花武担 第三章 姜維(五)

 朝廷だろうが、のっぽ(孔明)率いる丞相府だろうが、国の施設に居る人間を、自分の作ってやった砂場で遊ぶ子供程度にしか思っていない簡雍も、さすがに打擲事件まで起こしてしまうといたたまれない。太学の構内を仕事の終わった盗人のように、こそこそと走った。

 走りつつ、脳裏に甦るものがあった。

 それは、八年前、劉備の皇帝即位式のときの光景である。

 武担の南麓に築かれた壇の上、文武百官の歓呼の声のなか、劉備は皇帝となったが、簡雍は、あれほどつまらなそうな顔をした旧友を見たことがなかった。すでに関羽は亡く、張飛も任地の閬中の情勢不穏で出席することが出来なかった。さらに言うと、張飛には、その数ヶ月後に部下の手によって横死する運命が待っている。それで、旗揚げ時の五百人のうち、哥哥の夢の結末を見たのは、簡雍だけだった。

 本来、哥哥の回りに居るべき五百人の壮士の代わりに群れ集っているのは、黒い儒服を着た、青衣侯の向挙、従事祭酒の何宗、議曹従事の杜瓊といった学者達だった。夢の骸を貪りに来たカラスの群れのように見えた。

 それら、カラス共の首魁というべき男に、許靖というものがいた。

 太傳、皇太子の守り役という、国の最高職ではあるが、何の権限もない役職についていたこの老人は、かつて従兄弟の許劭とともに、人物評で名を売ったという、過去の評判以外に何の内容もない見事な愚物だった。

 一時、董卓のもとに仕えていたが、彼が推挙した人間がことごとく挙兵し、謀反を起こしたため、危うく殺されそうになっている。別に魂胆があってのことではなく、許靖にとっても意外なことであったらしい、慌てて董卓の元を逃げ出すと、あとは各地の群雄の元を転々とし、乱が及びそうになると逃げる、ということを繰り返した。

 最後には流れ流れて、蜀の劉璋のもとに仕えることになったが、劉備入蜀の際、陥落直前の成都からまたも脱出しようとして、とらえられた。

 劉璋降伏後、劉備のもとに引き出されたが、彼もさすがに、任用するのを嫌がった。だが、参謀の法正が、「これでも虚名があります。彼を任用しなかったら、君子を軽んじていると、中原の名士が騒ぐでしょう」と言ったため、やむを得ず、起用することとなったという人物である。

 簡雍はこの男を完全に弱虫毛虫扱いし、同席するのも嫌がった。たまに同じ席になると「死に損ない目」と人前で罵ったが、やはり、名士というのは、心の置き所が常人と違うようで、あまり痛痒も感じていないようだった。

 そんな虫けらのような男が、大学者であるという虚名により、式典の最も華やかな席に座り、その全てを麾下の学者達と取り仕切っているのである。実務においては鉄腕という他ない孔明も、礼法の知識はさほどで、学者連の言うことを聞くほかないようだった。

 五色の玉簾のある冕冠と、黄色の裾長の冕服を着て、カラス共に囲まれた劉備は、荘重というより、道化じみて見えた。

(あの樫の木の下で願ったことのとどのつまりがこれか)

 と、思うと、簡雍は、可哀想で仕方がなかったことをよく覚えている。

 足元の石をひとつ簡雍は蹴った。

 いつの間にか、太学の正門まで来ていた。

 下校しようとする諸生を乗せる馬車のために門前は混雑し、御者達の怒号が響いている。

 簡雍が門を潜ると、ちょうど、きわどいところを馬車が通り過ぎた。

 馬があがいたので、御者が馬上から鞭を振るおうとしたが、さすがに老人と見てそれは遠慮し、

「爺、気をつけろ」

 と、罵った。

 簡雍は道の脇にそれてやりながら、いわば天敵であった、許靖のことをさらに考えていた。

 その後、許靖は、蜀で高禄を食みながら、実質的な仕事は何もせず、ただただ、王郎や華歆や陳羣といった中原の名士達からの手紙を心待ちにするという、むなしい晩年を過ごし、昨年ようやくその空虚な人生を閉じた。

 これが、成都の太学の初代博士祭酒(大学総長)である。

 洛陽のものを模しただけで、何の独創性もない、この太学は、中原の乱から逃げ続けながら、その中原を恋い慕うということだけはした、無内容な男の人生そのもののようだった。

 道の脇を進んでいくと、ちょうど目の前に、後漢の太学者であった蔡邕の石碑の「写し」があった。簡雍の背の二倍ほどの大きさがある。

(何が、蔡邕じゃ)

 簡雍は思った。

 詩・賦・碑・誄・銘・贊・連珠・箴・吊・論議に通じた後漢最大の大学者であったというが、乱世に対して何ほどのことも出来なかった男である。後漢末期の朝廷に仕えたが、董卓と王允の争いに巻き込まれ、手もなく殺されてしまっている。

 簡雍は石碑の側に植わってある、槐の木を見た。高さは一丈、石碑ほどあり、幹の太さは大人の腰ほどもあった。その幹を二、三叩くと、簡雍はがっしりと抱きついた。

「おい、あれを見ろ」

 徒歩で帰る途中らしい、諸生の群れが笑いさざめいた。

「爺さんが、蝉みたいに木に抱きついてるぜ」

「おい、爺さん、ばあさんと勘違いしてるんじゃないのか。もっとも、虚があったら、ばあさんよりは、よほど具合がいいかもしれんが」

 罵声を背中で聞きながら、簡雍は筋肉を緊張させた。

 みしみしと木が震えだし、ぱらぱらと葉が落ち始める。

(何が太学じゃ)

 心のなかが、太学が象徴するもの、例えば、名士や学者、学問といった、つまりは、彼や関羽や張飛に意地悪ばかりしてきたものどもに対する怒りで満ちてきた。

 根が土を盛り上げ、つち固めた道にいくつものひび割れをつくる。

 先ほど簡雍のことを嘲った諸生達の顔色が変わり、望楼のうえの兵士が、異変に気づいた。

「おい、お前、何を」

 兵士は望楼の縁から身を乗り出しながら叫んだ。

 しかし、簡雍は構わず、

「ええい」

 と、気合い一閃、ついに槐の木は引き抜かれた。

 彼は、それを丸抱えにすると、うなりをあげさせながら横薙ぎした。

 木は、ちょうど蔡邕の石碑の、孝経、開宗明義章の冒頭の部分、あの栗が言った言葉、「身體髮膚、受之父母、不敢毀傷、孝至始也」の部分に直撃した。

 石碑は粉々に砕けた。

 さらに基盤の部分が倒れて、別の石碑にあたる。

 ガン、ガン、ガン、ガン、ガン。

 将棋倒しがはじまった。

 先ほどの諸生が巻き込まれそうになって、悲鳴をあげながら逃げ惑う。

 望楼の兵士が「ひぇっ」と、素っ頓狂な声をだして、階段を駆け下りようとしたが、足を踏み外し、転がり落ちた。

 有り難い六経は次々に塵芥に帰し、聖賢の言葉は空に消えた。

 将棋倒しは、石碑の側に停めていた馬車にあたって、ようやく終わったが、それまでに、四十六枚、総字二十万字の石碑のうち、二十枚、八万五千字が失われていた。

 あまりの惨劇に、その場にいたものは、皆声がない。

 公達達は、白昼に魔物を見るような目で、天災のような災害を一人でなした老人を見ている。

 簡雍は、槐木を放り投げると、それらよいとこの坊ちゃん達に、はらわたまでひっくり返りそうな大声を出した。

「何を見てやがる!」

 徒歩の諸生達は大慌てで逃げ散り、あれほど、混雑していた馬車の群れ共は、誰が整理したわけでもないのに、生前と列をなして駆け去っていく。御者達は、皆、奇妙に生真面目な顔をしていた。
 望楼の兵士も、ようやく地に降りてきていたが、何と彼まで這々の体で逃げ去った。


「あっ、帰ってきたよ」

 張嶷が、院子から庭園へと入る小門を潜ってくる簡雍をめざとく見つけた。

 もう一番星が東の空にまたたくような時刻になっていたが、まだ蘭と張嶷は簡雍が帰ってくるまでは、と庭園で頑張っていて、李負が「夕餉はここで澄ませましょうか」とあずま屋の卓のうえに魚油の入った油皿を置いたところだった。

 簡雍は、いつになく肩をいからせながらこちらへ歩いてくる。

 彼があずま屋に着くまで待ってから、蘭は声をかけた。

「ねぇ、太学の選科のことなんだけどね」

 簡雍は、席につくと、幘(さく)をほどき、ざんばらになった、頭をいらだたしげにかきむしりながら、

「何、太学だと。あんなもの馬鹿が行くところだ」

 と、言った。

「ええっ」

 蘭は思わずぽかんと口を開けた。

「学者も諸生も行ってみたら、皆、青二才ばかりだ。しわのない、犬のような顔をしてやがる」

「だ、だって……いい師と友達に会えるところだって言ってたじゃない」

 蘭と張嶷は、最初、太学に行くことに気乗りしていなかったが、何を専攻しようかなどと話しているうちに、興に乗り、今はすっかりその気になっていたのだ。

「春秋経を専攻しようかな、と思っていたのだけど」

 そう張嶷が言うと、

「それなら、わしが教えられる。雲長のやつが詳しかったからな」

 簡雍は、たもとから、奪ってきた本を出して、卓子の上に置いた。

「ほれ、お前が欲しがっていた本だ。学問なんて場所を問わず、自分で出来る。国の禄をもらってるくせに、世俗のことには関わらず、なんて嘯くやつから何を教わることがあるか」

 簡雍は、李負から、酒壺を受け取ると、杯にもつがず、直接縁に口をつけてあおった。そして、大きなのど仏を盛んに上下さて、あっという間に飲み干してしまうと、対岸の太学を指差しつつ「いいか」と言った。

「いいか、あんなもの馬鹿が行くところだ」

 蘭と張嶷は、顔を見合わせて、「はぁ」と溜息をつくほかなかった。

→ 花武担 第三章 姜維(六)


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花武担 第三章 姜維(四)

 成都の太学は、学舎が二百四十房、教室の総数は千八百五十室あり、さらに、教授や諸生の住まう寮や、書籍や紙を売る市、学内で罪を犯した者を収容する獄まで備えられている。

 簡雍は、半日かけて、これらの建物が郡立する構内を駆け回り、教授連と交渉しようとしたが、はかばかしくなかった。

 そもそも、建物が多すぎて、どこに教授がいるかもなかなか分からなかったし、噂の方が簡雍の足よりはやく、やっと、房を突き止めても、居留守を決め込こまれる場合の方が多かった。

