岡田史子 語られる前の物語達

前から気になっていた岡田史子の作品集「オデッセイ1966~2003―岡田史子作品集 (Episode1)」をアマゾンで購入。今日、読了した。

岡田史子を知らない人のために、その略歴を説明すると、1949年、北海道静内郡静内町(現・日高郡新ひだか町)出身の少女漫画家で、その詩的な作風の漫画は、萩尾望都、手塚治虫、など錚々たる作家達に評価され、天才の名をほしいままにした。一般にはマイナーだが、漫画家のための漫画家といわれる作家である。

大好きな飯沢耕太郎のエッセイ「戦後民主主義と少女漫画」で紹介されていたので、前から読もう、読もうと思っていたのだが、今回初めて念願かない、手にとってみた。

が、やはり、もう40年以上前の漫画。画が古臭い、ていうか稚拙。そして、話も筋らしい筋がなかったり、あっても単線的なものばかりだ。最初は、う~ん、これが天才……?と思った。

だが、読み進めていくうちに、不思議とざわざわ、ざわざわ、心がざわつくものを感じる。大脳新皮質、理屈とか論理の世界では理解できないんだけど、そのもっと奥、無意識の世界にある、何かやわらかいものが、揺さぶられている感じ。ちょっと、たとえは悪いが、心の病んだ人の文字や絵を見るときの感覚と似
ている。時々、怖くなって、本を閉じたりもした。

これはいったい何だろう?

しばらく考えてみて、ここに描かれているものは、皆語られる前の物語たち、原物語とでもいうべきものたちなのだ、ということに気づいた。まだ、三歳とか四歳の子供が、何か語ろうとするとき、それは断片的なイメージばかりになって、一向に構造と流れを持ったいわゆるオハナシにはならないのだが、この作品集の漫画もそれに似ている。

一般に漫画にせよ、小説にせよ、物語の作り手というものは、意識の世界から無意識の世界にダイブし、水底に眠った原物語を見つけてつかまえる。そして、海女のように浮上したあとは、絵の技術であれ、言葉の修飾(レトリック)であれ、意識の世界で培った技術で加工し、人に聞かせたり、見せたりするにたるオハナシに加工するのだ。海底の珊瑚や真珠を、人が身につけることの出来る、指輪や首飾りにするのと、その作業はどこか似ている。

が、岡田史子の漫画というのは、その珊瑚や真珠に比況できる、原物語群が、元型のまま、ごろごろと、未加工で転がっているのだ。そして、その荒っぽい、宝石たちの輝きの豊潤で、まばゆいこと……

岡田史子の漫画について、ネットのレビューを見ると、はゆまが当初感じたように、わけが分からないと感じる人も多いようだ。萩尾望都をはじめとする、漫画家たちの熱狂ぶりと、それは対照的だ。実際、下記の岡田史子自身のインタビューからも分かるとおり、デビュー当初から、彼女の称賛者は、物語の作り手側の人たちだった。彼女の別名は「漫画家のための漫画家」でもある。

今回の出版はありがたいことだけれども、嬉しいというより、不思議な感じがしますね。東京に住んでいたころには、ファンの人がたくさん集まってきて、男性はたいてい私に恋をしたりしてね。わたしに直接会うと、漫画以上にわたし自身に興味を持たれることがよくあったんです。わたしの漫画の話はほとんどしなかった。みんな自分でも描く人だったしね。



この反応の違いは、材木を見るときの、大工と一般人の反応の違いに例えてよいのかもしれない。一般人から見ればただの杉の柱でも、大工から見れば、「この太さと長さ、しかも節が一つもない上にまっすぐだ。こんなやつで家を建てたいもんだねぇ。施主はどんなすげえ建物を建てる気なんだろう」そう感じるのだ。

少女マンガ家の中で、最も技巧に長けた、つまり意識の力で無意識をコントロールするのに長じ、そのために長命で、いまだに現役の作家、萩尾望都が、岡田史子に夢中になったのも必然だったのかもしれない。萩尾望都は、夢中になるあまり、断筆状態だった岡田史子を呼び返し、1990年に復活させたりもする。

が、結局、岡田史子は、技術を洗練させることはなかった。先述の一時的な復活もあったものの、すぐに再び筆を折り、さっさと田舎に帰ってしまう。言ってみれば、珊瑚や真珠は砂浜に、すばらしい材木は建築場で野ざらしのまま、ほったらかしにされた。闇に消える蝶の鱗粉のように、可能性の予感だけを、ふりまくだけ、ふりまいて。

創作を少しでもやった人なら分かることだが、実は、文章や絵を彫琢していくうえで、失われるものは幾らでもある。洗練された文章や絵で描かれた漫画が、読んでいるうちはいいが、読み終えて本を閉じたら、あれっ、自分のなかに何も残っていない。蒸留し過ぎたリキュールが、原材料の風味を舌に残さないのと同じく、技術で得ることも100あるが、同時に失われることも100あるのである。岡田史子にとっては、洗練なしで、「丸ごと」紙面に描くことの方が大事だったのだろう。一作ごとに、画風を変えたという姿勢からは、絵柄が洗練されていくことを積極的に拒否している気配が感じられる。

2005年に彼女はまだ51歳の若さでなくなった。漫画家としては決して若いという年齢ではないが、それでも、彼女の場合惜しいと感じさせるものがある。語られる前の物語たちは、彼女とともに、紺碧の水底へと沈んでいった。それは、決して、浮かび上がることない、誰にも目の届かぬ場所で、彼女の人生と同じ、なぞめいた光を放ち続けている。

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プロフィール

黒澤はゆま

Author:黒澤はゆま
歴史小説家。はゆまは古語で「早馬」「報せ」の意味。小説のことや歴史のこと、また日々の徒然のことを、「報せ」ていこうと思います。三国志を舞台にした小説「花武担」連載中。

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