平野は怖い

はゆまの実家のある宮崎平野は、結構広い平野なのですが、本格的に開発されたのは明治時代以後で、それまでは民家がたった五軒ある程度の荒野だったそうです。真ん中を大淀川という大河が流れていますし、幾らでも水田を作り放題だったろうになぁと思うのは、素人考えで、実は平野部の開発というのは、ハイリスク・ハイリターンな事業なのでした。

まず、平野部は盆地や山岳部と違い身を守るものが何もありません。また、山岳部で棚田を作るのと違い、平野部での灌漑事業には、一キロで数十センチほどの傾斜の水路をつくるといった高度な技術力がいります。そして、東日本大震災での記憶が新しいように、海川、両方からの水害に誠に弱い。

大阪平野でも、四天王寺や住吉大社、また難波宮といった古い建造物が、全て上町台地の上にあるように、昔の人は海際の平野は危ないということを経験から知っていました。東日本大震災でも、昔の城や街道があった場所は、ほとんどが無事だったそうです。

どうも人類が農耕という技術を身につけてから、それを平野部で展開するまでには、無数の挑戦と失敗があったように思います。ナイル、メソポタミア、華北、文明発祥のいずれの地でも、ノアの洪水伝説に似た神話を伝えています。山岳部で細々と焼き畑や棚田式の農耕を行っていた集団が、大河の畔で新しい農業の仕方を展開しようとして、集落を作ったのも束の間、洪水によって全滅する、そういったことを繰り返していた時期が人類にはあったようです。ノアの伝説は、「だから、平野に降りていったら駄目だぞ」という戒めのために語られていたのでしょう。

ただ、そうした戒めもむなしく、勇気と知恵、そして起業家精神に満ちたリーダーに率いられた大集団が、好運にも恵まれ、大河をコントロールし、目の届く限りの地平を埋め尽くす水田や畑を作ることに成功します。それは都市、顔見知りでない者同士が一つ所に住んでいる場所の誕生、そして文明の誕生と同義でした。

翻って宮崎平野のことを考えると、結局、旧国名で言うところの日向の地に、この平野の隅々まで満たすほどの大権力があらわれなかったのが、ほったらかしの原因だったのだと思います。戦国の伊東氏は十分成長しきるまえに島津氏に倒され、江戸期も日向国は幾つかの大名によって分割統治されていました。宮崎平野を本格的に開発できる大権力が宮崎に現れるまでには、明治近代国家の誕生を待たなくてはならなかったのです。

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黒澤はゆま

Author:黒澤はゆま
歴史小説家。はゆまは古語で「早馬」「報せ」の意味。小説のことや歴史のこと、また日々の徒然のことを、「報せ」ていこうと思います。三国志を舞台にした小説「花武担」連載中。

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