 教授は、蜀科により、十四人と決まっているが、その十三人までから、居留守か、婉曲な拒絶を言い渡されると、簡雍は泣きたい気持ちになってきた。

(一体、この若僧達は自分のことを何だと思っているのか)

 涿郡の簡憲和といえば、魏・呉でも、戦慄をもって聞こえる名だ。

 また、この国の成り立ちをさかのぼっても見よ。

 劉備・関羽・張飛という、我の強い難物達が次々に巻き起こす厄介事をこつこつ片付けてきたのは一体誰であったか。

 成都攻略の際、劉璋に対して難しい交渉をやり遂げたのは一体誰であったか。

 さらに言えば、そもそもこの国は、生家の斜め向かいにいた狂児の、「いつか皇帝になる」という戯言を、それこそ幼児の頃から、自分が真剣に聞いてやったおかげで、出来たのではないか。

 簡雍の履歴は蜀という国と切り離しがたく密に結びついている。いわば、親が子に持つのと、まったく同じ気持ちを、この国に対して抱いていた。しかし、今、その子に、「誰だ、お前は?」という顔をされ、差し伸べた手をは無慈悲にらいのけられたのである。

(可哀想に)

 簡雍は、自分を憐れむと同時に、張嶷のことを思った。

 簡雍の人生のなかで、中等で学問を放り出してから、劉備の挙兵に参加するまで、つまり、十四歳から二十歳までの間というのは、もっとも鬱屈した、出来ることならば、履歴から消し去りたいと思うような暗い季節だった。それだけに、張嶷には、その頃もっとも目映く見えた太学で輝かしい青春をおくって欲しかった。

(あの子は入るのは無理か)

 あきらめて、昭得将軍の印綬と、栗の作った竹簡を抱えて、とぼとぼと、足をひきずるようにして、簡雍は太学の正門へと歩きはじめた。

 気づけば夕方になっていた。

 槐の並木の影が、長く斜めに道に倒れかかっている。夕餉の食材を買うために学生たちが、構内の市に集まり、小鳥の群れのように笑いさざめいていた。学者の荷を学生達が分け合って担ぎ、お供しているのが行き過ぎる。もう寮の自室についたものもいるのだろう。遠く、炊煙が幾つも棚引いているのも見える。それらの風景は、外征中の軍の苦境もわきまえずと思いつつも、悔しいかな、若さに満ち幸せそうだった。
 
 眩しい景色に目をふっと右手にそらす。

 すると、

(うん、これは?)

 高床の建物があった。

 戸口に向けて階段が延びているが、その段々に、紙の本が口を開けて、虫干しされていた。
 
 どうも書庫のようである。

(そういえば、欲しい本があると言っていたな)

 簡雍は、せめて本ぐらいは分けて貰ってもよいだろうと思い、そちらへ足を向けた。

 戸を開けると、書庫のなかは薄暗く、書物のかび臭い匂いが立ちこめていった。

 二丈の高さのある天井一杯まで書棚があり、書物がびっしりと透き間無くおさめられている。木竹簡と、紙の割合は半々といった程度で、練兵が出来そうなくらいの広さがあった。

 暗さに目が慣れてくると、戸から少し離れた場所に、むしろが布かれ、そこにまだ二十台ほどの若い男が一人と、三人の小童が座っているのが見えた。

「ほら、秀。こことここは札の並びが違う。論語の顏淵篇の部分。『是惑也』の次が、『誠不以富亦祇以異』じゃ意味が揃わない。ここは、季子篇の冒頭に繋げる」

 若い男は、小童の一人にそう指示を出していた。

 綴り紐がきれ、ばらばらになってしまった木簡の補修をやっているものらしい。

 簡雍は、そちらの方へ歩いて行くと、

「おい、黄帝内経と、鍼経に素問、それから周髀はどこにある?」

 出し抜けにそう言った。

「はい?」

 若い男が返事した。

 軽石のようにあばただらけのうえ、ごぼうのような細長い顔をしている。冠も座り具合が悪いらしく、不器用に傾いでいた。

「な、何です?」

 若い男はへどもどしながらそう聞いてきた。少々吃音があるようだった。

「だから、黄帝内経と、鍼経に素問、それから周髀はあるか?」

「はぁ」

 男は立ち上がった。

 立ち上がると、にょきにょきと竹が伸びる感じで、驚くほど背が高い。八尺はありそうだった。だが、肉付きが悪く、首から直接腕が延びているように見えるほど肩幅がせまい。おまけに、ひどい猫背である。すすきに似ていた。

「何ですって?」

 細長い顔を、盾のように突き出しつつ、また同じ事を聞いた。学究独特の鈍さがある。

「書物を探しているのだ。三つ。黄帝内経と、鍼経に素問、それから周髀」

「それでしたら、四つですね」

 いらぬ訂正もする。半日の徒労のせいもあって、簡雍はイライラしてきた。

「なんでもよい。先ほどの本はどこにある?」

「えぇと……」

 男は、書物を探すために、書庫の奥の方へ歩いていった。まるで泥田にはまったものが、片足片足泥から引っこ抜くような、ぎくしゃくした歩き方である。彼はしばらく、糸の切れそうな傀儡のように危うい感じで、書棚の間をうろついていたが、やがて、

「こちらです」

 と、一抱え持ってきた。

「おお、よくやってくれた」

 簡雍は、それを受け取ると、

「では」

 と帰ろうとした。

「ま、ま、待ってください」

「何だ?」

「そ、それをどうするおつもりで?」

「持ってかえる」

「そ、それは太学のもので」

「おい」

 簡雍が、凄まじい大声を出した。

 大人達の傍らで、固唾を呑んでやりとりを見守っていた小童達は、この大声に蜘蛛の子のように逃げ散った。

「わしは昭徳将軍、簡雍だぞ」

 男は目を見開き、口をぽかんと開けた。何事か言おうとしてなかなか言葉が出てこない。唇を舌でしめし、頭を拳の根でたたき、長い頬を両手でつまみ、不自由な体から何とか音を出そうとしている。

(こいつ馬鹿にしているのか)

 簡雍は、男の動きに嘲弄を感じ、胸のうちで怒りが膨らんできた。

 そうして、男が、さんざんの時間をかけ、全身を揉み出すようにして、ようよう言った言葉が、

「誰です、それは?」

 だった。

 簡雍は思わず拳骨を固めると、男のほほげたにたたき込んだ。男はたわいなく倒れ、そのまま動かなくなった。

(しまった)

 殴ってみて、さすがに、簡雍は気の毒したと思った。

「わしは昭徳将軍、簡憲和だ。遺恨があれば、溺街に屋敷がある。いつでも尋ねてきなさい」

 書棚の影に隠れて、震え上がっている小童達にそう言付けると、書籍を抱え、逃げるようにして立ち去った。

 簡雍が去って、しばらくしてから、男は小童達の介抱のもと起き上がった。

 彼は、殴られた頬をさすりながら、悲しげに言った。

「また、人を怒らせてしまった」

「いえ、あの爺さんがひどいのですよ」

 小童が口を尖らせて言うと、 

「いや、あれほどの年寄りが、医術や、暦数の本を欲しいというのだから、何か深い事情があるのだろう。ひょっとしたら、自分か奥方が病気で、残された命数を図ろうとしていたのかもしれない。だとしたら、もっと話を真剣に聞いてあげるべきだった」
 
 男は長い顔を棒のように振りながら、そう言った。

 実は、この男が、十四人いる博士のうちの最後の一人で、その学問は殿堂一と言われる、譙周、字は允南というものだった。

「それにしても、どうして、わたしは、こう人との間で怒られたり笑われたり、無用ないさかいを起こすことが多いのだろう」

 譙周は心から困じ果てているように、そうぼやいた。

→ 花武担 第三章 姜維(五)


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花武担 第三章 姜維(三)

 太学は、簡雍の屋敷とは花江を挟んで、ちょうど向こう岸の、市橋を渡ってすぐの場所にある。

 花江沿いの、若葉をつけた槐の並木道を進んでいくと、にきびを頬に浮かせた諸生の数が多くなってきた。皆、裾の長い儒服を着、帯にこれみよがしに書刀を差し挟んでいる声高に笑いながら群れ歩いているもの、花江の岸辺で詩吟をうなっているもの、車座になって激したように議論を交わしているもの。若者特有の乱雑さで、そこら中に精気が漲っている感じだが、どこか心許なく、元気な猿が飛び回っているように見えなくもない。

(おうおう、いいところの坊ちゃんどもが)

 簡雍はふんと鼻を鳴らした。

 大抵が、蜀郡や広漢、犍為といった富裕な地に荘園を持つ良家の子息である。それも、完全に蜀土着の家というのは少なく、ほとんどが、真偽は分からぬながら、本籍が中原にあるという家祖伝説を持っている。自分が、この西南僻遠の地でぼうふらのように湧いた家ではないということを主張したいのであろう。

(英雄豪傑ぶってはいるが、どこまで骨のあるやつらか)

 簡雍は、壮士時代のように、わざと肩を怒らせながら、道の真ん中を大股で歩いてやった。政治談義に花を咲かせながら、道一杯に広がって歩いて行く若者達も、この怪物のような老人を見ると、慌てて道を避ける。

(へっ、腰抜けめ)

 いくつもの若者の群れを裂き、無用な威嚇を繰り返しながら、簡雍は、やがて、太学の正門の前についた。

 道沿いには、例の蔡邕の筆による石碑が並び、門の両脇には天突くような望楼が構えられている。学生の分際で馬車や輿で乗り入れるものも多いらしく、門前には、豪華な馬車が何十台も停められていた。広々と開いた門扉の間から、玉の垂木頭を輝かせた、青丹の学舎の屋根屋根が見える。

(なんだい)

 簡雍は、寒門出と、無学者の悲しさで、気圧されてきた。朝廷をはじめとする、数多の権威ある役所は、自分が実際に仕え、(何だ、こんなものか)と実態も知っているので、劣等感も恐怖も感じないが、太学は考えてみれば、来るのが初めてである。自分の少年時代、太学というのは、子供の心の届く範囲で、もっとも偉いものだった。そのため、怖じ気も、子供の部分で感じてしまう。

 厳父に呼び出された子供が、その正房の前で、戸を叩くのを逡巡するように、門前でまごついていると、四人の力夫に担がれた輿が出てきた。

 なかでは、でっぷりと太った若者が座布団にもたれかかっている。彼はつまらなさそうに簡雍に一瞥をくれたあと、かじっていた紫の梨のへたを放り投げた。へたは、別に狙ったわけでもないだろうが、簡雍の足元に落ちた。

 常なら、若者を引きずり出し、拳骨の二、三発もくれてやるのだが、今は、どうしても気後れしてしまって、

「けっ」

 と、へたを蹴り飛ばす程度のことしか出来ない。

 簡雍は、しばらく、行き過ぎてしまった輿を睨み付けていたが、やがて意を決すと、太学の門を、まるで、矢の雨が上から降る、敵方の城門であるかのように、大急ぎで、早足でくぐり抜けた。

 成都の太学は、一町(五万平方メートル)あったといわれる後漢のものほどではないが、それでも六十畝(三万平方メートル)の広さがある。南門から入ると、甍の波に呑まれ、北の境が見えない。敷地に敷き詰められた玉砂利も、陽を反射して、目に刺さるように眩しい。

(手続きはどこでやるんだ?)

