宮崎駿「風立ちぬ」考察(1)

風立ちぬを連れ合いと見てきました。

素晴らしい映画。

とにかく、その一言しかない。

家に帰ってしばらくたった今も、興奮さめやらぬの状態です。足がまだ振動するジュラルミンのタラップの上にいるみたい。

しかし、これまでのジブリ映画と、まるで違うものになっているため、首をひねる人も多いと思う。実際、ネット上では酷評の声も目立ちますし、連れ合いも、どこが盛り上がりか分からなかったと、怪訝な顔をしていました。

確かに解釈が難しい映画です。はゆまだって、どう読み解けばいいか困惑している部分もあります。

ただ、はゆまは、この映画を見て、かつて読んだ宮崎駿のある文章を思い出しました。それはサン=テグジュペリの短編集「人間の土地」のあとがきに、彼が寄せた「空のいけにえ」という文です。この奥行きの深く、難解な映画を読み解く鍵に、この「空のいけにえ」がきっとなると思います。

◆空のいけにえ

人間のやることは凶暴すぎる。20世紀の初頭に生まれたばかりの飛行機械に、才能と野心と労力と資材を注ぎ込み、失敗につぐ失敗にめげず、墜ち、死に、破産し、時に讃えられ、時に嘲られながら、わずか10年ばかりの間い大量殺戮兵器の主役にしてしまったのである。……操縦士、機関士、銃手、通信士達は皆おどろく程若く、おどろくべき速さで消耗し死んでいったのだ。……国家は、死の大釜に若者達を送り込みつづけた。……サン=テグジュペリの作品や、同時代のパイロット達が好きになればなる程、飛行機の歴史そのものを冷静にとらえなおしたい、と僕は考えるようになった。


サン=テグジュペリは「星の王子様」を書いたフランスの作家で、同時に飛行士だった人です。生前は、自分の飛行体験を書いた小説の方で著名で、「星の王子様」が大ヒットするのは、その死後のことでした。人間の土地も、彼の職業飛行家としての思い出を綴ったもので、まだ脅威の世界であった時代の空の猛々しさと残酷で透き通った美しさ、その空を未成熟な飛行機という野蛮な道具を駆って、勇気一つを武器に、征服しようとした若者達の目映い生と死、そしてその特殊な環境で培われる清浄なモラルや友情が描かれています。

宮崎駿は、こんな作品に、上記のような後書き、「人間の土地」だけでなく、自分自身にも批判の矢を向けた文章を書いたのでした。さらに、「空のいけにえ」はこう続きます。

飛行機好きのひ弱な少年だった自分にとって、その動機に、未分化な強さと速さへの欲求があったことを思うと、空のロマンとか、大空の征服などという言葉ではごまかしたくない人間のやりきれなさも、飛行機の歴史のなかに見てしまうのだ。自分の職業は、アニメーションの映画作りだが、冒険活劇を作るために四苦八苦して悪人を作り、そいつを倒してカタルシスを得なければならないとしたら最低の職業と言わざるを得ない。それなのに、困ったことに、自分は冒険活劇が好きだと来ている。


宮崎駿のなかで、飛行機の歴史に対する懐疑と、自分自身の職業に対する懐疑が重なりあっていることが分かります。それは彼の生い立ちを考えると当然のことでした。

◆宮崎航空興学と飛行機と戦争

宮崎駿は1941年、宮崎航空興学という飛行機メーカーを一族で経営している家に生まれました。彼の飛行機や、飛翔することに対する強い憧れは、この会社から来るもので、自分自身のルーツも、クリエーターとしてのルーツも、遡れば、当時軍需産業と密接に関わり合っていた飛行機工場に至ります。戦時中、零戦は、10、430機作られますが、そのなかには、宮崎航空興学で組み立てられたものもあるはずです。彼が憧れを持って見あげた飛行機達は、他国の都市に爆弾の雨を降らせ、他国の若者の駆る飛行機を打ち落とし、最後に炎に包まれながら自国の若者の鉄の棺桶となる運命をになっていました。

宮崎駿が四歳のとき、日本は戦争に負けます。軍国少年だった彼は、反動から、以後、徹底した戦闘的平和主義者となります。そして、学習院大学を卒業後、アニメーターとしての道を歩み出し、その後の成功については皆が知るとおりです。

