なぜ子供を投げ捨てるような人がリーダーに選ばれるのか?

項王は西のほうに廻って、簫から夜明けに漢軍を撃ち、東して彭城に行き日中大いに漢軍を破った。漢軍がみな逃げ出すと、追撃して穀水・泗水に入り、漢卒十余万人を殺した。漢王は道で孝恵と魯元に会い、自分の車に載せた。楚の騎兵が追って来たので、漢王は危急になると孝恵・魯元を車の下に推し堕とした。夏侯嬰はそのたびに拾い上げて車に載せ、このようにすること三度であった。夏侯嬰は「いくら危急で早く駆けつけることができないからとて、どうして棄てるわけにいこう」と言った。こうしてついに逃れることができた。


上記は、劉邦について書かれた書物なら、大抵どんなものにでも載っているエピソードである。

拙著「劉邦の宦官」でも取り上げたが、ひどい話だ。あきらかな児童虐待だし、投げ捨てられた子供達がどれほど傷ついたかということを考えるといたたまれない気持ちになる。しかし、ここで疑問に思うのが、なぜ子供を投げ捨てるような人がリーダーに選ばれるのか?ということだ。

一つ提起できるのが下記の仮説。

「昔と今では価値観が違う」

司馬遼太郎氏は劉邦の行動について、儒教的価値観からすれば、子供はいくらでも産めるのに対し、親には代わりがない。この状況の場合、むしろ子供の方が親のために積極的に自分の身を捨てるべきで、劉邦は自ら手を下して、儒教の求める親孝行を実施させたに過ぎず、彼の行動にはなんの問題もないのだと擁護していた。

が、元々劉邦自身儒者の冠をひきむしってはおしっこを引っ掛けていた人だし、付き従う子分たちも老荘思想の方に強い共感を覚える楚出身の人ばかりだ。劉邦含め、彼らの日常的価値観のなかに、子が親のために犠牲にならなくてはならないなどという儒教的なものはない。(そもそも、儒教も厳密に言えば、ここまで極端に子供の犠牲を強いる思想であるとは思えない)当時の一般的な感覚から言ってもやはり親が子供を投げ捨てるべきではなく、親は子を守り愛おしむべきものだったのだ。

しかし、このエピソード後も、夏侯嬰含め、劉邦を支える子分達の忠誠心が揺らいだような形跡は一つもない。それで、また、冒頭の疑問に戻ってしまう。

「何故、子供を投げ捨てるような人がリーダーに選ばれるのか?」

その答えをカリスマというキーワードを元に(wikiを参考にしながら)説明していこうと思う。

まず、カリスマとは劉邦のように、人々を魅了したり信服させるある種の人格上の特質や魅力のことを指す。カリスマは、宗教社会学における「聖なるもの」と、その非合理な点において似ている。宗教社会学において「聖」とは人間の社会生活の中で例外的に世界の根底にある究極的秩序にふれているものとして、日常的秩序を支え、あるいは破壊し新たな秩序を創造する性格をもつとされる概念である。カリスマは、宗教上の神や偶像のように聖性を帯びている。

また、カリスマは、善悪という価値判断からはまったく自由、価値自由な存在である。

動乱期の軍事集団、つまり劉邦と共に旗揚げした沛集団にとって望むことは、現在の戦乱の原因となった日常的価値観を徹底的に破壊し、新たな秩序を作ることだった。そのためには、自分たち衆愚のものには見えない世界の根底にある究極的秩序に触れえる特殊な人間を選ぶ必要がある。

逆に言えば、子供を投げ捨てるような人なのにリーダーに選ばれるのではなく、子供を投げ捨てるような人だからこそリーダーに選ばれるのである。

「兄ぃが息子さんを馬車から投げ落としたそうだぜ」

という噂が広まったとき、沛出身の子分たちは、困惑の表情を浮かべるとともに、内心では満足の気持ちを抱いたはずである。自分たちのリーダーが、退屈でくだらない善悪の判断からは遠く離れた価値自由な存在であることに、半神的、あるいは怪物的驚異を感じ、「さすが兄ぃ」と快哉を叫んだと思う。

また、集団のカリスマというのは、実はその属員の誰よりも、集団に対する忠誠心、帰属心を強く求められる。あの敗走のとき、劉邦はその集団から、神から自分の息子をいけにえに捧げるよう求められたヤコブのように、自分の息子を差し出せと試されたのである。

カリスマ的リーダーというのは最も自我の強い存在であるとともに、最も自我の弱い存在である。彼らの自意識はトランス状態の巫女のように無防備で、集団と自己との境がない。真のカリスマが集団の真に求めていることを見逃すことはない。

劉邦は、そのテストを見事にクリアした。

ただ、一方で、投げ捨てられた子供達をいちいち戦車を止めては拾い上げた、夏侯嬰という中程度の才能を持った苦労皺の多い戦車隊隊長がいたことは、カリスマを最終的には日常的地平のもとに落ち着かせる存在もまた、動乱期の軍事集団には必要だということを指し示しているように思う。

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黒澤はゆま

Author:黒澤はゆま
歴史小説家。はゆまは古語で「早馬」「報せ」の意味。小説のことや歴史のこと、また日々の徒然のことを、「報せ」ていこうと思います。三国志を舞台にした小説「花武担」連載中。

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