 簡雍は、知らない家の、大部屋の真ん中に放り出された猫のように、うろたえる感じだったが、道行く学生たちに場所を聞こうとしても、皆恐れて近寄ってこない。

(どうしたものか)

 普通、太守府でも、どこでも、官制の役所は、正門の脇に、帳簿を司る胥吏の曹を構えている。ここでも、正門の右脇に、他と違い、素読の声の聞こえてこない、しんと静まり帰った赤壁の建物があった。

(多分、ここだろう)

 簡雍は、当たりをつけると、そこへ入っていった。

 果たして、なかでは、黒色の官服を着た下級官吏達が黙々と仕事をしていた。生きた人間がいるのかと思うほど静かで、しわぶきと、シャッシャッと墨を摺る音しか聞こえない。

「頼もう」

 簡雍は梁の震えるような大声を出した。

 文机を前に、筆を走らせていた官吏達は驚いて手を止めると、写しもののように、特徴のない、灰色の顔を、声のする方に向けた。墓域の闋(けつ)にその姿を彫り抜いたら、魔除け代わりになりそうな恐ろしげな老人が立っている。

(なんだ、この爺は)

 とでも思ったのだろう。官吏達は、しばらく、ひそひそと声を交わしあっていたが、やがて顔を伏せると、再び筆を走らせはじめた。

「頼もう」

 聞こえなかったのかと、再び、簡雍が大声をあげる。

「頼もう、頼もう、頼もう」

 戦場で鍛え上げられた胴間声が、何度も何度も建物のなかで響く。硯のなかの墨はさざ波をたて、紙は太鼓の皮のように震えた。たまりかねた官吏の一人が、簡雍のもとに歩いてきた。下ぶくれた顔で、頭頂が尖っている。蜀の地に多い顔付きの一つで、どこか栗に似ていた。

「ご老人、何でしょうか? 私が用件を伺います」

「おお、やっと生きた人間が出てきたか。あんまり静かだから、わしはついに墓穴に入ってしまったかと思ったぞ」

 栗は軽口にちょっと面食らったような顔をしたあと、むしろの席を簡雍のために敷いてやりながら、

「皆、役目を持っておりますので……ま、まぁお座りください。して、御用の方は?」

「すまんな。いや、実は、ここで学ばせたい子がおってな」

「左様で。あの、当部署は金曹で、太学内の金銭出納を扱うところなのですが……」

「金曹か、太守府にもあったのう。胥吏のなかで一番仕事の出来るやつが行く部署だったな」

「有り難いお言葉で。それで、あの、ここでは入学の手続きは取り扱っていないのですが……」

「何? 面倒臭いことを言う。老人がわざわざ足を運んでやって来ているのだぞ。諸事、簡潔にやってくれ。わしが若いころは、一人の人間が、いくつもの職を兼ねるのがあたりまえだったぞ」

「ですが……」

「やれ」

 栗は後ろを振り返ったが、同輩達は、皆関わり合いになるのを恐れて顔を伏せている。やむなく、栗は、

「ま、まぁ、取りはからっておきましょう」

 と言った。

「で、御資格はございますか?」

「御資格? 何じゃそれは?」

「あのご老人。太学に入るには三つの条件がございまして、そのどれかを満たさなくてはなりません。一、年十八以上の儀仗端正なる者で太常(文部大臣)によって選ばれた者、一、地方郡国県などで、文学を好み、長上を敬い、政教をつつしみ、郷里に違背せず、行動が礼にかなっていること評判通りの者で、県令、侯国相、県長、県丞の報告をもとに、群太守、国相が可とした者、一、六百石以上の官吏の子弟たる者。このいずれかです」

「おお、それなら大丈夫じゃ。その者の身元は牂牁太守の馬忠めが保証しておるし、かく言うわしは口幅ったいが昭徳将軍。禄二千石をお上から頂いておる身だ。ほれ、これが印綬だ」

 簡雍は、将軍号を持つ人間であることを示す銀印青綬を栗に見せた。

「やや、将軍殿でございましたか」

 栗は裾を払って、辞儀を正した。

「姓名を簡雍という」

 簡雍は、ひしゃげた鼻を天井に向け得意げに言った。

「それは、それは」

 栗は感嘆した風な声を出したが、響きに重みがない。どうも、簡雍のことを知らないもののようだった。

(元勲の一人を知らんとは)

 簡雍は心外に思いつつ、

「牂牁太守馬徳信、昭徳将軍簡憲和。禄二千石が二人ながら推薦しているのだ。問題はないな? そうであろう?」

「おっしゃる通りで。では、諸生殿の名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「おお、肝心なことを言うのを忘れておった。性を張、名を嶷という。字は、字は……」

 そういえば、字がまだ決まっていなかった。どうしたものかと一瞬迷ったが、字は通常、師がつけるものだ。この際、ここで決めてしまっても、問題ないだろう。

「伯岐だ」

 長男につける伯と、今、孔明率いる蜀漢軍が、目的としている場所、岐山の頭文字を組み合わせ、たちどころに簡雍は字を決めてしまった。

「はいはい、張伯岐殿と」

 栗は一枚札の竹簡を取り出すと、先頭に、一行で姓名字を書き写した。

「本籍、年齢、人相、身長、あと目立つ身体の特徴もお伺いします」

「そんなものもいるのか」

「それがないと、推薦されたものが、本当に本人かどうか分かりませんので」

「それもそうか。ええと、本籍は巴西郡南充県。年齢は十四。人相は、色白で、女のような顔をしておる」

「おひげは?」

「ない」

「無髭で白面にして容貌秀麗と。身長は?」

「これくらいじゃな」

 簡雍は自分の肩の辺りで、手をひらひらさせた。

「六尺ほど。他に目立つ身体の特徴はございますか」

「ふむ、身体の特徴ねぇ。まぁ、目立つ子だよ。不幸なことに去勢されてしまっているから、外見はほとんど娘と同じだ」

「去勢された、と。えっ、何ですって?」

 栗が甲高い声を出して聞き返してきたので、簡雍はうるさそうに答えた。

「だから、幼少の頃に悪人から去勢されてしまっているのだ。別に、何か罪を犯したわけではない」

 栗の顔が、羹に水をぶちまけられたように白々しくなった。

「簡将軍殿。どうも、このお方は諸生としては受けかねます」

「何、何だと? 先ほど、お前がいった条件だと問題ないではないか」

「これは条件以前の問題です。よろしいか。諸生として最たる前提になるものは、孝廉と同じく、孝であることでございます。身体髪膚(しんたいはっぷ)之を父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始めなり。張伯岐殿は、故意ではないにしろ、既に孝の最初の階梯を踏み外しておいでです」

「しかし、この子は父母の顔も知らないのだぞ。捨てられた可能性すらある」

「父母愛なくとも、子孝たるべしでございます。何と言われようと規則でございますから」

 簡雍はさらに抗弁、もしくは腕力に訴えようとしたが、栗はすでに無感情な官僚的顔付きになっている。威そうが殴ろうが、何の鳴き声もあげそうにない。

「ええい、お前では話にならん。竹簡をよこせ。教授共と直接話をつけてやる」

 簡雍は栗がまとめた竹簡を取り上げた。

 荒々しく床板をきしませながら、出口に向かっていく。

 部屋の中が「やっと狂人がいなくなった」といったような、安堵の空気に包まれていくのに腹が立って、戸口を出るとき、一度振り返ったが、栗はもう席に戻ってしまったのか、部屋のいずれにいるか分からなくなっていた。どうも、集団に紛れると、たちまち消えてしまう顔で、人であったらしい。

→ 花武担 第三章 姜維(四)


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花武担 第三章 姜維(二)

 食以外のことに関して言えば、少年と老人は、大体のところ馬があった。

 簡雍は、溺街の陋巷を散策するのが好きだったが、そのときは必ず張嶷を連れていく。

 方や岩を割り砕いて辛うじて人らしき態を取ったような老人で、方や水もしたたるような美童である。並んで歩くと、空気に断層が生じているようで、同じ人間界の住人とは思えない。この珍奇な組み合わせは、たちまちのうちに新たな溺街の名物になった。

 口さがない連中の口の端から、一瞬だけ、老将軍の寵童という噂がたったが、簡雍の女遊びの陽気さと豪快さにすぐ打ち消された。実際、簡雍は、脂の乗った三十過ぎの年増が好きで、廓で側に寄せるのもそういった春秋に煮込まれて、実った腰に確かな命を感じさせる女ばかりだった。

 張嶷には、一つ奇癖がある。

 行き交う人を、いちいちじっと、お互い抱くような近さになるまで、見つめるのである。異常なほど人恋しがりなためで、彼からすれば、知り合いにもかかわらず、挨拶もしないで行き過ぎることは、有り得べからざる悲劇だった。

 こぼれそうなほど大きな目のうえ、遠めがねを逆から見るような、あの独特の視線である。大概の人が、どぎまぎし、目の箭に足を射ぬかれたように立ち止まってしまう。まだ成都に来たばかりなのだからあたりまえだが、大抵、顔見知りでも何でもない。

 しかし、張嶷は、それならそれで構わないようで、立ち止まった人に対しては、みずらを結った子供だろうが、腰が折れ杖をついた老人だろうが、

「こんにちは」

 ととろけるような笑顔で挨拶する。場持ちする性格で、話しかけられたものは、ついつい話し込んでしまう。

 彼は、この手で、溺街の住民のほとんどと友人になってしまった。

 溺街の住民は、張嶷のことを「阿嶷」と呼んで愛した。

 しかし、やはり、なんといっても、成都での一番の親友は蘭で、張嶷が成都に来てから、半月ほどが過ぎたこの日も、二人は簡雍邸の例の東屋で「蔵枚」手に握った瓜子の数当てをして遊んでいた。