しかし、一方で、彼が、自分の創作者としてのルーツを辿るとき、その源泉には、必ず格納機のなかに、静かに羽を休める軍用機の群れがありました。それは、軍需産業という直接的かつ親子の結ぶ付きだけでなく、未分化な強さと速さへの欲求、そしてカタルシスを根源的に求める人間の業から産み出されたものとして、実は同時に戦争と兄弟の関係にありました。

そして、この関係を敷衍すると、駿自身の作品も、飛行機を介して戦争と孫の関係にあり、また、創作への衝動が、同じく、未分化な強さと速さへの欲求、そしてカタルシスを根源的に求める人間の業から産み出されたものとして、戦争と兄弟の関係にもあるのでした。

根源的な平和主義者としてアニメにたずさわってきた、自分自身のルーツ、創作への衝動、どちらも辿ると飛行機に、そして戦争にたどり着いてしまう。

はゆまは、この自己矛盾への、宮崎駿の解答が「風立ちぬ」だったのだと思います。

長くなってきたので、続きは明日以降に。

読書会

友人のTさんが、大阪文学学校の生徒さん達六人と、はゆまを囲んでの読書会を開いてくれた。場所は、天満橋のエル大阪。一度に複数の読者さんに囲まれて、自作について、やいのやいの言われるというのは、デビューして初めての経験。かなり緊張した。

皆様、純文学が中心の文校で、頑固にエンタメを志望し続けてきたという方々。全員はゆまよりも年配で、なかには地方の文学賞を何度も取ったという方もいた。選りすぐりの古豪が集まったという感じだ。

当然、読書会の合評も、ありがちな花相撲的なものにはならなかった。いろいろ突っ込んだ質問もされたし、鋭い指摘もあった。皆さん、文校で、自分も創作し、合評を重ねてきた方たちなので、大変有意なものばかり。セッセとメモを取らせてもらった。

はゆまからデビューの軌跡や、創作のヒントを学ぶという趣旨だったらしいが、あまり大した情報も伝えられなくて申し訳なかった。どちらかといえば、こっちの方が学ぶことが多かったように思う。おまけに、合評の後は、おいしい料理とお酒をごちそうになってしまったし……また、どっかでお返しさせてもらいたい。

しかし、大阪は、はゆまが学んだ「玄月の窟」含め、いろいろな小説教室もあれば、大阪文学校もあるし、同人活動も盛ん。出版社はほとんどないとはいえ、意外と文学活動のすそ野は広いんだなと思った。何ができるというわけでもないが、自分はそのすそ野の村で育ったという意識もあるし、どんな形でもいいから少しずつ恩返ししていきたいものだ。

新装版クロ號(2)ボス! チビたちが大変です

大好きな杉作氏の猫漫画、クロ號新装版の二巻を読了。少し大人になったクロやチン子と、クロの初恋の相手だったマダラの子供の話がメインだった。

ぱっちり目の大きく描かれた杉作氏の猫達は本当に可愛い。しかし、そのキュートなタッチの絵とは裏腹に、内容はなかなかにシビア。ふとしたことで命を失う、はかない野良猫たちの生もリアルに書いている。時々、ギューと胸が切なくなって、ついつい我が家の元野良をつかまえて取った写真がこれ。

DSC_0037.jpg

長生きしてね。ブーチン。

ネット小説時代の思い出

先日、バーで飲んでたら、隣り合わせた人と、ネット小説の話題で盛り上がった。その方は、作家志望者で、結構有力な賞の三次選考とかにも残っているらしかった。最近はさらに腕をみがくために、ネット小説に投稿しようかと考えているそうだ。

普通に暮らしているとなかなか創作の話を直で語り合えることはないのでこういう出会いはとてもうれしい。

しかし、ネット小説で創作にいそしんでいる人は結構多いものだ。ネット小説上で出会った親友達の結婚式のスピーチをしたこともあるし、こないだの小川洋子さんの朗読会では、別個にはゆまの知り合いだった二人が初めて出会って挨拶したら、実はネット小説上での付き合いがあり、お互いに会いたいなぁ~と思っていた同士だったりした。

