「姪っ子のごんぎつねの感想が問題になっているんだが……」に言寄せて

はゆまの昼間の仕事はいわゆる社内SEというやつで、毎日カタカタカタカタ、プログラミングをしています。

コンピュータはもの凄く頭のいい面もあるが、基本馬鹿なので、どんなことでも指示通りにやってしまいます。一度などは、誤って、オーストラリアとシンガポールの在庫を逆につけ替えてしまいました。グローバルな会社では、ミスもグローバルですね。そのときは、先輩から半殺しの目にあわされたあと、「コンピュータは誤読はしないぞ。誤ったプログラムはあっても、誤った解釈(コンパイル)はないからな」と言われました。

さて、一方、夜の仕事。夜の仕事も結局は、コンピュータのディスプレイに向き合って、カタカタやっていることには変わりはありません。文章(ソース)を書いて、他人に見せ、解釈してもらう。コンピュータが人に変わっただけで、実は昼も夜もやっていることは一緒だったりします。

プログラムが、ただそれをテキストファイルとして置いておいても意味がないように、はゆまの夜書いた文章も人に読んでもらわないと、何の価値も産み出しません。小説が完成するときというのは、最後の「了」という一文字を作者が打ったときではなく、誰かが読んで解釈し、物語世界がその人の頭のなかで立ち上がったときです。だから、夏目漱石の「こころ」などの百年続くロングセラーは、今このときも誕生しつづけています。

ただ、コンピュータの場合は、どのマシンに、はゆまのプログラムを入れても、同じ動きをします。バグを含めて、全く同じ動きです。まぁ、クソmicrosoftのバージョンアップという名の改悪のせいで、vbaマクロが突然動かなくなったりはしますが……それはあくまで例外です。

一方、小説の方は、その反応は人様々。ある人は泣いて感動するかと思えば、ある人は「何これ」と放り出す、またある人は「こんなの小説じゃない」と怒り出す、あるいは笑い出すなどなど。百人いれば百通りの反応が返ってくるはずです。

物語を表現する媒体は数多くあります。映画、漫画、演劇、アニメ、ゲーム、パントマイム、絵画、焼絵ガラス、会話などなど。そのなかで、文字だけで表現する小説は、最も情報量が少ないメディアです。例えば、長編小説は一般に20万文字あると言われています。これをバイト数に変えるとたった40万バイト、最近のゲームやDVDに収められた映画の情報量と比べてみると、映画2時間で約4.8ギガバイトだから1000倍以上の差があることになります。

これは表現者にとっては一面不利になることです。例えば、「赤い」と書いたとしても、この文字から連想される色は、人によって様々。文字表現では、伝えたいことを、百パーセント伝えきることは絶対出来ません。これが映画なら赤い何かを映像情報として出せばいいだけですから、その優劣は絶対的なものです。

情報量が少ないということは、物語を受け取る側に多大な負担を強いるということでもあります。この小説の情景描写は凄いとかいう批評が載ることがありますが、でも、それは嘘っぱちです。だって小説なんて結局本だったら全てインクの染みだし、ネットだったらただのスクウェアの発光体の集まりです。直接情景描写をしているのは小説ではなく、受け取る側の脳です。皆様の大脳がフル回転して、文字によって喚起された映像を作り出そうとしているのです。褒められるべきは受け手の脳のほうで、書き手のほうではありません。

何度も言っている通り、小説は読み手によって完成させられます。他の媒体と違い小説は作り手側と読み手側の共同作業によって物語が作られるという性格が強いのです。その割合は5割といってもいいくらいだと思います。

しかし、この媒体としての不利こそが、小説がこれまで生き延びてきた所以であり、そしてこれからも生き延び続ける理由になります。読み手側の判断や経験に多くが委ねられ、解釈の自由度が高いという点が、小説の利点なのですね。

さて、長い枕が終わって、タイトルの件について。(騒動のあらましについてははてな匿名ダイアリーさんのまとめをチェックしてね)一旦了となった小説のテキストに対する距離は、書き手と読み手で等距離です。なので、書き手は読み手の読み方に対し、ケチをつけることは決して出来ません。プログラムと同じく、誤った解釈というのは、単純な事実誤認とかをのぞけば、ないのです。

で、はゆまが思うに、書き手ですら、その読み方に対し誤読だなんて言う資格はないのだから、この姪御さんの感想について教育者がおかしいということ自体おかしいと思います。むしろ中学生という年齢の割りに、姪御さんは、よくテキストを読み込んでいる方です。自分の経験もふまえ、きちんと考えを述べている点も素晴らしい。

勿論、もう少し、ゴン側の都合を斟酌してあげればという思いもあります。が、それはまた年齢を重ねれば同じテキストでも違った風景が見えてくるはず。よい小説というのは年齢に応じて違う色合いや艶を見せてくれるものなのです。

それよりも心配なのは、この騒動のせいで、姪御さんが萎縮し、教育者におもねった凡庸な感想文を書くようになるのでは、ということ。書き手側からすれば、議論が深まる感想や考察は大歓迎で、「あぁ~そういう見方もあるのかぁ」というレビューが絶賛よりも実は嬉しかったりするのですけどね……なので、姪御さんは、これに負けず、どんどん教育者の目を剥かせるようなユニークな書評を書いていって欲しいものです。

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プロフィール

黒澤はゆま

Author:黒澤はゆま
歴史小説家。はゆまは古語で「早馬」「報せ」の意味。小説のことや歴史のこと、また日々の徒然のことを、「報せ」ていこうと思います。三国志を舞台にした小説「花武担」連載中。

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