 春も峠を過ぎている。

 築山の上から見える景色は、桃や紅から、若葉の色へゆるやかに移り変わっている。足元から立ち上る土気も盛んで、時折吹く風が涼を与えてひどく心地よい。

 卓の上に撒いた、瓜子を蘭が握る。

「いくつ?」

 と聞くと、

「五つ」

 と張嶷は答えた。

「一、二、三、四、五。また当てた。阿嶷凄いわね」

 張嶷は当てた五つの種を口に放ったあと、今度は自分が種を握った。

「次は阿蘭の番だね。さぁ、いくつ?」

「四つかしら」

「一、二。二つだよ」

「あぁ、また負けたわ」

 この手の勝負になると、張嶷はとにかく強く、九割は言い当ててしまう。

「これじゃ、いつまでたっても蘭は瓜の種が食べられないね」

「ふふ、その通りね」

 勝敗が最初から決まった遊びなど、面白くなさそうなものだが、蘭は気にならないようで、機嫌よく負けてやっている。

 そのうちに、簡雍が庭園に姿を見せた。

「老師」

 張嶷は、簡雍のことはそう呼ぶようになっていた。手を振ると、簡雍も手を振りかえしながら、こちらにやってくる。

「やっぱりここにいたか」

 簡雍は卓の上の瓜子を二、三口に放った。真四角といっていい頑丈な顎に据え付けられた、これまた老人とは思えぬ臼のような歯で、実を咀嚼しつつ言う。

「これから、対岸の太学に行ってくる。入学の手続きだ。まともなやつが皆、漢中に行ってしまったから、朝廷を通すと、万事、事務が煩瑣でいかん。直接わしが行った方が早いだろう。嶷、明日から、お前は諸生だ」

 蘭と張嶷は顔を見合わせた。

 蜀の学制はほぼ後漢のものをそのまま引き継いでいる。八歳までは父の手元で育てられ、それ以降は初等、中等と学問の進度に応じて、段階が進む。

 初等では、書館、書舎、小学といった聚や鄕落単位の教育機関で、閲里書師や、孝経師と呼ばれる師のもとにつく。司馬相如の「凡将篇」や史遊の「急就篇」、揚雄の「訓纂篇」といった初学者用のテキストで、字を覚えたあとは、経学の基礎や中原の音での誦読方を「孝経」「論語」で学び、算術や地理的知識を「六甲」「五方」「書計」で身につける。

 初等を修了すると、中等となり、県や侯国単位に設立された公立の校か、私学に進む。ここでは、経師と呼ばれる師につき、論語や尚書などの経文暗誦をやらされる。書かれてあることの、是も非も考えさせず、ただひたすら文章を、少年の柔らかい脳にもみ込んでいくわけで、学問の階梯のうち、ここがもっとも辛く、また面白くない。簡雍は、経済的な問題もあったが、この中等で、筆を放った。

 中等を終えると、大体生徒は十五才程度の年になる。まだ学問を進めることを望むものは、諸生となり、郡単位に作られる学か、首都の太学に入学する。

 もちろん、高名な学者が個人的に設立した私塾に通うものもいる。盧植の塾に通った劉備などはこの口である。残念ながら途方もない劣等生だったが。

 成都の太学は、後漢の首都洛陽にあったものを模して作られたもので、通学路に植わって名物だった槐(えんじゅ)の木も、大学者であった蔡邕の筆によるという、四十六枚、総字二十万字に及ぶ、六経の石碑もそのままである。

 もちろん、石碑は拓本の移しで、槐は河南にはよくても、四川では植生にあわなかったのか、いくつか枯れてしまった。この辺り猿まねの悲しさで、敷地の広さも後漢のものと比べれば、やや狭い、それでも、後漢全盛の三万とまではいかなくても、一万に近い学生が通う、蜀漢の誇る一代教育機関となっていた。

「太学なんて馬鹿のいくところだって言ってたじゃない」

 蘭が口を開いた。彼女からすれば、張嶷が太学に通うようになると、その分だけ遊べなくなるわけで面白くない。

「いや、易・書・詩・礼・楽・春秋の六経くらいはきちんと身につけなくてはいかん。それとも、蘭お前が学問を教えるか? 字だってろくに書けないだろうに」

「馬鹿にしないでよ。字くらい書けるわ」

「ははは、大方、商売人の七つ文字、貰、貸、売、買、販、律、便、くらいだろう」

「いいえ、私も成都の娘よ。司馬相如様と、揚子雲(揚雄)雄様の文章くらいはちゃんと読めるようになってます」

 司馬相如と揚雄、いずれも成都出身の人物である。二人は、前漢の文学者を三人挙げろと言われれば、必ず入る人物で、賦に優れていただけでなく、先述のように中国全土で使われる初学者用の教科書まで作っている。

「爾して乃ちその都門は二九、四百余の閭あり。両江、その市をさしはさみ、九橋はその流れに帯ぶ。武担は都を鎮め、刻削して連を為す。王基は既に平かにして、蜀侯は叢に尚す。どう?」

 蘭は、揚雄の蜀都賦、成都をたたえたものの一節を、そらで誦って見せた。成都では、郷土の生んだ文化英雄を尊崇し、蘭のような商売人の娘でも、彼らの残した賦くらいは諳んじれるようになっている。

「いや、大したものだ。蘭、班昭だってお前ほどじゃなかっただろう」

 簡雍はそう本気で感心してやったあと、

「だが、賦は所詮、童子の雕蟲篆刻(てあそび)。壮夫たるもの、聖賢の言に触れて心胆を練り、六芸を身につけ、文武を備え、英雄の詩魂をこそ宿さなくてはならない。いや、そう、怒るな。ここは、本人に志望を聞いてみようじゃないか。のう、嶷。太学に行ってみたくはないか」

「うーん」

 張嶷は苦い顔をした。

「もう、尚書は諳んじれるようになったから……」

 張嶷は、馬忠による手ほどきで中等を終えていたが、やはり、古典を暗誦するための、古びた紙をかみ続けるような作業は辛かったのだろう。言葉に冴えがない。

「ほら、乗り気じゃないみたい。やめておきましょう」

「いやいや、だったら、嶷よ。何を学びたいのじゃ」

「孫子に六韜」

「ほうほう、武を好むか」

 自分の本質を武人と規定している簡雍は目を細めた。

「それなら、わしも教えることが出来る。何せ先帝に付き従って百戦をくぐり抜けて来たのだから」

 百敗したことは棚に置いて、老人はそう言った。

「他には?」

「医術を身につけたいな。牂牁では、あまりよい本がなかったから、黄帝内経と、鍼経に素問を学びたいです。それと、算学。九章算術は自分で大体やっちゃったから、次は周髀に進んで暦法を修めたい」

「九章算術? 自分で?」

 簡雍が驚いて聞いた。九章算術は、周代から漢代までの数学問題がおさめられた数学書で、平方根や連立一次方程式、鶴亀算など、高度な内容も含まれている。普通、この本を習得すれば、それだけで、胥吏(事務員)として一生食べていけるとされていた。

「大体やったは言い過ぎなのではないか?」

「ううん、本当よ。この子、凄いのよ。自分でほいほい難しい問題解いちゃうの。阿嶷、あの帳面見せてあげなさいよ」

「うん」

 張嶷がたもとから、反故紙を束ねたものを出してきた。丸や立方体、三角、答曰(こたえていわく)という文言と、数字で透き間無く埋め尽くされている。書き散らしたもののようにも見えるが、図形と数字の並びに、不思議な調和、美しさがある。内容は分からないが、どうも正しい解法が書かれているもののようだった。

「本当のようだの」

 細かい数字に目をやられてしまって、簡雍はまぶたをおさえながら言った。

「ねっ、この子、勝手に自分の興味あることを、どんどん学んでいくのよ。太学なんていらないわよ」

「算学に医術のう」

 最初に述べた兵法も含め、どれも、社会の基礎を支える重要なものと思うが、学問としては、悲しいことに補助教科でしかない。今の時代、なんといっても学問は、儒学であり、その経典である六経を身につけることなのだ。

「そちらは市井にもよい師がおるだろう。また、わしが見つけておいてやる。だが、英雄と広く交際しようと思ったら、どうしても、六経の教養がいる。名士というやつは、なんでもない会話にも、聖賢の言をどんどん引用してくるものだからのう。わしも会話についていけず、随分悔しい思いをしてきたものだ」

「そんなこと言ったって、学問がなくても将軍になれたんでしょう」

「学問がなかったから雑号将軍止まりだったとも言えるかもしれんよ。まぁ、ここは二人ともわしに任せておきなさい。太学は師と友に出会う場。入ってみたら、きっと嶷も気に入るはずだ」

 簡雍は、そう言うと、太学に向かって、さっさと歩き去ってしまった。

→ 花武担 第三章 姜維(三)


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花武担 第三章 姜維(一)

(子供が一人いるだけで違うものだな)

 簡雍は少年が来て一週間もたたないうちに思うようになった。

 これまで、来客は多いとはいえ、簡雍と、李夫妻、七十過ぎの老人が三人で暮らしていた簡雍の屋敷は、どこかかび臭く、俯いた感じだった。そこにやってきた、花も恥じらうような美童である。にわかに屋敷は活気づき華やいだ。

 李夫妻の生活の中心は、簡雍から、張嶷に変わってしまったようで、朝から、張嶷が今日は朝餉を食べた、食べなかったで大騒ぎする。

「馬鹿らしい。人間、一食抜いたところで死んだりはせん」

 そう、簡雍が言っても、

「でも、大家(だんなさま)、公子(ぼっちゃん)は食が細うございますから」

 と抗弁してくる。

 食べたといっても、大抵、小麦の餅(ピン)の焦げた裾をかじり、鯰の羹を蚊のようにすすった程度のことだ。

「おい、もっと食べないか。肉を食え。肉を」

 簡雍が言うと、張嶷はしぶしぶといった感じで箸で猪の切り身をつまみあげるのだが、黒酢と豆鼓で真っ黒に味付けされ、にんにくの匂いをぷんぷんさせているのを見ると、放り投げるように皿に戻す。

「不要(ブーヨウ)」

 そんなとき、張嶷はことさら中原の音を出して、短く言うのが常だった。

 ひどい偏食家である。

 脂で胸が悪くなるらしく、獣肉の類はほとんど食べない。簡雍が好む、小麦の餅も好まず、黒酢や豆鼓、にんにくを使った中原風の味付けも嫌がる。

 好きなのはやはり蒟醤(きんま)で味付けされた土地の料理らしく、甑で蒸した米や、川魚なら口に入れるが、それもあまり量は多くない。また、巴蜀のものなら全て食べられるというわけでもなく、四川の水牛の乳は、髭についたものがそのまま酪(バター)になるといって有名な蜀の特産だが、毛虫の煮汁のように見えるらしく、視界に入るのも嫌がる。その癖、陽気をおぎなうためにやらされてきた、幼児の頃からの習慣で、鯉や鯰といった泥臭い川魚の生血をけろりとした顔で飲むのである。