かくいう、はゆまもFC2小説というネット小説サイトで書いていたことがある。

自分で書いたものが人目にさらされ、感想も返ってくるという経験をはじめてしたのが、その場所だった。原稿用紙10枚ほどの短編に、初めて感想が来たときの喜びはいまだに忘れない。部屋のなかで、三十分ほど小躍りしていたように思う。

FC2小説にいたのは二年ほどだったが、ネット上とはいえ、お互いに感想を言い合ったり、励ましあったり、時には辛らつな批評で活を入れられたりと本当に楽しかった。その時に書いていた、三国志の長編は、勝手に中国の、日本語学習者のポータルサイトに掲示され、完璧に著作権違反のナルト第一話丸まるコピーのページの隣になっていたりもした。

ただ、やっぱりいわゆる荒らしといわれる人もいた。はゆまも、しつこく絡まれたが、それはもう大変だった。

はじめははゆまの書いた掌編に高評価をつけてくれ、その感想の文も達意なものだったので、なかなかすごい人だな、この人の小説も読みたいものだと思っていたのが、たった一日で一変。

急に自分のエッセイや、他の人の作品の感想にまで、はゆまの悪口を書き出し、自分のブログに誘導しようとしだした。何でも、はゆまが、自分のブログのネタを盗作したというのだ。

1)はゆまの掌編に焼酎の黒霧島が出てくるが、それは自分のブログにものっている。2)生レバーをごま油と塩で食べる描写があるが、それは自分のブログにものっている。3)梶井基次郎のレモンの引用があるが、それは自分のブログでもやっている、とのことだった。

最後に、数年前の自分のネカマ時代のブログ記事までわざわざ掘り起こして小説のネタにするはゆまとやらは、卑怯なやつだという罵倒まで、はゆまは浴びたのだった。

一言で言えば、サイコ君である。

大体、そのブログとやらをはゆまは見たことがなかったし、1)については黒霧島は宮崎の県民酒、2)は大阪の焼肉屋では当たり前、3)は梶井基次郎の檸檬を引用して怒っていいのは梶井基次郎だけだろう。

また、何故か人を攻撃する際に、自分の履歴や性癖を披露する癖のある人のようで、何でも、当時25歳で、無職で、童貞ということだった。おまけに、先に書いたもとネカマという特性まで加わる。

どれ一つとっても、放置していたら、死に至る病である。合コンに行って素敵な異性を見つけたり、リクナビエージェントに登録して自分の才能を試せる職場を探したりした方が、何ぼか有意義だと思うのだが、それよりも彼にとってははゆまを攻撃することのほうが大事なようだった。

その後、当然のように、彼は誰からも相手にされなくなり、もうはゆまだけでなく、世界中を呪詛しつつ、FC2小説から消えていったのだが、どうもこういった手合いは、ネット小説界のどこにでもいるらしい。

何人かのネットでの創作を経由してデビューした方の話を聞くと、そのほとんど全員が、はゆまと似たような経験をしていた。その意味では、こういった人に出くわすのは、それだけ作品が注目されたということだから、喜ぶべきことなのかもしれない。

それに彼らにだって同情すべき点がないわけではない。もし彼らに週末の晩にベッドの上で思い切りふざけ合える恋人がいれば、自分のまだ一度も発揮したことのない知恵と才覚を奮える職があれば、そして、そうした鬱屈をバネに小説や漫画を書くだけの才気と勇気があれば、彼らだってこんなことはしないだろう。ネットの世界では、性を偽らなくてはならないほど、彼らは傷ついて、追い詰められているのである。

だから、もしこれからネット小説で作品を書き始めたり、あるいはもう書いている人がいて、こういった手合いに出会ったら、憐憫の笑いをかけてやったあと、そっと削除ボタンを押してあげますよう。才気と勇気にあふれた貴方に、こんな人たちをかまってやる時間はないはずなのだ。

皆様、ご健筆を。

歴史小説は老人の散歩なのか?

