高い城の男

高い城の男読了。

映画「ブレードランナー」の原作になった「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の著者、フィリップ・K・ディックの最高傑作ということで、最初身構えていた部分もあったのだが、普通に面白く読むことができた。

本作は、第二次世界大戦で日本とドイツが勝利し分割支配されているアメリカが舞台だ。大雑把に言うとニューヨークをはじめとする東海岸がドイツ、サンフランシスコ・シアトルなどの西海岸が日本領域になっている。

で、はゆまはSFものでアメリカ人の書いた作品だから、きっと圧政にあえぐアメリカ人がとてつもない科学兵器かなにかを発明し、ドイツと日本をやっつける話だと思っていた。

だが、そうではなかった。作中のアメリカ人は、ささやかな反発を覚えながらも、異民族からの支配という現実を「まぁ、ほどほど」という感じで受け入れ、その上で生活をよりよくしようとする、ある意味、良心的で優しい人たちだ。

これは、支配者側の主要人物、日本人たちもそうで、ちょっとアメリカ人を見下したところもあるが、皆概ね礼儀正しく、サディスティックな憲兵的権力を行使するような人は一人もいない。それどころか、あとがきによると、この作品で一番ディックの書きたかったヒーローは、ドイツとの関係に汲々と気を遣いながら、最後の最後でヤクザ映画の高倉健を思わせる大立ち回りをし、ユダヤ人をお前たちなんかに引き渡せないとドイツ人相手にたんかを切る田上らしい。

この作品は確かに歴史改変された世界を舞台にしているという意味では、SFなんだけど、普通のSFのようなとんでもない大破壊とか、あるいは逆の唐突な救済みたいなことは起こらない。強いていえば、作品の後半になって暴かれるドイツが日本を核攻撃しようとする計画、たんぽぽ計画くらいだけど、これも結局止められたのか、止められなかったのか曖昧なまま、田上の奮戦と倒れるまでを描いただけで終わる。

ディックは何を書きたかったのかなぁと色々考えてみたが、これは結局、運命に巻き込まれる側の人たち、つまり歴史の大きなうねりのなかで、否応なく敗者になったり、あるいは否応なく勝者になったりする、私たち大部分の身の処し方を書いた作品なのだ。運命に対する無力さということを強調するために、おそらく主要人物は皆、易に自分の未来を委ねようとしているのだろう。

一方、それらと対照的なのが、ドイツ人。やけに好意的に描かれる日本人に対し、ドイツ人は作中コテンパンに極悪人として書かれているのだが、そのドイツ人、特に指導者層のメンタリティを評してバイネスはこういう。

「彼らの観点――それは宇宙的だ。ここにいる一人の人間や、あそこにいる一人の子供は目に入らない。それは一つの抽象的観念だ――民族、国土。フォルク、ラント。血。名誉。りっぱな人々に備わった名誉ではなく、名誉そのもの。栄光。抽象的観念が現実であり、実在するものは彼等には見えない。善はあっても、善人たちとか、この善人とかはない。時空の観念もそうだ。彼らはここ、この現在を通して、その彼方にある巨大な黒い深淵、不変のものを見ている。それが生命にとっては破滅的なのだ…彼らは歴史の犠牲者ではなく、歴史の手先になりたいのだ。彼らは自分の力を神の力になぞらえ、自分達を神に似た存在と考えている」

作中のドイツ人だけでなく、歴史のなかで転轍機を握ってきた人々のある型を表現したまことに秀逸な言葉だ。

ディックは、歴史を作ってきた人間達がどのような人間だったかこう定義したうえで、そうでない無力な人たちのささやかな抵抗と魂の美しさを丹念に描く。世界がどうあるべきかでも、指導者がどうあるべきかでもなく。

先述のバイネスの言葉はこう続く。

「彼らが理解できないもの、それは人間の無力さだ。おれは弱くて、小さい……だが、どうしてそれが悪い? そのほうがましじゃないのか?」

第二次世界大戦の勝敗が逆になっていたり、作中、連合国側が勝った世界が舞台の仮想戦記小説が流行っていたりするのは、大きな歴史のうねりがどちらに転ぼうが、人どうあるべきかという根幹のところは決して変わらないということをディックが強調したかったからではないだろうか。

日本人の書かれ方が変に持ち上げられすぎてこそばゆい部分もあるが、この小説が発行された当時、1963年(東京オリンピックの一年前)の日本人はディックにはこう見えてたのかもとか色々想像して面白い。是非是非、読んで欲しい小説。

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プロフィール

黒澤はゆま

Author:黒澤はゆま
歴史小説家。はゆまは古語で「早馬」「報せ」の意味。小説のことや歴史のこと、また日々の徒然のことを、「報せ」ていこうと思います。三国志を舞台にした小説「花武担」連載中。

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