 人間誰しも食に関しては保守的なものだが、老人も少年もこの点に関しては一歩も退こうとしない。はじめのうちは、八尺四方の狭い卓子が、文明的緊張に包まれることもままあった。

 李夫妻も、心を痛めたようだった。もともと夫妻は簡雍の郷の幽州の料理を作れるということで雇われており、蜀の料理については、苦手だったが、蘭に聞いたり、市場のおかみに聞いたりして、献立を増やし、南北二流の料理を卓子に置くことで、緊張解消に努めた。

 この食卓で、張嶷はその才能の一つを見せた。

 李負が、あひるの卵を溶いた湯の入った皿を卓に置いたとき、

「落ちるよ」

 と言ったのだ。

 卓は別に傾いだところはない。

 簡雍も李負も不思議な顔をしたが、気圧の関係か、皿はまるで氷のうえに置かれたもののように、すーと卓を滑り、そのまま床に落ち粉々になった。

 馬忠の文には、この子予知の才あり、と書いてあった。初め読んだときは何のことかと思ったが、どうもこの子には、未来を感知する能力があるものらしかった。

 無論、たった一度、皿が落ちた程度のことなら、簡雍も偶然で片付けるのだが、その後も、何度か似たようなことが重なった。

 ある日、簡雍は、はっきりこの子の才を試してみようと、窓の外の梅の枝に止まっている杜鵑の群れを指差しつつ言った。

「庭の杜鵑の群れだが、どいつが一番最初に飛び立つ」

 窓の外では、李負が桶を担いで二人の様子を見守っている。

 張嶷は豊かな頬に手を当てて考える風だったが、やがて、

「一番右」

 と答えた。

 さてどうなることか、と簡雍は腕組みして、杜鵑の群れをにらんでいたが、そのうちにぱっと群れの真ん中にいた杜鵑が飛び立った。

(なんだ)

 簡雍はがっかりするやら、どこかほっとするやらだったが、苦笑しつつ張嶷に言った。

「よいかげんなことを言う。まるで外れてるじゃないか」

 張嶷は頬を膨らまし、不服な態を取った。

「いいえ、一番右が最初に飛びました」

「なんじゃと」

 李負が正房に入って来る。

 いかにも感に堪えたように、首を振りながら桶の水を水瓶に注いだ。

「公子は大したものでございますね。どの杜鵑が飛ぶか。ぴたりとお当てになりましたよ」

「なに? なんのことじゃ? 梅の枝に止まった杜鵑は真ん中のやつが一番最初に飛んだではないか」

「ああそうか。大家からはお見えにならなかったのですね。屋根の桟にも杜鵑が止まっていて、そちらを公子はお当てになったのですよ」

 慌てて簡雍が窓から身を乗り出すと、確かに屋根の桟に杜鵑が三羽止まっている。空には、先ほど梅の枝から飛び立った一羽と、張嶷が言い当てたのであろう一羽。その二羽が、飛線を交差させたり、翼を並べたりしながら、戯れあっている。

「おい、次は? 次に飛ぶのはどれだ? 屋根の桟に止まってるやつだぞ」

 簡雍がさらに聞くと、

「えっと」

 と張嶷は考える風だったが、

「いや、誰かが飛ぶ前に、さっき飛んだ二羽が、屋根の桟に止まるはずですよ。右端から順々に」

「どれどれ、見といてやるぞ」

 簡雍は手を摺り合わせつつ、空を見あげた。

 果たして、張嶷の言った通りになった。

 上空でランデブーを楽しんでいた二羽は、やがて連れだって屋根の桟に止まると、番いだったのだろうか、互いの嘴を何度も軽く打ちつけあった。

「これは本物だ」

 簡雍は感嘆の声をあげた。

 振り返って、張嶷に、

「どうして分かるのだ? お前のところからは屋根の桟など見えるはずもないのに」

 そう聞いてみたが、心のよほど深い場所で起こっている働きなのだろう。うまく答えられない。張嶷は、

「ただ分かるのです」
 
 と、言うばかりだった。

→ 花武担 第三章 姜維(二)


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花武担 第二章 簡雍(六)

「ほこりだらけね」

 蘭は、戸を開けてみて、顔をしかめた。

 簡雍の院子の最正房向かって右の、東耳房が張嶷の部屋になった。ほとんど使われていなかったため、四隅に白いものがたまり、梁に蜘蛛の巣が架かっている。

 箒を槍のように構えて、蘭は部屋に真っ直ぐ突撃すると、正面の壁に架かっている丸窓をあけた。

「あら、庭だわ」

 庭との垣根が、東耳房の壁を兼ねている。

 春の陽が束になって部屋に差し入り、風が通って空気が澄んだ。

「ねぇ、庭よ」

 蘭は後ろを振り返って、嬉しそうに簡雍と張嶷に言った。

「そう大声を出さなくても分かっている。縄張りはわしがしたんだから」

 簡雍は苦笑した。

「割りといい部屋ね。ちゃんと手を入れたら気持ちのいいところになるわ」

 蘭はそう言うと、もう忙しく箒を働かせている。

 張嶷も、蘭が持っているのよりは、やや小振りの箒を持って、部屋に入っていく。

「私が上の方にはたきをかけるから、阿嶷はほこりを庭に追い出してちょうだい」

 蘭がそう差配すると、

「うん」

 と張嶷は大人しくうなずき、ちまちまと箒を動かしはじめた。

「まるで、あべこべだな」

 簡雍は内庭で二人の様子を見守りつつ笑った。

「本当に私達が手伝わなくてよろしいので」

 李夫妻が声をかけてきた。二人は、子には全て先立たれ、孫はみな女で他家に嫁している。張嶷の登場は、年少者の世話に飢えていたところに、恰好の獲物が来た形になった。李夫妻は色めきたち、昨日から、寄ると触ると世話を焼きたがる。

「いや、いいんだ。まずは、自分と自分の力でつながった友達とで出来るところまでやらせてみよう。大人が手を出すのはそれからでいい」

 簡雍は、先ほど、庭を歩いていたとき白昼夢として見た、あの地獄のような光景を思い出していた。思えば、あのとき、本当なら曹操一人の頭上にあった天命は砕け、その欠片は、他の二人の男、劉備と孫権のもとに舞い降りたのだろう。劉備のあの不気味な笑みはそれを知ってのものだったのかもしれない。

 自分の旅はここで終わった。

 世界はあのとき恐れたようには終わらなかった。

 数多の英雄達の尽力と犠牲で、人民一人一人がむき身で乱世という怪物に向き合わなくていけない世界ではなく、二人の子供が、別れた天命のうちの一つのもと、曲がりなりにも穏やかに暮らす世界を残すことが出来た。。

 三つの天命がいずれのもとで一つになるか。

 それはもう若いものの仕事になるだろう。

 自分の旅の続きは、きっとこの二人がしてくれるものに違いない。

 もうはたきは終わったのか、蘭が腕まくりして部屋から出てきた。

「薪はどこ? 一度いぶすわ」

「それでしたら、後房の方です。こちらで」

 李夫妻が、手を出す理由が出来て、大喜びで案内しようとする。

 蘭が目の前を過ぎ様、

「おい、手伝ってくれるのはいいが。今日はもともと他に何か用事があったんじゃないか?」

 簡雍はそう声をかけた。

「あぁ、そうそう」

 蘭は簡雍につけの書きつけられた木札を渡してきた。

「ふんふん、結構、たまっているな。あとで李翁に届けさせよう」

「お願いね」

 蘭は背中を向けた。

 二、三歩進ませてから、簡雍は、再び口を開いた。

「おい、蘭。他には。他にも用事があったんじゃないか」

 蘭は振り向いて、瞳を上にぐるりと回し、考える風でもあり、またからかっている風でもある、不思議な表情をした。この年頃の少女のやることはいちいち謎めいている。

「どうした?」

 と簡雍が聞くと、蘭は、

「いいえ」

 と言ったあと、今度は、しっかり、簡雍に体を向けて、

「特に何もないわ」

 とニッコリ笑ってみせた。

→ 花武担 第三章 姜維(一)


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花武担 第二章 簡雍(五)

「英雄」

 意外な言葉だった。

 張嶷は大言が恥ずかしくなったのか、急に明るいところにでも出たようにまぶしげな顔をしている。耳まで赤くなり、ひどく可憐な表情になった。

「馬鹿、男らしゅうせい」

 簡雍は慌ててそう叱ったあと考えこんだ。

(英雄……)

 英雄とは何か?

 当代、簡雍ほど数多くの英雄達と出会ってきた人間もいないだろう。永く苦楽を共にした劉備、関羽、張飛。恐怖と畏敬の対象でありつづけた魏の曹操、一度は同盟を築きながら、袂を分かつことになった呉の孫権、周瑜、魯粛、呂蒙、陸遜。

 彼ら大陸の運命を自分の個性で引きずり回してきた英雄達と、簡雍は出会い、ときに轡を並べ、ときに敵として殺しあった。彼らの多くは既に鬼籍に入ってしまったが、ともに過ごした濃密な時間は、今も簡雍の心の中で息づいている。

 しかし、その自分でも英雄とは何かうまく説明することは出来ない。

 むりに言葉にしても、それはたちまち嘘になってしまうだろう。

 彼らの魅力。唖然とするような残虐さ。対象となるものを抱き殺しかねない激しい情愛。時折見せるへきえきするような底意地の悪さ。立ちふさがるものへの凄まじい敵愾心。

 到底ひとことであらわせるものではない。

 そして、英雄とは?という問いは、そのまま自分がもっともよく知っていると思われている、劉備とは? という問いに変わる。しかし、結局、自分はどれほどあの男を理解出来ていたというのか。

 畏れながら惹きつけられ続け、ただただ魅了されるままに、過ぎてしまった一生のような気もする。

 自分への問いかけを続けながら、簡雍は言葉を重ねた。

「どんな英雄になりたいんじゃ?」

「先帝のような」

 と、張嶷は答えた。

「獅子のように強く、狐のように狡賢い、そんな英雄に」

 鼻腔の膨らんだ、気色ばんだ顔である。

「ふむ」

 と腕を組まざるを得ない。

 成都のような穏やかな都市でも、跳ね返りは生まれるもので、血ぶくれした顔で、簡雍の屋敷の門をたたく若者は多い。簡雍が若い時分、そうだったように、男伊達を誇る侠者になろうとしてのことだ。