七月のはじめあたりから、立て続けに四通ほど、ご批判にあたるメールが来て、少々げんなりしている。もちろん、昨今世間を賑わせている川越シェフの問題でもあるまいし、ご意見は真摯に受け止めて、次作に生かしたい。

が、さすがに原稿用紙数十枚にも及ぶメールを受け取ると、内容の良し悪しとは別に、この晴れ渡った夏の日差しの下で、ほかにすることはないのかしら?と少々心配になってしまう。

どなたも中国の歴史に堪能な方で、その歴史考証における突込みの細やかさは実に見事なものだ。ただ、正直な話、市場に出る作品というのは、歴史考証における校正はかなりみっちりやり、突っ込まれるところも、アウトかセーフかぎりぎりグレイのところを、演出とか、キャラクターの行動における必然性とかの観点から、「ええいっ」という覚悟で書ききった部分であることの方が多い。なんで、せっかくメールをいただいたのに悪いが、正直読んでいて退屈。

また、皆様、既存の中国歴史小説とかドラマを読んだり、見たりしていた方々のようなのだが、そういった方々の観点から言うと、はゆまの「劉邦の宦官」は中国歴史小説ではないそうなのだ。なぜなら、「お約束」を破っているから。

お約束の中身についてははっきりと書いてらっしゃらないので、はゆまもよく分からないが、どうもその行間からは、自分の歴史像や人物像、そして歴史小説像と違うものを書かれたことに対する、苛立ちのようなものを感じる。

こうした反応に出会うと、はゆまはどうしても司馬遼太郎氏の言葉を思い浮かべてしまう。司馬氏は「義経」という作品を書いたあとに殺到した読者の批判を受け、多くの歴史小説読者にとって、歴史小説は自分の知識の再確認の儀式でしかない、とそうこぼした。自分なりの人物像や歴史像がまずあって、そこから逸脱するものについては、受け入れられない、ということなのだろう。

しかし、もう最初からある歴史像や人物像を、先達の作家が編み出した方法論で書いた歴史小説に何の意味があるんだろう。それは、言わば、老人の散歩みたいなものだ。同じルートをたどり、同じ歩幅で歩き、弱まった心臓と頭脳でも受け入れられる程度の刺激を楽しむ。変わり映えしない道、変わり映えしない風景。新しい喫茶店が出来た程度の刺激は喜ぶが、それ以上のものは求めない。

もともと、歴史小説の読者層というのは、他の小説と比べて高い。最初から時代背景や、人物の知識が入っているんで、頭のなかで世界を立ち上げるのに、脳のプロセッサの負担が少ないからだろう。こりこりに固まった頭脳には受け合いなのかもしれない。

もちろん、老人の散歩を介添えする老人介護の仕事もとても大事で尊い仕事だと思う。ただ、それははゆまの仕事ではない。

もともと、はゆまは中国歴史小説は古典だけ読んできて、いわゆる歴史小説家の方々の作品は、司馬遼太郎さんとか、陳舜臣さんとかの大御所を除きほとんど読んでいない。

中国歴史小説で作家デビューしようと決めたときから、なおさら読まなくなった。なぜなら、新人というのは、ある分野に新しい風、新しい読者をともなってやってくるべきものだと思ったから。

歴史も好きだが、漫画やアニメも大好きで、少女漫画もガンガン読み、堀井雄二さんや、中村光一さんみたいなプログラマーになりたくて、ITの道へ進んだという、歴史小説家としては異色の自分の経歴ならではの視点と、方法論で、書かなくては意味がないと思ったのだ。

そして、何かいい題材はないかな~と思って史記を探っていたとき、目に止まった、樊噲伝に一瞬だけ出てくる、名もない宦官。老い疲れた劉邦に膝を貸し、樊噲に罵られただけで、歴史の重々しい緞帳の裏へたちまちのうちに消えてしまう人物。いかなる解説書でも、背景として描かれるだけで、誰からも、二千年省みられることのなかった人に、貴方は誰? 何を見てきたの? と問いかけていく小説を書こうと思ったのだ。

「歴史小説苦手だったけど、この本は読めました」そんな感想も多い。そして、こういった感想が、はゆまにとって一番嬉しい。新しい読者を、中国歴史小説という分野に連れてこれたということになるからだ。

今、第二作についてエージェントの方と企画中だが、それも、既存の歴史小説とは全く違うものになるだろう。もちろん、メールをくれた方々には悪いが、一切の「お約束」を破ったものになる。どうか楽しみに待っていて欲しい。

ヱヴァンゲリヲンと日本刀展いってきました

大阪歴史博物館で開催されているヱヴァンゲリヲンと日本刀展行ってきました。

DSC_0025.jpg

日本刀の歴史的変遷とかの掲示もあって結構勉強になった。現代の名工達がコラボしたエヴァ刀も凄いクオリティ。才能の無駄遣いを通り越して、ここまで来ると、蕩尽、祝祭的なポトラッチめいたものを感じます。エヴァファンも日本史ファンも絶対行くべき。

中華歴史ドラマ列伝さんが「劉邦の宦官」の紹介記事を!

