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文楽へゆるーく行ってみよう♪

11月9日(土)千日前の国立文楽劇場で「伊賀越道中双六」を見てきた。

「伊賀越道中双六」は、「曾我兄弟の仇討ち」「赤穂浪士の討ち入り」とともに日本三大敵討ちに数えられる「鍵屋の辻の決闘」をモデルにした壮大な復仇劇でとにかく長いのだが、今回は通しで観劇することに挑戦してきた。朝十時半から夜八時五十分まで一日中文楽の世界に浸りきってきたのだ。

「伊賀越道中双六」の具体的な感想については、また文楽かん劇日誌に書かせてもらうので、このブログではまだ文楽に行ったことがない人向けに、文楽の世界への手引きというか、文楽劇場の使い方について書かせてもらおうかなと思う。

◆まず最初に

まず、貴方が初めにすべきことは、下記の国立文楽劇場のHPにアクセスすることだ。そして、上演情報を調べよう。歴史好きの人なら有名な人物をモデルにした時代物が公演中かもしれないし、普段テレビドラマしか見ないっていう人も恋愛の極地である心中をモチーフにした世話物をやっているかもしれない。

友人に文楽に詳しい人がいれば、何がおすすめ?と聞いてみてもよいと思う。とにかく自分が興味もてそうな題目は必ずあるはずなので、それを調べよう。何といったって文楽というのは、江戸時代の大衆達、つまり貴方や私達のなかで育ってきた演芸なのだ。いってみれば、江戸時代の映画であり、テレビであり、漫画であり、アニメだったのだ。貴方を楽しますことの出来る演目は絶対にあるはずだ。

あっ、でもいきなり一日中ぶっ続けで見る通し狂言にチャレンジはやめようね。初めは「見取り(みどり)」といって、みどころ場面をいくつか上演するスタイルのものにしておくのがおすすめだ。

◆チケット購入

見たい演目は決まっただろうか。そしたら早速チケットを購入しよう。先ほどのサイトからも買えるし、チケットぴあやローソンなんかでも売っているみたい。当日券を文楽劇場の窓口で買う事も出来るが、売り切れている場合もあるだろうから、先に買っておくのが無難だろう。

◆劇場到着

国立文楽劇場は、大阪日本橋駅七号出口から徒歩一分。裏手がラブホ街というなかなかに微妙な場所だ。千日前通りという、大通り沿いなので何か魂胆がなければ絶対に迷わない。もし貴方が女性で、連れてきてもらった彼氏が「あれ、迷ったな」と、劇場に着く前に言ってきたら、そいつは色々と見込みがない。回し蹴りでも喰らわせたあと、自力で劇場までたどり着くようにしよう。

◆劇場に到着したら

さて、国立文楽劇場には上演開始の出来れば一時間前、最低でも三十分前には到着しておいて欲しい。というのも、上演前にパンフで予習をしてもらいたいからだ。買い方にもよるだろうが、チケットの発券が必要な場合はそちらを済ませたあと、一階の売店でまずこのパンフレットを買って欲しい。650円だ。床本という台本集もついてこの値段なのでなかなかお買い得と言っていい。

購入後は、ちょっとお高いが施設内の文楽茶寮でおうすセットを頼んでもいいし、さっさと二階にあがってチケットをもぎってもらったあと、大劇場前のロビーでゆっくりしてもいい。重要なのはパンフレットを読んでおくことだ。まず見るべきなのは鑑賞ガイド。これで演目の流れをざっくり掴んでおこう。そして次に見るべきは段ごとの梗概と役名、かしら名などを書いた解説。人物相関図が書かれている場合もあるから、これで物語の大枠をしっかり把握するのだ。

あれあれネタバレになるんじゃないの?と思う人もいるかもしれないが、そこはやはり平成を生きる我々の悲しさ。江戸時代だったら誰もが知っている英雄や史実も、またまさにニュースだったであろう、世話物のモデルとなった事件も何も知らない。文楽を最大限楽しもうと思ったら、どうしてもこの作業が必要なのだ。また、当然だが、謡も台詞も江戸時代の言葉になる。後ほど詳述する字幕もあるし、案外分かるものだが、それでも前もってこういう話かと分かっていると、理解度は段違いに高くなる。

最新の研究では、ネタバレが作品の根幹の面白さに関わることはないそうなので、ここは割り切って先にストーリーを把握するようにしておこう。そして、恐らく、もうこの時点で貴方は現代の映画やテレビではあり得ない過激な展開があることに気付き、愕然としているはずだ。出来たら、その愕然とした部分に線を引くのもいいかもしれない。集中力をあげていくべきところがどこか分かるからだ。

◆席につこう

さて、トイレも済まし、売店でコーヒーなりペットボトルなりを買ったら、開演十分前くらいに二階の大劇場に入ろう。チケットは例えば「中央座席11列12番」みたいな感じで座席名が記されてある。まぁ迷わないとは思うが、うっかりもののはゆまは中央座席という部分を見落として右側座席に座ってしまったことがある。不安なら案内の人もいるので聞いてみてもよいかもしれない。

席についたらざっくりとまわりを見渡そう。前方真ん中に大きな垂れ幕の降りた舞台があり、その上に字幕のあらわれる細長い液晶ディスプレイがある。舞台左手には時計と休憩時間に入ったら残り時間を示す電光掲示板。そして右手の壁から客席を見下ろす感じで張り出しているのが物語を語る太夫や三味線の座る場所で「床」という。彼等がどう登場するかは楽しみの一つ。ここでは語らないので実際に自分の目で確かめて欲しい。