 大体が、

「是非、義侠の士である簡大兄の弟子に」

 とか、

「老簡将軍の侠気、先帝、漢王朝への忠義に感服いたしました。是非、お話しを伺いたく」

 といった力みかえった、その癖、どこかで聞いたような、空虚な売り文句で、簡雍に取りいろうとする。

 そのほとんどが、骨も筋もない、内実は屁のような奴らである。

 大抵、脅しつけるか、ときに、一、二発殴りつけてやれば、べそをかいて逃げ出していく。

 張嶷の言葉も、それらと同等のものなのではないか。

 簡雍はやや失望した。

 獅子のようになどといっても、それは単なる快男児というべきで、英雄などといえる代物ではあるまい。儒教的な有徳人、あるいは漢王朝への忠義の士という世間の評価でくくれるほど、劉備は底の浅い人間ではない。それは、彼とともに数えきれぬ死線をくぐってきた自分が一番よく知っている。

 たとえば、建安二年、劉備は楊奉(ようほう)という武将を宴の席で暗殺している。

 楊奉は、黄巾党の一派である白波賊(しらなみぞく)の頭目として世に出た男だが、漢王朝への質朴な忠義心も持つという不思議な人物で、献帝が長安を脱出し洛陽へ向かう際に、護衛を命懸けでつとめた。

 その功績で、車騎将軍という武官の最高位につき、一時は洛陽に献帝を擁立して盤踞した。しかし、もともと、この男、政略的な考えなどない。すぐに、曹操の計略にかかって、許へ献帝は連れ去られ、配下の徐晃まで取り上げられたうえ、自身は洛陽から追い出される。

 窮して、海西まで流れてくるのだが、そこを、当時小沛に駐屯していた劉備の宴席に呼び出され、命を落とす。簡雍が殺したのだ。劉備が楊奉の杯に溢れるほど酒を注ぎ、関羽が「こぼれますぞ」と声をかけ、慌てて首を伸ばし両手の塞がった拍子に、簡雍が刺し殺すという、泥臭い計略だった。

 関羽や張飛は戦場での槍働きなら得意でも、こうした暗殺のような、ちまちまとした手仕事には不器用で、大抵簡雍の役割になった。

 武勇には優れ、忠誠心にあつくとも、時代から見放された、この人のよいかわいそうな男の、末期の息の口臭(くちぐさ)まで鮮明に簡雍は思いだすことが出来る。

 この少年は、劉備と一方ならぬ縁があったらしいが、劉備のことをどれほど理解しているのか。

「お前先帝には世話になったらしいの?」

「はい、とても可愛がってもらいました」

 劉備の話題になったのが嬉しかったのだろう。少年は笑顔になった。

 その笑顔に釣り込まれて、簡雍は問いを重ねた。

「先帝は好きか?」

「とても」

「どこが好きだった?」

「手が」

「手?」

 簡雍は首をかしげた。どういうことか? 

「先帝の手は、赤銅色の、ゴツゴツした傷だらけの手でした。革の手袋を二枚も三枚も重ねたような大きな手。でも、まだ幼かった僕の頭を撫でてくれる時の、あの手の優しさは神様のようでした。この世でもっとも清らかで尊い綺麗な手」

 綺麗!?

 簡雍は、吹き出した。劉備の手はよく知っている。張嶷の小さな顔なら握れそうなほど大きく、岩のようにゴツゴツとした傷だらけの手だった。何人叩き殺してきたか分からない、簡雍も拳の乙な味を知っている物騒な手だ。

 綺麗と言われるような可憐なものだったかねぇ。

「何がおかしいんですか?」

 張嶷は、ふくれっつらである。笑われたのが、心外だったのだろう。まっすぐ簡雍を見つめながら言った。

「世界の理不尽に何度も拳を打ち下ろしてきたから、あんなに傷だらけになったんでしょう。逃げるわけにはいかない守るものがあったから、あんなに大きくなったのでしょう。理不尽に立ち向かう勇気、愛するものを守る徳、二つ兼ね備えたものを清らかで尊いといって何が悪いんですか?」

 簡雍は、驚いた。ここまで、はっきり自分の考えを述べる子とは思っていなかったのだ。

「しかし、君の手こそ綺麗ではないか?」

 簡雍が言うと張嶷は恥ずかしそうに手を袖の中に引っ込めた。張嶷の手は、小さく、白く、まるでお人形のようだった。

「これは綺麗じゃないです。刀を叩いて鍛えるように、この手を鍛えて欲しいのです。そして」

「哥哥の手のようになりたいか?」

 簡雍が続けた。ニカッと笑っている。いつの間にか、先帝ではなく、哥哥という流浪時代の言葉で呼んでしまっていた。

 張嶷も笑った。歯を見せて。今までの楚々とした少女のような気配が飛び、イタズラ小僧のような表情になった。

「うん。哥哥のように」

 簡雍は、カラカラと笑った。身をよじらせて。

 そうだったのかもしれない。

 もっとも長い時をともに過ごしながら、もっとも大きい謎であった存在は、突き詰めてしえば、そのような言葉に集約される男だったのかもしれない。狡猾で、残忍で、そして誰よりも優しい男だった。優しいから、世の理不尽に立ち向かわずにはいられなかった。そして一度抱えたものは、絶対守ろうとする人間だった。自分も関羽も張飛も、劉備を守っているつもりが結局守られ続けてきたのである。

 簡雍自身は、英雄にはなれなかった。あれほど、長い時間をともに過ごし、恋焦がれながらも。しかし、自分はなれずとも、作ることはできるかもしれない。目の前の美少女のような少年を英雄にするのも一興ではないか。

 そう思っていると、飯を待っているはずの、僰人の一人が、正房に入ってきた。

 何事かを蛮族の音で張嶷に話しかけたあと、大事そうに抱えている、細長い木箱を床に置く。

 張嶷は、僰人の言葉で礼らしきものを言ったあと、その木箱の蓋を開けた。

「ああっ、これは」

 簡雍が驚きの声をあげた。

 一双の剣が箱のなかにおさめられていた。一つは三尺ほどと長く、もう一つは一尺五寸と短い。長い方は刀で、短いほうは両刃の突剣だった。いずれも、朱漆の塗られた鞘におさめられていた。柄の飾りは素っ気なく、馬革が巻いてあるだけだ。両刀それぞれの下げ緒は牛の尻尾の房で出来ていて、中国の始祖神、伏羲と女媧が編み込まれていた。

 見まがうはずがない。

 旗揚げのときに出資してくれた、張世平と蘇双の金で作った雌雄一対の剣。五十年、劉備の佩刀であった剣である。

「哥哥はこれもお前に渡していたのか」

 張嶷は花が咲いたように笑ってうなずいた。

 僰人が箱のなかの剣を取る。

 張嶷が立ち上がると、僰人は、その剣を、柳のように細い腰に、太刀緒をつかって括ってやった。

「何ということだ」

 簡雍は、記憶の海の、もっとも奥底に眠る景色を思い出していた。

 七十年前。

 長城の麓。

 開拓者達の住まう小さな貧しい村。

 こなっぽくざらざらした空気と、漠北の草原へと続く、果てなく見える蒼穹。

 簡雍が、物心ついて初めて一人で家を出たとき、向かいに傘のように広々とした木陰を作る大きな樫の木のある屋敷があった。

 その家の門前にいた秀でた額を持つ、大人という大人があの子とは遊ぶのはよしなさいという、札付きのワルの、しかし、黄金色の少年。

 彼は長い腕を伸ばして、簡雍の腕を抱いて言った。

「お前は簡さんとこの餓鬼だな。ほら来いよ。面白いことがあるんだ」

 その声が老いた耳朶の奥に響く。

 残りの人生、庶民や武官と飲み笑い、朝廷の人士達を好き勝手に小突き回すことで過ごそうと思っていたが、どうやら目標が出来たらしい。

 もはや錆びきったはずの体に沸々と熱い血潮がよみがえってきた。遠き日の思い出だった剣戟の音が、血にぬれた草いきれの戦場の匂いが、この大陸の片隅の下町の部屋に立ち込めるようだった。

「似合うでしょう」

 張嶷は得意そうに言うと、少女が自分の着物を自慢するときのように、くるりと一回転してみせた。

 簡雍はその体をとらえると高々と掲げて言った。

「よかろう。わしが英雄にしてやる。残りの人生で、英雄が何かお前の体に叩き込んでやる」

→ 花武担 第二章 簡雍(六)


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花武担 第二章 簡雍(四)

(とすれば、宦官に打ち負かされ続けてきたようなものだな)

 簡雍はそう思ったが、さすがに我ながら考えが進み過ぎたようでおかしくなり、口のなかでくくっと笑った。

「ん」

 張嶷が身じろぎして目を覚ます。

 旅塵にまみれた髪をポリポリと掻き、辺りをきょろきょろと見回したあと、二、三回、目をぱちくりさせた。

「起きたか?」

 そう聞くと、大きく欠伸をしながら何度もうなずいた。

 簡雍も人のことは言えないが、あまり行儀はよろしくない。

(馬忠は、この子が、屋敷の後房で妻や娘と一緒に暦を見、いつ服を裁縫するか占っているのを見て、慌てて遊学を決めたらしいが)

 あまり心配することもないようなと簡雍は思った。娘ならこの年頃になれば、自然と身につけるはずの媚が仕草のなかにない。この少年の放恣さやあどけなさからは、むしろ大巴の森を駆ける子鹿のような自由さを感じた。

 李夫妻が漿を入れた杯と、足洗いの盤を持って部屋に入って来た。

 李負(ばあさん)が張嶷の下駄を脱がし、足を盤に入れて洗い始める。

 くすぐったいようで、張嶷は身をよじって、「キャッ、キャッ」と笑った。

 李翁(じいさん)は脇机に杯を置いた後、榻の後ろを廻って、簡雍に近づいてきた。

「どうした?」

「僰(ぼく)人共が敷地のなかに入って来ているのですが」

「僰人だと?」

 僰人は、西南夷の一つで、数ある異族のなかで、最も原始的な生活をしている部族である。雲南の森深くに暮らし、田を掻くようなこともせず、自然の産するもののみに頼って生活している。武器も骨や石で出来た未熟なものしか持たない。