中華歴史ドラマ列伝さんが、拙作「劉邦の宦官」の紹介記事を書いてくれました。

http://www.chuka-drama.com/news/20130708190.html

歴史に精通する著者が、漢代の食や性、都市や宮殿の構造などを精密に描きながら、リアルにみせる宦官の生活。歪んだ闇の世界で、美も醜も織り交ぜに生き生きと語られる複雑な人間模様。読む者を古代中国の後宮に深く誘い、読んだ後には大きな余韻を残させる、その筆力は圧倒的。宦官の告白本とも言える、新しい形の歴史小説だ。

おぉ、こんなに言っていただけるなんて、本当にありがとうございます!

中華歴史ドラマ列伝さんは、中国国家観光局が特別協賛しているサイトで、中国の歴史を舞台にした映画やドラマを列伝形式で紹介しています。その他にも、様々な中国文化に関するコンテンツを紹介しており、歴史エンタティメント総合ポータルサイトの名に恥じない内容になっております。是非、遊びに行ってみてください。

小川洋子さんの朗読会に行って来ました

お師様の玄月先生の経営するバー・リズールで小川洋子さんの朗読会があったので行ってきました。

小川さんは、とても小さくて、でも何か緻密に細部まで作り込まれている感じの、お人形さんのような人でした。可憐っていう言葉がとても似合う人です。

文庫本で失礼だったけど、快くサインしてくれました。かなり嬉しい♪

DSC_0021.jpg


岡田史子 語られる前の物語達

前から気になっていた岡田史子の作品集「オデッセイ1966~2003―岡田史子作品集 (Episode1)」をアマゾンで購入。今日、読了した。

岡田史子を知らない人のために、その略歴を説明すると、1949年、北海道静内郡静内町(現・日高郡新ひだか町)出身の少女漫画家で、その詩的な作風の漫画は、萩尾望都、手塚治虫、など錚々たる作家達に評価され、天才の名をほしいままにした。一般にはマイナーだが、漫画家のための漫画家といわれる作家である。

大好きな飯沢耕太郎のエッセイ「戦後民主主義と少女漫画」で紹介されていたので、前から読もう、読もうと思っていたのだが、今回初めて念願かない、手にとってみた。

が、やはり、もう40年以上前の漫画。画が古臭い、ていうか稚拙。そして、話も筋らしい筋がなかったり、あっても単線的なものばかりだ。最初は、う~ん、これが天才……?と思った。

だが、読み進めていくうちに、不思議とざわざわ、ざわざわ、心がざわつくものを感じる。大脳新皮質、理屈とか論理の世界では理解できないんだけど、そのもっと奥、無意識の世界にある、何かやわらかいものが、揺さぶられている感じ。ちょっと、たとえは悪いが、心の病んだ人の文字や絵を見るときの感覚と似
ている。時々、怖くなって、本を閉じたりもした。

これはいったい何だろう?

しばらく考えてみて、ここに描かれているものは、皆語られる前の物語たち、原物語とでもいうべきものたちなのだ、ということに気づいた。まだ、三歳とか四歳の子供が、何か語ろうとするとき、それは断片的なイメージばかりになって、一向に構造と流れを持ったいわゆるオハナシにはならないのだが、この作品集の漫画もそれに似ている。

一般に漫画にせよ、小説にせよ、物語の作り手というものは、意識の世界から無意識の世界にダイブし、水底に眠った原物語を見つけてつかまえる。そして、海女のように浮上したあとは、絵の技術であれ、言葉の修飾(レトリック)であれ、意識の世界で培った技術で加工し、人に聞かせたり、見せたりするにたるオハナシに加工するのだ。海底の珊瑚や真珠を、人が身につけることの出来る、指輪や首飾りにするのと、その作業はどこか似ている。

