花武担 第一章 武担(三)

 簡雍は妻も子もおらず、広い屋敷には、自分と同じ、幽州から流れ着いた李という老夫婦の使用人を置いているばかりだった。

 屋敷は、東半分が蘭と簡雍の出会った庭園、西半分が簡雍と李夫妻の住まう院子になっている。院子は、中央に井戸のある内庭があり、正房や東廂房などの建物がそれを囲んでいる。家屋は全て焼締めた塼で出来ていた。成都では木竹で家を建てることの方が多いから、こんなことも他の家との色合いの違いになっている。 

 簡雍は、李夫婦に蘭が塀の裂け目を潜って来ても、とがめないようにと言いつけた。

「庭で遊んでいる分には自由にさせなさい」

 それで、蘭は、庭園に自由に出入りすることが出来るようになった。

 庭園は、鯉や鮒の泳ぐひょうたん型の庭池、それを美しく縁取る梅や椿、豫樟や篠竹を生やした林、ヒメリンゴやタチバナの果樹園があってまことに広い。蘭はそこで、柔く青くさい芝生のうえに寝転がったり、果樹園でヒメリンゴをもぎったり、庭池に罠をしかけて鮒を捕ったりと、思う存分楽しく過ごした。

 簡雍の方でも、蘭の訪問を楽しみにしているらしい。

 彼女が遊びにやって来ると、老人は築山に登り、酒を飲みながら、荘園を劫掠した匈奴のように気ままに振舞う、小さな侵略者の様子を面白そうに見守った。

 魁偉な顔相の割りに、もともとこの老人本性は情が深く、親切ものらしい。

 蘭が一人遊びに飽きると、膝に乗せ、様々に物語りしてくれたし、蘭のやりたがる子供っぽい遊び、草相撲や西瓜の種を使った数当てなどにも付き合ってくれた。

 八歳の清明節のときには、他の家ではお祭り騒ぎのこの日こそ、酒屋の蘭の家ではかき入れ時になるため、墓前の宴会も、秋千(ブランコ)の遊びもできないといってむずがる蘭のためにわざわざ即席の秋千を作ってくれたりもした。

 益州は「天府の国」と言われるほど豊かな国だ。気候は温暖で、雨風が優しく、赭(しゃ)色の土も指で押せば蜜が染みそうなほど肥えている。

 歴史的に見ても、中原から隔絶した土地のため、大陸の凄惨極まりない闘争とも無縁だった。常に綿でも抱いたような曇りがちの天気もあって、男も女も酷烈な日差しを知らない薄く白い肌を持った、小柄で楚々として、処女のように穏やかな人間が多い。

 そんな蜀人達の目から見れば、先帝の劉備が中原から引き連れてきた人達は、顔付きは猛々しく、口を開けば舌に棘があり、強く大きく荒々しいばかりで、人間味というものが感じられなかった。

 それで、蘭の親も含め、根っからの成都の住民は花江の北側に住む侵略者達を「北の人」とか「中国の人」とかといって隔てを作り、敬遠していた。蘭もそうした風潮に影響され、彼らに対しては根強い反感があった。

 ただ、本来そういった種族のうちの一人である簡雍に対してだけは、蘭は、心のなかに特別な場所を設けてやった。

 蘭はこの頑健な体を持ち、笑うにせよ怒るにせよ感情はいつもむき出しで、くしゃみをすれば一町も先の家の梁までふるわせ、黒酢や醤油に濡れて真っ黒で塩辛くて脂っこい北方の料理を好み、にんにくをかじり、強い酒を飲み、下がかった冗談を連発する野生児のような老人を愛した。

 蘭との交流が深まるにつれ、最初は柄の違う人がやってきたと迷惑がっていた溺街の者達も段々と打ち解け、位階持ちの老人を何かと頼りにするようになった。簡雍もまたもともと世話好きな性格なのだろう。街の者が頻繁に持ち込んでくる厄介事、葬式の手配や、結婚の仲人、借金の依頼に役所とのもめ事の仲介といったものを、喜んで裁いてやった。

 その裁可や、テキパキとした物事の進め方がいちいち確かだったため、いつのまにか簡雍はこの溺街の顔役的な存在になっていた。

 蘭の親達も蘭が簡雍の屋敷を訪ねるのに初めはいい顔はしなかったが、老人が必ず蘭の店から酒を買うようになったこともあり、やがて何も言わなくなった。

→ 花武担 第一章 武担(四)

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プロフィール

黒澤はゆま

Author:黒澤はゆま
歴史小説家。はゆまは古語で「早馬」「報せ」の意味。小説のことや歴史のこと、また日々の徒然のことを、「報せ」ていこうと思います。三国志を舞台にした小説「花武担」連載中。

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