◆劇中

さて劇がはじまった。初めのうち貴方は「あれ?人形浮いてない?」とか「人形動かしている人顔出てるやん」とか色々違和感を感じるかもしれない。だが、心配ご無用だ。アニメや漫画で鍛えられた日本人には、誇張や省略など、あるものをなしとし、ないものをあるとする独特の眼力がある。しばらくすると、ただの書き割りのまさに人形にしか見えなかったものが、血の通った確かな存在感を持った人間に見えてくるのだ。それまでにかかる時間は個人差はあるだろうが、十分から三十分ほどだろうか。とにかく、劇場に入れば感覚が変質する瞬間が必ずある。そのことを信じて、最初の違和感については耐えて欲しい。

人形が人間に見えるようになってきたらあとはしめたものだ。三味線の玄妙な響き、太夫の地の底から轟くような神韻たる語り。そうしたものに、貴方の魂はもみくちゃにされながら、物語世界の底へと引き込まれていくだろう。そこは現代日本では通常ありえぬ、夢のような、そして一種のおどろおどろしさも秘めた呪術的な祝祭空間だ。

勿論、言葉も使った演劇である以上、どうしても理性を働かせ台詞の意味も理解しなくてはならない。そのためには、舞台上方の字幕、また舞台、ときにパンフ付属の床本など、視線が忙しくなるだろうが、これも慣れだ。回数を重ねるにつれ、段々に上手になってくる。また全ての台詞を全部しっかり把握する必要も決してない。時に分からないところは、分からないままで放っておいて、物語世界へまず全身で浸りきることのほうを大事にしてもらいたい。

◆ちょっと疲れたら

とはいえ、見所だけ抜き出した「見取り」でも最低二時間かかるように、文楽の演目の多くは長丁場。余りの情報量の多さに集中力が途切れたり、時には眠くなってしまうこともあるかもしれない。そこで無理して、いやいやこれは高尚な伝統劇なんだからしっかり見なきゃと、変な使命感に駆られる必要はないと思う。

何度も言うが、文楽は大衆のなかから産まれた芸術だ。つまりはわたしや貴方のものだ。江戸時代は八百屋の八つぁんや、魚屋の鉄や、団子屋のおとよちゃんが夢中になって見ていたものなのだ。彼等は佐敷に座って時に弁当を食べたり、お酒を過ごしたりして、適度に気を散らしながら、長丁場の舞台を見ていたはずだ。

文楽の脚本もよく出来ていて、必ずギャグパートというか、ふっと気をゆるめていい筋がある。江戸時代は、お客もその辺の呼吸はよく心得ていて、そういった節に劇がさしかかったら、おしゃべりしたり、弁当を使ったりしていたのだと思う。なので、疲れたり、集中力が途切れたりしたら、貴方もあまり気にせず字幕や床本を見て疲れた目を休めたり、座席で見苦しくならない程度に、ストレッチしてもよいと思う。

◆惨劇

劇がクライマックスに進んでいくにつれ、大劇場のなかは、舞台と観客席、一体となって緊張が高まってくる。それは嵐の前の、不穏な空気にもどこか似ている。不思議なもので、前節に書いたように途中途中ちょっと集中力が途切れたとしても、クライマックス間近になると自然と自分の意識は舞台に向けて収斂されていく。それが、数百年、練磨に練磨を重ねた脚本の妙であり、太夫・三味線・人形遣いの方々の卓越した技量なのだ。

文楽の脚本には必ず、一つか二つ、ひ弱な現代的良識では考えられぬ、酸鼻を極めた展開が含まれる。祝言の宴の横で括り殺される子供、ようやく会えた父親によって喉を抉られる嬰児、焼きごてを自分の顔に押しつける貞婦。

パンフによって予習した貴方は、これまでの展開ですっかり感情移入した人形達がどんな運命を辿るかを知っている。しかし、貴方の血はざわざわと妖しく騒ぎ、本来なら目をおおって避けたいはずの惨劇を見たくてたまらなくなっている。

その感覚は、剣闘士同士の試合の勝敗が決まった後のローマのコロッセウム、幾本もの剣を受けさしもの猛牛も膝を折ったときの闘牛場、数ヶ月に及ぶ饗宴の後美々しく着飾った壮健な少年と少女が生贄の台へと昇っていくアステカの祭壇、これらの観客達に似たものだ。

やがて、床に幾人もの太夫と三味線が並び、惨劇の幕が開く。貴方の顔に驟雨のように人形達から流れる血が降り注ぐ。

◆劇が終わったら

劇が終わり、席から立ち上がる。貴方は昂揚し、すっかり満足した自分に気づくはずだ。この後は、ちょっと値は張るが、併設の文楽茶寮で昼食か夕食を食べ、イタリアンスーツを着たリーゼントの紳士が着物姿のお姉さんを口説いているという文楽劇場ならではの光景を眺めてもよいと思うし、恋人か友達と来たなら居酒屋なりバーなりに行って、劇の感想を言い合うのもよいかもしれない。

何にせよ、文楽はかび臭い博物館の奥に陳列された骨董品ではない、生々しい毒も孕んだ生きたエンターティメントだ。一度行ってみれば、必ず貴方なりの楽しみ方を発見できるはず。奥深い文楽の世界に、一人でも多くの人が参加してくれることを願う。

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三国志連載小説
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プロフィール

黒澤はゆま

Author:黒澤はゆま
歴史小説家。はゆまは古語で「早馬」「報せ」の意味。小説のことや歴史のこと、また日々の徒然のことを、「報せ」ていこうと思います。三国志を舞台にした小説「花武担」連載中。

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