欲しい旨書いてあった。

「高禾の顔役なら、酒やみ市の張子夏だな。李翁、豚を潰してあいつらに食べさせておやり。そのあと、わしが文を書くから、僕町の張子夏のところまで連れて行ってやってくれ。無一文で預けるわけにもいかないから、銀を一人一錠ずつ与えてやるように」

「わっ」

 張嶷が喜びの声をあげた。裸足のまま駆け出すと、濡れた足で正房をよぎり、内庭に飛び出す。そして、僰人達の元に行くと、何やら聞き慣れぬ蛮語を声高に話し始めた。僰人達はかなつぼの魁偉な顔を寄せ集めて、張嶷の言葉を聞いていたが、やがて顔中に喜びを溢れさせると歓声をあげた。そして、順繰りに張嶷を持ち上げると、「ほっ、ほっ」とそれが感激を表すらしい音を出した。張嶷はされるがまま、僰人の差し上げた手のうえで、ことことと笑っている。

「本当に蛮族の言葉が分かるのか」

 馬忠からの文に、張嶷が音律に敏で、小鳥や獣の鳴き真似から西南夷の言葉まで、二、三回聞くと、すぐ覚えてしまう旨書かれてあった。

「仙童みたいな子ですね」

 李負は折角の仕事を台無しにされた恰好だが、微笑みながら内庭の張嶷を見守っている。しわの奥の目が濡れたように光っているところを見ると、もうこの少年に愛情を感じはじめているもののようだった。李負は、張嶷が戻ってくると、すぐ土まみれの足を盤に入れ、再び洗ってやったあと、室内用の絲履(しり)を穿かせてやった。

 李翁と李負が、僰人達の食事の準備に引き下がると、簡雍は再び少年と二人きりになった。

 張嶷は、太股の下に両手を差し入れ、足をぶらぶらさせている。ひどくくつろいだ感じで、この子のなかで、ここで住むということは、もう決定事項になっているようだった。

 簡雍の方でも、八割方そちらへ傾いている。

 ただ、馬忠の文には一つ含みがあった。

「もし、この子が大兄の目にかなわず、先帝の御心に叛くようでしたら、後宮にお預けくださいますよう」

 そう書いてあったのだ。

 劉備との関係から、太后とは今でも懇意にしている。会食に呼ばれることもあるので、簡雍が一声頼めば、この子の後宮入りはすんなり通るだろう。これだけの美貌があれば、女官達から愛されるに違いない。まばたきの度に風を起こしそうな長い睫毛や、百合のように細くしなやかな体つきを見ると、むしろそちらの方がこの子にとっても幸せなのではないかと思わぬでもなかった。

 養育者になるにあたっての、もう一押しが欲しかった。

 簡雍は聞いた。

「のう、お前は将来何になりたい?」

 いかに美少女のような容貌でも、男十四になれば、将来に、何か志望を持つだろう。それで、この子の器を見極めようと思ったのだ。

 張嶷は、こちらを見返してきた。

 愛情と聡明さに満ちて、瞳は水草のような睫毛に縁取られた、汀一杯に溢れそうに光っている。

 少年は言った。

「英雄」


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プロフィール

黒澤はゆま

Author:黒澤はゆま
歴史小説家。はゆまは古語で「早馬」「報せ」の意味。小説のことや歴史のこと、また日々の徒然のことを、「報せ」ていこうと思います。三国志を舞台にした小説「花武担」連載中。

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