 そのため、他の西蛮達からいじめられ、ときに鳥獣のように、狩りの対象になった。捕らえて、奴隷として売り飛ばすのである。揚雄の「蜀都賦」のなかには、成都の特産物として、蜀竹(しょくちく)や孤鶬(こけい)、銀や鉛、犀などと並び、僰の奴隷のことが描かれてある。人を物産扱いするなど、はなはだ野蛮な行為といえるが、褌に腰巻きだけの半裸で、重労働に従事する僰の奴隷は、成都の風物の一つだった。

「僕を連れてきてくれたんです」

 張嶷の耳にも聞こえたようで、李負に預けた足裏を反りかえらせながら言った。

 簡雍が榻の前の帳を手で差し上げると、確かに内庭に、赤肌で髪が縮れた僰人が三人入り込んできている。彼らは鋲の打った木箱を、井戸のたもとに積み上げていた。

「あれは?」

「僕の荷物」

「若い癖に物持ちだな。あいつらは、どうしてやったらいい?」

「馬忠は解放してやって欲しいと言っていました。文にも書いてあるはずです」

 読み落としがあったかと、文を繰っていくと、確かに最後の方に、張嶷と共に来た僰人達が太守府付きの奴隷であること、長年奉公してくれたし、本人達の希望でもあるので、成都東南の高禾(こうか)街という外民の住まう街で適当な顔役を見つけ解放してやって欲しい旨書いてあった。

「高禾の顔役なら、酒やみ市の張子夏だな。李翁、豚を潰してあいつらに食べさせておやり。そのあと、わしが文を書くから、僕町の張子夏のところまで連れて行ってやってくれ。無一文で預けるわけにもいかないから、銀を一人一錠ずつ与えてやるように」

「わっ」

 張嶷が喜びの声をあげた。裸足のまま駆け出すと、濡れた足で正房をよぎり、内庭に飛び出す。そして、僰人達の元に行くと、何やら聞き慣れぬ蛮語を声高に話し始めた。僰人達はかなつぼの魁偉な顔を寄せ集めて、張嶷の言葉を聞いていたが、やがて顔中に喜びを溢れさせると歓声をあげた。そして、順繰りに張嶷を持ち上げると、「ほっ、ほっ」とそれが感激を表すらしい音を出した。張嶷はされるがまま、僰人の差し上げた手のうえで、ことことと笑っている。

「本当に蛮族の言葉が分かるのか」

 馬忠からの文に、張嶷が音律に敏で、小鳥や獣の鳴き真似から西南夷の言葉まで、二、三回聞くと、すぐ覚えてしまう旨書かれてあった。

「仙童みたいな子ですね」

 李負は折角の仕事を台無しにされた恰好だが、微笑みながら内庭の張嶷を見守っている。しわの奥の目が濡れたように光っているところを見ると、もうこの少年に愛情を感じはじめているもののようだった。李負は、張嶷が戻ってくると、すぐ土まみれの足を盤に入れ、再び洗ってやったあと、室内用の絲履(しり)を穿かせてやった。

 李翁と李負が、僰人達の食事の準備に引き下がると、簡雍は再び少年と二人きりになった。

 張嶷は、太股の下に両手を差し入れ、足をぶらぶらさせている。ひどくくつろいだ感じで、この子のなかで、ここで住むということは、もう決定事項になっているようだった。

 簡雍の方でも、八割方そちらへ傾いている。

 ただ、馬忠の文には一つ含みがあった。

「もし、この子が大兄の目にかなわず、先帝の御心に叛くようでしたら、後宮にお預けくださいますよう」

 そう書いてあったのだ。

 劉備との関係から、太后とは今でも懇意にしている。会食に呼ばれることもあるので、簡雍が一声頼めば、この子の後宮入りはすんなり通るだろう。これだけの美貌があれば、女官達から愛されるに違いない。まばたきの度に風を起こしそうな長い睫毛や、百合のように細くしなやかな体つきを見ると、むしろそちらの方がこの子にとっても幸せなのではないかと思わぬでもなかった。

 養育者になるにあたっての、もう一押しが欲しかった。

 簡雍は聞いた。

「のう、お前は将来何になりたい?」

 いかに美少女のような容貌でも、男十四になれば、将来に、何か志望を持つだろう。それで、この子の器を見極めようと思ったのだ。

 張嶷は、こちらを見返してきた。

 愛情と聡明さに満ちて、瞳は水草のような睫毛に縁取られた、汀一杯に溢れそうに光っている。

 少年は言った。

「英雄」


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→ 花武担 第二章 簡雍(五)

英雄の起源

英雄の起源についてつらつら考えています。

日本は農耕民族で狩猟民族じゃないから突出した英雄が出ない。

よく言われる議論ですが「間違い」です。

そもそも、実家の村には猟師が何人もおり、一族集まっての宴会では猪鍋や、鹿の刺身が卓にあがるはゆまからすれば、日本を一概に農耕民族といっていいものかどうか疑問が残りますが、その議論はまずおいておいて。

純粋な狩猟採集社会というと、狩りの達者な人が一番尊敬され、肉も女も一番いいものをもらい、村の政治においても最も大きな権力を握ると思われがちですが、実態はまるで違います。

コンゴ民主共和国のムブティ・ピグミーやアカ・ピグミーのハンターは、大きな獲物をしとめても、まったく興奮の色を見せず、静かな態度でキャンプに戻ってくるのだそうです。

その後、規則にしたがって槍や銃の所有者、猟に参加したものの間で分配され、それからキャンプの各家族へ分配されるのですが、この際、決して肉を直接手渡されることはないのだそうです。

肉は放り投げられ、それを女性がバスケットにつめてキャンプへ持ち帰り、葉にくるんで仲間の小屋の上へ「置き」ます。受け取る側は常に表情を変えず、感謝の意は決して表現されることはありません。

ブッシュマンも、獲物をしとめたハンターは控えめな態度をとるのが普通です。キャンプに戻っても、たずねられるまで答えず、翌日みんなで獲物を取りに行ってもまったく賞賛の声は聞かれません。それどころか、獲物が小さすぎるとか、遠くまで歩かされたとか、ぶつぶつ愚痴を言われるのが常なのだそうです。

ハンター自身も自分の獲物が取るに足らないことを認め、申し訳なさそうな態度を取ります。

無論これは一種のジョークでありまた儀礼です。

ブッシュマン達は肉を平等に分配し、その幸福を存分に味わうわけですから、ハンターの仲間に対する貢献は高く評価しています。しかし、そこで獲物をしとめたハンターが一方的な「威信」を集めることのないよう、節度ある振る舞いを要求するわけです。

長らくピグミー社会の研究を続けてきた丹野正氏によると、彼らの社会は「分け与える」ことではなく「分かち合い」の精神によって特徴づけられています。そして、その前提として「所有」という概念は徹底的に忌避されるのです。

三国志の劉備や曹操、戦国時代の大名達、あるいはローマのカエサルといった人たちを示す意味で、今英雄という言葉を使いますが、こうした社会では、彼らのような人が生まれようがないということは容易に分かるものと思います。

英雄という肥大した自我は、優れた知恵と力で何事かを「所有」し、それを集団に「分け与える」ことで「威信」を示し、集団は彼に対し「感謝」を捧げるというプロセスによって、生み出されます。

しかし、純粋な狩猟採集社会は、そのプロセスのステップ一つ一つを、注意深く摘み取っているのです。これでは、劉備も曹操も織田信長もカエサルも生まれようがありません。

全ての民族は過去狩猟採集社会というものを体験してきていますが、もともと私達の社会は英雄など物騒なものは生み出さない仕組みを内包した社会だったと言っていいのかもしれません。

また、「御恩と奉公」という端的な言葉で、先ほど言ったプロセスを仕組みとしてしっかり組み入れた武家社会を過去に持つ、私達日本人の社会は、突出した英雄を嫌う社会どころか、実はそれが大好きな社会なのです。よく言われる嫉妬深さも、その大好きの分だけの反作用に過ぎません。

さて、ここで、タイトルに立ち返ってみると、英雄の起源は、狩猟採集社会のなかに見つけることは出来ません。むしろ、狩猟採集社会から、農耕牧畜社会への移行期に、この肥大した「これは俺のものだ」「俺がお前にこれを与える」「だからお前は俺に感謝しろ」と言い始めた自我は生まれ、彼の存在がブーストともなって社会の移行が完成したのではないでしょうか。

そして、リビアの砂漠で、メソポタミアの平原で、中国の黄河や長江のほとりで、生まれた彼こそが、全ての皇帝の、王の、大名の起源であり、人類を先に述べた「分かち合い」のエデンの森から追放し、なべての栄光と悲劇のルーツとなった存在なのです。

今さらエヴァと自分について

ちょっと「花武担」の筆休め。

今年(2014年)11月20日にエヴァ最終巻が発売らしい。

1995年10月から連載開始だから実に19年、シンジやレイやアスカよりも、作品の方が年上になってしまった。

作中のかつては先鋭的に見えたデジタルガジェットも、幾つかは2015年を待たずにすでに時代遅れになってしまっている。

しかし、それでも、エヴァ(あえて新劇の方でなくこちらの表記で書く)は、今でも私のなかでは新しい作品のままだし、少年の頃私の心に食い入った爪は年をおうごとにつれ、その力を増していっているもののように思える。何事か痛みを伴わずには振り返られない作品なのだ。

それはこのエヴァが、まさに私達の世代、いわゆる団塊ジュニアといわれる世代のために作られたものだったからのように思う。

日本史上、最も幸福な子供達。もともと、はゆま達、いわゆる団塊ジュニアは、そう呼ばれるにふさわしい世代のはずだった。戦後40年続いた平和で、たまりにたまった国富はひっくり返したおもちゃ箱の中身のように、私達の前にぶちまけられ、お金を持った子供の群れという神代以来初めてあらわれた生き物のために、面白い大人達が面白いことを次々と仕掛けてくれた。

少年ジャンプ、ファミコン、ドラクエ、ビックリマン、ミニ四駆。少なくとも、80年代から90年はじめにかけては、大人と同じく子供も夢か祭りのような日々をすごしていた。パトレイバーの後藤隊長が言ったように「高度成長って日本人の性なのかな」と思われ、大人気だったドラゴンボールの悟空は もっと強いやつをさがして地球を飛び出していった。

が、誰もが知っている通り、90年3月の総量規制に よって膨れに膨れ上がったバブルは弾け、祭りには必ず終わりが来ることを、日本人も知った。とはいっても、すぐに景気悪化の深刻さが感じられたわけではなく、はゆまのような中産階級の家にまでその影響が及んでくるのは96年~98年にかけてのことだった。

はゆまはまだ高校生で、幸福な消費者からそろそろ脱却しなくてはならないことを予感しつつも、まだ祭りの余韻に浸っていて、世間に漂う閉塞感への憂いも、当時はまだ傷のかさぶたをいじって湿った楽しみに耽るような余裕があった。
そんなときに、のっぴきならない衝撃度を持ってあらわれたのがエヴァンゲリオンだった。

短いカットを連続で繋げるスタイリッシュなOP、魅惑的なキャラクタ、細部にまでこだわった近未来の世界観、散りばめられた衒学的な謎の数々、緊迫感のあるストーリー展開。

民放が2局しかない片田舎で放映がはじまったのは一年遅れのことで、 しかも春休み子供スペシャルという悪い冗談としか思えない番組枠でのことだったが、とにかく夢中になった。そして、その分だけあの伏線を放り出しような最終回は残念だった。

映画「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に(以下、EOE)」は不完全燃焼で終わったそのテレビ版最終回を補完し、この世紀末にふさわしい神話を締めくくるものになるはずだった。が、そうはならなかった。映画はテレビ以上に混乱と破綻に満ち、メタな意味で悲劇的なものになった。

1960年生まれの庵野監督は大人が子供に対し物語を作った最後の世代であり、大人になれないまま成長した子供が、同じく大人になれないまま成長した子供に物語を提供しだした世代の走りだったように思う。彼の作った作品に自己否定と懐疑の陰影が深いのは歴史の必然だろう。

「それは夢の終わりよ」という言葉で突き放され、最も魅力的だったメインヒロインが惑星規模に膨れ上がったあと血液と脳漿をぶちまけて崩れ落ちたとき、確かに私のなかで何かが終わった。

幸せな消費者、子供だった時は過ぎ、期待していたカタストロフィが得られなかったかわりに、いつか自分自身が物語の 語り手になろうと決意した。それが実現するまでには10年以上の月日がかかったが、その時日本は映画冒頭でシンジが佇んだ廃墟と同じ光景のなかにいた。そして史上最も幸福だったはずの子供達は未来の約束を皆破られた上、端から守る気のない約束をこれからも押しつけられ続ける史上最も可哀想な世代になっていた。

歴史小説家なんてものの端くれにしがみついている自分だが、物語を書くということの原点の一つにエヴァがあり、今でも振り返って、こうして何事かを書くとき、筆が震えるのを、どうにも抑えられない作品のように思う。

花武担 第二章 簡雍(三)

 少年が昨日自邸を訪ねてきたとき、簡雍は非常な驚きを持って迎えた。

 街亭での敗報の詳しいところを聞き、怒りを含んだ、悪い昼酒を正房の榻のうえで、飲んでいる最中だったが、春の風にそそのかされて首を折り、はっともたげたらもうそこにこの美しい生き物がいた。

 蜀錦の帳をまいあげ、梅の花や、柳綿とともに吹き込んだとしか思えない、山精のようなあらわれ方だった。

「何じゃ、お前は?」

 簡雍は佩刀を引きつけつつ聞くと、

「馬忠が貴方の世話になれって言ったの」

 と、謁と文を渡してきた。

 受け取ると、そのまま、榻の上、簡雍の隣に座る。

「お前」

 簡雍は怒ろうとしたが、春の酒と生き物の美しさもあって、まだ、半ば夢のなかにいるような心地にいる。

 簡雍はさすがに少女と見まがうようなことはしなかったが、それにしても面妖な出で立ちである。少年は、羊毛の外套を羽織り、縮れの襦、麻の軽やかな胡(ズボン)、そして親指と人差し指で挟む蛮族式の下駄をつっかけていた。

「読んで」

 と少年は桃色の唇を開いて短く言った。

 簡雍は謁に「弟子馬忠再拝、問起居、字徳信」とあるのを確かめてから、やむなく文を読み始めた。

 文は確かに見慣れた馬忠の筆で、武人らしく簡潔に用件がまとめられている。

 その簡素で実際的な文章を見ているうち、心が現実に戻ってくるようだった。

 要は、この張嶷という通貞を預かって、成都で遊学させろと言うのである。

 簡雍は一つ上の世代、いわゆる清流派の知識人達のようには、宦官に対する憎悪に似た悪感情はなく、また、それを持つほどの接触もこれまでなかった。

 精々が、曹操と劉備の蜜月時代、洛陽で献帝に仕えていたころ、たまたまこの人種が、配膳する宴に、二、三度出た程度である。その際、「欠」とか「不足」と言った言葉は宦官の前では厳禁であることは知らずに、うっかり自分に渡された杯の口がかけていることを、役目のものに言ってしまった。

 その宦官は自分への当てこすりと取ったのだろう。眉の薄くノッペリした顔を涙に濡らしながら、

「ひどうございます」

 となじってきたものだった。

 簡雍は慌てて様々に謝り、機嫌を取ったが、宦官は婦人が嘆ずるときのように、くねくねと身もだえし、「ひどうございます。ひどうございます」と繰り返すばかり。結局、間に劉備が入り、場を取りなした。

 その際の、憎悪とまではいかなくても、何か海綿とか、蚯蚓といったいった軟体の動物の粘液を浴びたような、不快な気持ちはよく覚えている。簡雍は、劉備や関羽や張飛といった、とにかく男臭い連中と、とにかく男臭い生き方をしてきた人間である。陸に打ち上がった蛸のような人間と、この年になってから一緒に暮らすというのはやりきれない。

(嫌だな)

 そう思ったとき、肩に柔らかい重みがした。

 見ると、少年が簡雍の肩にもたれかかっている。口を天井の方にあげ、「くー、くー」と案外猛々しい寝息をたてていた。そこで初めて、簡雍は少年のいた牂牁が成都とは千里も離れた遠隔の地であることに思い至った。疲れていたのだろう、寝顔はいかにも放恣であどけない。

 簡雍は手を叩いて、李翁を呼んだ。

 李翁は少年を見て驚いたようだったが、簡雍は「馬忠の縁者のものだ」と短く説明し、温めた漿と、顔と足をあらうための湯を持ってくるよう言いつけた。

 そこまでしてようやく簡雍は少年に対し、山精でも、また、不快な宦官という生き物でもなく、あたりまえの子供として見ることが出来るようになった。

(劉哥哥が可愛がっていた子でもあるし)

 文には劉備の白帝城の最晩年、親鳥が雛鳥をその羽で抱くようにして、この子のことを慈しんでいたということが書いてあった。馬忠に養育を頼むときも、

「この子は君と同郷の巴人のようだ。年は離れているが、私の元に同時期に来た同輩ということになる。よろしく育ててやってくれ」

 と言ったらしい。

 また、その際、劉備はこの子の才能を高く評価し、

「蜀の王ともなるべき才能を持っている」

 と述べたという。

 まだ、十に届かぬ幼児をつかまえて才能も何もないようだが、こと、人を見る目にかけては、曹操すら「かなわない」と言った劉備の言である。目利きの美術品への評のように、そのことだけで、もう対象物は神秘性をおびてくる。実際、関羽も張飛も旗揚げ時の五百人のなかにたまたま彼らがいたというより、五百の泥のごとき素材のなかから、劉備による選別と練磨を経て関羽と張飛になったように思う。

(考えてみるか)

 簡雍は少年の庇護者になるということを、一つ前向きに考えてみようという気になってきた。

 それに、一口に宦官といっても、史記を書いた司馬遷、紙を発明した蔡倫などという豪傑がいる。また、後漢三代目皇帝、和帝はやや線の細いところはあったものの、内には善政を敷き、外には異民族との融和をつとめた名君だったが、彼を補佐し、実質的に政治を切り盛りしていたのが、鄭衆という宦官だった。

 さらにいうと、後漢末期、劉備が太守をつとめたこともある譙県にとある一族がいた。彼らは、かつての元勲の子孫達だが、今は中央どころか県長といった地方官程度の役職にも就くことの出来ないほど落魄していた。一族の長達は、将来を悲観し、非常の手段に打って出た。

 一族のなかで最も英邁な子供を宦官として朝廷に送り、いわば搦め手から皇帝という至高の存在に近づこうとしたのだ。

 その少年は一族の長達のあつまる部屋に呼び出され、「このたくらみ如何?」とのしかかるように聞かれたらしい。長達は古錆びた老木が凝り固まって人になったような老人ばかりで、対する十三の少年は楚々として花の如き美々しさだったという。風景としてこれほど悲惨なものはないが、少年は黙って透き通るような笑顔を浮かべると、厠に一人で行き、白い小魚のようなそれを我が手で掻き切った。

 そして、少年は一人洛陽まで旅して、後宮に入り、そこで好運にも皇太子の学友となった。皇太子は、凡庸で、学問はむしろ少年の方が上達がはやく、ときに、少年は皇太子に「これはこういう意味です」といった風に、教えてやるようなこともしてやったらしい。年は少年の方がやや上である。皇太子は平凡なりに善良な性質で、人の庇護心を掻き立てるようなところがあった。自然、少年と皇太子は、君臣の枠を超えて、兄弟のような感情をお互い持つようになったらしい。

 後に皇太子は外戚の害のために一時廃嫡されるのだが、少年は、魑魅魍魎の渦巻く密林のごとき後宮を駆け、時に、宦官ながらも、腕力を振るうようなことすらして、皇太子を皇帝の位につけることに成功する。その功で、彼は、宦官にとっても最も最高位となる役職、大長秋にまで登り詰めた。

 この少年の名を曹騰という。

 曹操の義祖父にあたる人物である。

 曹騰は栄達の後、長の思惑通り、一族のものを芋を引っ張り上げるようにして、次々と要職につけた。これが、今中原で時めく、曹氏、夏侯氏の栄達のきっかけになったわけだから、魏という国自体、ちっぽけな少年の凄惨極まる自己犠牲から始まったといってもよいかもしれない。実際、曹騰は、魏で高皇帝を諡されている。

 曹騰は縁者のなかから、曹嵩というものを養子に取った。この嵩の子供が曹操である。曹操が成人するまで、曹騰は健在で、この祖父は一族の生ける氏族神のような扱いを受けていた。曹操の人格形成に、曹騰は、直接、間接の影響を与え、彼の果断さや性格の激しさ、英邁さといったものは、実父を飛び越えて、むしろ義祖父に似ていたという。

→ 花武担 第二章 簡雍(四)
三国志連載小説
花武担 花武担
プロフィール

黒澤はゆま

Author:黒澤はゆま
歴史小説家。はゆまは古語で「早馬」「報せ」の意味。小説のことや歴史のこと、また日々の徒然のことを、「報せ」ていこうと思います。三国志を舞台にした小説「花武担」連載中。

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