が、岡田史子の漫画というのは、その珊瑚や真珠に比況できる、原物語群が、元型のまま、ごろごろと、未加工で転がっているのだ。そして、その荒っぽい、宝石たちの輝きの豊潤で、まばゆいこと……

岡田史子の漫画について、ネットのレビューを見ると、はゆまが当初感じたように、わけが分からないと感じる人も多いようだ。萩尾望都をはじめとする、漫画家たちの熱狂ぶりと、それは対照的だ。実際、下記の岡田史子自身のインタビューからも分かるとおり、デビュー当初から、彼女の称賛者は、物語の作り手側の人たちだった。彼女の別名は「漫画家のための漫画家」でもある。

今回の出版はありがたいことだけれども、嬉しいというより、不思議な感じがしますね。東京に住んでいたころには、ファンの人がたくさん集まってきて、男性はたいてい私に恋をしたりしてね。わたしに直接会うと、漫画以上にわたし自身に興味を持たれることがよくあったんです。わたしの漫画の話はほとんどしなかった。みんな自分でも描く人だったしね。



この反応の違いは、材木を見るときの、大工と一般人の反応の違いに例えてよいのかもしれない。一般人から見ればただの杉の柱でも、大工から見れば、「この太さと長さ、しかも節が一つもない上にまっすぐだ。こんなやつで家を建てたいもんだねぇ。施主はどんなすげえ建物を建てる気なんだろう」そう感じるのだ。

少女マンガ家の中で、最も技巧に長けた、つまり意識の力で無意識をコントロールするのに長じ、そのために長命で、いまだに現役の作家、萩尾望都が、岡田史子に夢中になったのも必然だったのかもしれない。萩尾望都は、夢中になるあまり、断筆状態だった岡田史子を呼び返し、1990年に復活させたりもする。

が、結局、岡田史子は、技術を洗練させることはなかった。先述の一時的な復活もあったものの、すぐに再び筆を折り、さっさと田舎に帰ってしまう。言ってみれば、珊瑚や真珠は砂浜に、すばらしい材木は建築場で野ざらしのまま、ほったらかしにされた。闇に消える蝶の鱗粉のように、可能性の予感だけを、ふりまくだけ、ふりまいて。

創作を少しでもやった人なら分かることだが、実は、文章や絵を彫琢していくうえで、失われるものは幾らでもある。洗練された文章や絵で描かれた漫画が、読んでいるうちはいいが、読み終えて本を閉じたら、あれっ、自分のなかに何も残っていない。蒸留し過ぎたリキュールが、原材料の風味を舌に残さないのと同じく、技術で得ることも100あるが、同時に失われることも100あるのである。岡田史子にとっては、洗練なしで、「丸ごと」紙面に描くことの方が大事だったのだろう。一作ごとに、画風を変えたという姿勢からは、絵柄が洗練されていくことを積極的に拒否している気配が感じられる。

2005年に彼女はまだ51歳の若さでなくなった。漫画家としては決して若いという年齢ではないが、それでも、彼女の場合惜しいと感じさせるものがある。語られる前の物語たちは、彼女とともに、紺碧の水底へと沈んでいった。それは、決して、浮かび上がることない、誰にも目の届かぬ場所で、彼女の人生と同じ、なぞめいた光を放ち続けている。

大阪春秋151号に寄稿いたしました

四十年以上続いている伝統ある地方紙、大阪春秋さんの「大阪現代作家数珠つなぎ」というコーナーに寄稿させてもらいました。「長居公園の猫」というタイトルです。その他のコーナーも、大阪のコアな歴史の話題ばかりで面白いです。是非、御一読を♪

http://www.shimpu.co.jp/bookstore/item/itemgenre/osakashunju/1521/
三国志連載小説
花武担 花武担
プロフィール

黒澤はゆま

Author:黒澤はゆま
歴史小説家。はゆまは古語で「早馬」「報せ」の意味。小説のことや歴史のこと、また日々の徒然のことを、「報せ」ていこうと思います。三国志を舞台にした小説「花武担」連載中。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
ご意見、ご感想はこちら。必ず返信します

名前:
メール:
件名:
本文:

works
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR