中国の阿魏(アウェイ)

おとんがまた中国に一人で遊びに行った。名目は、契約したままになっている中国のクレジットカードの解約ということだったが、それを口実に中国の友人達、特に 親しかった元運転手のアウェイ(阿魏)に会いに行くのだろう。

今は宮崎で悠々自適の年金暮らしを謳歌しているおとんだが、そのキャリアの最後は、中国の合弁会社の総経理、つまり社長というものだった。通常、五十五歳になったら、国内関連会社への出向か、福祉サービスとか、総務とかいう名の、閑職に追いやられるのが通例だったのに、ビジネスの最前線も最前線の場所に飛ばされたのは、それなりに有能だったからだろう。

鉛筆削りしたり、新聞読んだりしながら、細々とサラリーマンとしての余生を過ごせばいいかと思っていたおとんは、この辞令に発奮。50の身空で、 瞬く間に中国語を覚えると、日本人、中国人あわせて千数百人いる会社の経営者として、ばりばり働きだしたのだった。おとんが中国に赴任したのは、 ちょうど一度目の反日デモが発生したときで、はゆまもあのテレビ映像を見てショックを受け、「はやく日本に帰っておいでよ~」と涙ながらに訴えたのだが、「中国がどれだけ広いと思ってるんだ。うちにはあまり影響はない。まぁ、日系資本のデパートは出禁で、イオンにもいけなくなったから、好物のハーゲンダッツは買えなくなったけどね」とさらりと一言。

実際、その三ヶ月後くらいに、初めておとんの住む中国のマンションに遊びに行ったが、少なくともはゆま自身の経験から言うと、脅威を感じたり、不愉快な目にあうことはひとつもなかった。中国の人たちは皆親切で、広州へ高速バスで遊びに行ったときは、言葉に不自由な日本人が乗っているからと 運転手さんが常に気にかけてくれ、目的地に着いたときはわざわざ席まで来て「ここで降りなさい」と教えてくれた。

デパートに中国茶を買いに行くと、チャイナドレスを着たきれいなお姉さんが、作法に則った美しい所作で、中国茶を入れてくれ、じゃぁこれにと途中で決めようとしても、「最後まで飲んでいって」と、すべてためさせてくれた。

街中には、向こうでは日式料理とよばれる日本料理屋が軒をならべ、海老茶色の可愛い作務衣を着た小姐たちが、元気な声で呼び込みをしてい た。反日でもの直後だったが、小姐たちに、他民族しかも政府が名指しする敵対民族の衣装を着ているという屈託はなく、年頃の女の子が可愛い服を着て、自分自身を可愛いと信じきっているときの、満ち足りた表情をしていた。

夜は、冒頭も言った、おとんの運転手のアウェイが、美味しいものを食べに、いろんな場所を案内してくれた。海鮮豊かな広東料理、アウェイの故郷である黒龍江省の東北料理、変わったところでは川えびの釣堀にも連れて行ってくれた。釣堀の水は味噌汁のようににごっていたが、釣ったばかりの川えびに塩を軽く振っただけのバーベキューはほっぺた落っこちそうになるほど美味しかった。また釣堀には併設の養鶏場もあって、これまた取れたての若鳥の骨付き肉を、黒酢と魚礁の味付けで、豪快に中華なべでいためた料理も出してくれた。チンタオビールを飲みながらのこいつは、本気で頭がおかしくなりそうなほど美味く、ビールは砂漠での水のように、すいすい体に入っていった。ちなみに、取れたてってどういう意味?とアウェイに聞くと、満面の笑顔で裏手の方に連れて行ってくれ、そこではランニング姿のおっさん二人が、まさに鶏をしめる真っ最中だった。はゆまは、弟と二人、来た道をすぐにユーターンした。

おとんの経営する、工場に見学に行ったときは、ちょうどローンで新車を購入したばかりの中国人の工員の子がいて、うれしくてたまらなかったのだろう、昼休みに皆に見せびらかすために、工場中を走り回っていた。その車の後ろをたくさんの若い男女の工員がついてまわっているのが、お祭りの山 車のようだった。その様子に、はゆまは戦後直後を舞台にした黒澤明映画のようなみなぎる活気を見て、涙が出そうになったのだった。

おとんが中国にいたのは、2005年から2010年までの5年間。ちょうど中国の高度経済成長の最後の盛りだった時期で、日本の高度経済成長期に青年時代を過ごしたおとんにとっては、第二の青春だったのだと思う。

その旅行中のおとんから先日電話が来た。やはり、アウェイと一緒に飲み歩いているらしい。相変わらず楽しそうだが、気になることも言っていた。な んでも、中国の人たちの表情が一様に暗いのだという。自分が経営者だったときと違い、働く人たちは文句が先に出るようになったとも言っていた。 上げ潮でがんばって働けば誰もが豊かになれると信じられた時代は終わり、勝つものと負けるものの差が出てきたのだろう。待っていても、自分の番は来ないということを悟った人たちが、焦り始めてきたのだ。

「何でも一生懸命じゃった、俺の好きな中国はなくなってきよるのかもしれん」

おとんは少しさびしそうだった。

一方、アウェイは相変わらず運転手を続けていて、ほかの同年代の中国人のように、自分で商売をはじめる気は一切ないらしい。「これ(運転)が好き だからね。商売は嫌いだ」ということだった。満州出身、元人民解放軍空軍で、身の丈は180センチ、体重は100キロ近いアウェイは、チワン族の雌牛のように美しい(アウェイの表現)妻との間に、二人の娘を作った。はゆまが遊びに行っていたころは、二人ともぽくぽくと肥えて、言っちゃ悪いが太った蛙のようだったが、おとんが「今のウェイ家」というタイトルで送れってくれた写真を見ると、南国系の彫りの深い顔立ちに、すらりとした体躯の、美しい少女に成長していた。その二人の娘に挟まれ、がっしりと父の肩をつかむ、アウェイの朴訥な顔を見るにつけ、本当の意味で、中国という国の土台を支えているのは、今も昔もこういう人なのかもしれないと思ったりした。

初めての中国旅行で、デモへの不安をアウェイにこぼしたとき、彼が言ってくれた言葉を思い出す。「政治のことはよくわかないけど、おれがハンドル握っている限り心配はいらないよ。君の爸爸は必ず守ってあげる」

小説現代五月号「思い出の映画」にエッセイを載せてもらいました!

本日4月22日発売の小説現代(講談社)、「思い出の映画」欄に、初エッセイとなる文章を載せてもらいました。

http://www.bookclub.kodansha.co.jp/books/bungei/gendai/

本欄は、2004年からはじまったリレーエッセイで、これまでの執筆者は、土屋賢二氏、南伸坊氏、綾辻行人氏、あさのあつこ氏、岸田今日子氏、万城目学氏、森見登見彦氏、田中慎弥氏、荒山徹氏、冲方丁氏など、ビッグネームが綺羅星のごとくずらり。はゆまのような駆け出し作家が、末席を汚していいものかどうか、面映ゆい限りです。

今回は、拙作「劉邦の宦官」を小説現代の編集者様が気に入って下さり、掲載の運びとなりました。

とりあげた映画は、あの日本を代表する名監督の、そのまた代表作について。はゆまの謎に満ちたペンネームの由来にも触れております。是非、お買い上げの上、御一読を!

あと一冊

amazonちょっとのぞいてみて感動。amazonさんそろそろ仕入れないとやばいですよ~~
劉邦の宦官後1冊_1

中国民話集

飯倉照平氏編訳の「中国民話集」読了。

面白かった。やっぱり民話はどの国のものでも好きだな。この本にも書いてあったけど、物語を聞くのは、人類の食欲・睡眠欲・性欲と並んで、原初的な欲求なんだと思う。部族の老若男女が、焚き火のまわりに集まって、その温もりに顔をこがしながら、話(嘘)の得意なものが、語るオハナシに耳を傾ける。

「善いことをするとどうなるの?」「悪いことをするとどうなるの?」「海はどうして青いの?」「空はどうして青いの?」「世界のうんと遠くに行くとどうなるの?」「世界はどうはじまったの?」「世界はどう終わるの?」「僕達どうしてここにいるの?」

様々な?に語り手は答える。想像力一つを武器にして。そして、この混乱して破綻に満ちた世界に、筋道だった秩序と理由、何より彩りを与える。はゆまの夜の職業の始原だ。

本著のなかの「海の水が塩からいわけ」なんかは、今の科学的知見からは、まさに荒唐無稽な話だろう。その蒙昧さを笑うのはたやすい。だが、そういった人も結局、いわばネットからのコピペ的な知識を持っているだけなのだ。今の大人は(ひょっとしたら子供も)本やネットの文章で単に読んだことと、本当の意味で知っていることの区別がついていない。はゆまは、岩に含まれる塩化ナトリウムが溶け出して云々の説明よりは、海の底で塩を吹き出す臼が回り続けているという話の方が好きだ。人間の心の奥底に届くのは、常にこういった話なのだと思う。

この本のなかで、一番気に入ったのは、「蛙の息子」ジブリ的リアリズムといえばいいのか、とにかくおじいさんとおばあさんの息子になった蛙の描写が変に生々しくて、おかしい。住処の水桶の板を赤や緑の綺麗な紙の端切れで飾ったり、草花をふちに差したり、そしてそれを褒められると、水の底にはにかんで潜ったりと、その仕草に萌えてしまった。そうなんだよなぁ、物語に生き生きとした臨場感を与え、読者を引き込まずにはいられない力の源になるのは、こういう細部なんだよね。見習わないと。

酒と女と昭和のススム

土曜日は結局、翌朝の五時まで飲んでしまった……付きあわせちゃった方々ごめんなさい。

こういうフィジカル頼みの飲み方もそろそろ改めないといけないな。

晩酌の習慣はなくて、飲まない日が一ヶ月続いても平気だけど、飲むときは翌朝日が昇るまで飲まないと気がすまない。この性格は、多分、特攻隊あがりで、村一番の酒飲みだった祖父ススムの血だと思う。

ススムはとにかく飲んだ。そして遊んだ。最愛の妻、つまりはゆまのお婆ちゃんははやくになくし、義理を通してずっと独り身だった。その代わり女遊びはしまくった。

いろんな意味で血の濃い人で、母なし子になった息子(はゆまの父)をあわれみ、友人たちのお母さんが集まる学校の参観日のことは特に気に病んでい た。

それでススムは「ヨシにさびしい思いはさせられん」と、参観日のたびに、その時つきあってる女の人を送り込んだ。それがあんまり変わるもんだから、父の友達は「ヨシんとこのお母さんは何人いるとけ?」と不思議がったらしい。戦中派の昭和の男の愛情は、ジャイアンの友情と同じくらい、 やっかいである。

それでも、男手ひとつで二人の子供を育て上げ、人間界から自然界へ突き立てられた、弓矢の鏃のそのまた先端といってもいいような、山奥の家を守りぬいたのは立派だと思う。ススムは森を開き、山の清水を家まで引き込み、稲を植え、茶畑を作り、里に降りてくる猿や鹿や猪は遠慮なくぶちのめした。盆に帰ってくる孫達がマムシに教われないように、泳ぎに行く川の川原の潅木と藪を二百メートルにわたって一人で引き抜き焼き払った。子供達は 水着の着替えやトイレする場所がなくなって困った。

深すぎる愛情が空回りして、周りには単なる迷惑で終わることも多かったが、はゆまにとってはよいおじいちゃんだった。修学旅行で知覧特攻平和会館に行ったとき、買ってきた黒砂糖のお土産を美味しい美味しいといって食べていた
姿を思い出す。「特攻隊基地」「孫」「お土産」というのは、スス ムにとって、ピンポイントでつぼにくるキーワードだったのだと思う。その後、わざわざ一人で鹿児島にその黒砂糖を買いに行ったが、食卓で何度も首をひねっていた。「はゆまと同じものを買ってきたはずなのに、これはちっとも美味しくない。どういうことじゃろ?」

酒と女と故郷、そして何より家族を愛しぬいたススムは、深酒のあとトイレで倒れ、そのままなくなるという上杉謙信のような死に方をした。はゆまが まだ中学生のときだった。

今だったら、黒砂糖なんて何ぼでも買ってあげられるし、何よりお酒もいつまでだってご一緒できるのになぁ。結局、詳細が分からぬままだった、ススムと特攻隊とのかかわりももっと突っ込んで聞いてみたかった。

ススムじいちゃん、あなたの孫は、あなたの意志をついで立派な飲んだ暮れになりました。お彼岸は無理だったけど、お盆は帰れると思うので、また一緒に飲みましょう。それまではゆっくり天国のお酒を楽しんでください。

やる夫が真田家に生まれたようです

勝手にエターと思ってた「やる夫が真田家に生まれたようです」が再開してた。

大好きな作品なのでかなり嬉しい。自分のペースであせらずに、最終回まで続けてほしいものだ。

最近、またやる夫歴史モノが元気になってきて喜んでいる。面白い作品がどんどん出てきて欲しいなぁ。

出版パーティ

土曜日は、デビューのお祝いということで、アップルシードエージェンシー代表鬼塚忠氏と、担当エージェントの方がわざわざ大阪に足を運んでくださった。 鬼塚氏は著作権エージェント会社の代表というだけでなく、ご自身も作家で、著作「カルテット」は剛力彩芽さん主演で映画にもなった。はゆまと同じ九州出身でエネルギッシュな人だ。近著「恋文賛歌」は宮崎弁と音韻の近い薩摩弁が懐かしく、主人公の老婆の秘められた恋の独白が自分のおばあちゃんのもののように心に響いた。是非読んでいただきたい。

会場はバーリズール。アップルシードエージェンシーの方の他、お師匠で芥川賞作家の玄月先生、同じく芥川賞作家の吉村萬壱先生、”ちょっとずつ、小さなしあわせを、ちょうどいいシンプルな言葉で”をコンセプトにした、コピーライター出身の作家吉井春樹先生、小説教室の皆様、そして親友達が駆けつけてくれた。実家から取り寄せた猪肉2キロと、カンパチ丸々一匹は多才な玄月先生が一人で、刺身やあら汁、ラフテー、などの美味しい料理に変えてくれた。皆から好評だったが、玄月先生は大変だったと思う。本当にお疲れ様でした。不器用な弟子ですみません。

贈り物ものもたくさん戴いた。『ハウス食品・世界名作劇場』でクリスマスを迎えた主人公の少女の部屋のようになってしまった。贈ってくださった皆様ありがとうございます。
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それにしても自分は幸せだなあと思う。つたない技量によるつたない文章が無事書店に出回るところまでこぎつけたのは、一重にご縁のおかげだったと思う。「去勢 された少年宦官の性愛」などという気の触れたような話を辛抱強く講評し激励してくださったお師様、小説教室の皆様。お釈迦様の雲の糸のように駄文を拾い上げてくれたアップルシードエージェンシ、双葉社の皆様。作品をブラッシュアップしていく過程ではBLがかった話でデビューするんだなどとのたまう呑んだ暮れの愚痴を辛抱強く聞いてくれたバーで出会い親友になった皆様。どれひとつかけても作品は世に出なかったと思う。

まだ、なにを成し遂げたわけでも、どこにたどり着いたわけでもないが、まずは作家というものの末席に座らせてもらうことが出来ました。すべて望外の縁と運のたまものだったと思います。本当にありがとうございました。これからも精進に精進を重ねていきますので、変わらぬ御支援のほどをどうぞよろしくお願い申し上げます。

MONTBLANC

仕事で数々の死地を共にくぐり抜けた人と寿司を食べに行った後、MONTBLANCのペンケースもらっちゃった。嬉し~~
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料理も美味しかったなぁ。太刀魚とシマアジの造り、なまこ酢、ほたるイカ、鰯、数の子、日本酒熱燗。色んな刺激ももらったし、幸せやった。

誠の太閤立志伝

新・やる夫の関が原戦線異常アリの人の新作が出てた。

「誠の太閤立志伝」

やっぱりうまいなぁ。

結構情報量が多いのだけど、コマ割りのバランスがめちゃくちゃにうまい。頭に無理なくすっと入ってくるのだ。こういうのは見習わなきゃな。

やる夫関が原のときは、関が原偶発事件説、家康忠臣説、小早川秀秋再評価など、今までと違った史観で楽しませてくれた。今回はどんな切り口を見せてくれるんだろうか。週末が待ち遠しくてならない。

新型鳥インフル(H7N9型)と香港の思い出

中国で新型鳥インフル(H7N9型)が発生したらしい。

こういったニュースが大陸から届くたびに思い出すことがある。

それは、4年前の2009年、逆に日本の方で新型インフルがはやってたときだ。

はゆまは、プライベートライアンでたとえると一番最初に撃たれる役として香港の支社に乗り込んでいた。

プロジェクトは香港支社の業務改革。ぶっちゃけ現地スタッフからは嫌がられており、さらには現場のオペレーションを取り仕切っていた女帝からはほとんど憎悪されていた。女帝はジャッキーチェンの映画に出てくる女上司のような風貌をしていて、いつも呂后が戚婦人を見るような目つきでこちらをにらんでいた。

で、そのとき運悪く同行してた先輩が風邪気味。咳がとまらない。プロジェクトをつぶしたくて仕方ない女帝はこれに飛びついた。「新型インフルの可能性があるから」といって、当局に通報されたのだ。

すると、バイオハザードで出てきそうな重装備の特殊部隊が支社になだれ込み、あっという間に先輩は現金輸送車みたいな車に乗せて連れて行かれた。

ここから先は先輩の体験談になるが、先輩が連れて行かれた先はクイーンエリザベス病院という名前だけは豪華客船みたいなところ。ここで先輩は、羊達の沈黙で、ジョディ・フォスターが体験したような恐怖を次々に味わうことになるのである。

まず服をむかれ全身裸にされたあと、理科の実験のかえるのように表にされたり、裏にされたり、さらには床も洗えるんじゅないかという毛の硬いモップで、体中をごしごし。親にも見せたことのないような場所もごしごしごしごし。

ピーラーで皮をすっかりむかれたようになったあとは、何かすっぱい臭いのする縞々のパジャマを着させられ、ハンニバルレクタークラスが入れられそうな、病室というより牢獄みたいなところに閉じ込められた。鉄格子がついてて、トイレも外から丸見えの場所である。向かいには、明らかに頭のねじ がふっとんだ人がいて、一日中、空想のオーケストラに向かって、タクトをふり続けていたそうだ……先輩は、そんな場所に一昼夜監禁された。

幸い、新型ウィルスは発見されず、翌日先輩は解放されたが、謝罪の言葉なんて一切なし。「手間取らせやがって、馬鹿やろう」といった感じで、病院から着のみ着のままたたき出された。さらに財布・携帯といった携行品は「消毒してから帰してやる。まったく手間取らせやがって、馬鹿やろう」と、取り上げられたまま。仕方なく先輩は、いろんな意味で「汚れちゃった」体と心を抱えて、とぼとぼとぼとぼホテルまでの長い道のりを、歩いて帰ったのだった。

とまぁ、別にこれだけが理由じゃなく、その後も、泉ピン子だって憤死するという意地悪を女帝からチクチクやられ続けたせいもあって、香港プロジェクトはぽしゃってしまった。プライベートライアンでたとえると、海際で撃たれ放題されたあげく、ノルマンディーに上陸できませんでした。

今回の新型インフル発見で思うのは、香港という中国と比べたら、まだ人権意識も高く、なんだかんだいって気を使ってる日本人相手にこんだけのこと をするのである。内地でしかも同国人の感染者相手に中国政府当局はどんな調査をやっているのだろうか。手荒なことをやってなければいいが……かなり心配である。

作家になるには

尊敬している友人から電話があった。

「どないよ~作家になってから生活変わった?」

変わりません。何一つ変わってません。

相変わらずタイの工場からは夜泣きの電話がかかってくるし、海外行きたくないって言ってるのにマレーシア出張行かされそうだし、ブーチンは朝夕きっちり二回フンをする。

カルモチン飲み過ぎて曖昧な不安とか口走ることもなければ、芸者に玉川上水に引きずり込まれることもなさそうだし、4歳のときにジャングルジムから落ちたときの傷がコンプレックスで女性に積極的になれない山本卓也(22)君に「ソープにいけー」と絶叫したりもしない。

作家らしいことは何一つやってません。

とはいえ、プロデビューしてから一ヶ月以上たったことだし、作家(自分の書いたものに世間が金を払ってくれる)になるには、どんな方法があるか、自分なりにまとめてみた。

1)出版社系の新人賞
(地方自治体がやるやつは駄目。デビューできません)

2)自費出版

3)持込み

4)著作権エージェント

5)電子書籍

現状だと、この5つくらいだろう。1)~4)は、入り口はどうあれ出版社から取次を経て、本屋に物が並ぶという点については同じだ。

一番オーソドックスなのは1)だろうが、狭き門だし、新人賞ごとの相性がある。つまりじゃんけんみたいなものでどんなに最高のチョキを出しても、むこうがグーだったら絶対落ちるのだ。そのため、第一選考で落ちた作品が、同人誌に出したら芥川賞にてなことも起きうるし起きてきた。落ちても気にしないでいい。でも、通ったらあとは一番楽だと思う。箔がつくし、編集者さんもリスクをとりやすい。まずはここを目指すのが一番いいんじゃないかな。

2)は軽んじられがちだが、たとえば内田康夫さんや、さおだけ屋の山田真哉さんはこのコースから作家デビューしている。出版後の営業は大変だろうが、そう馬鹿にしたもんでもない。自分で本屋めぐりする根性があり、営業トークに自信ありならやってみる価値はある。

3)は漫画と違い、ほとんど門前払いなのが現状。まぁ、作家になりたい人なんていくらでもいるしいちいちまともにとりあってもいられないもんね。社長の娘婿とか、女社長の若ツバメとか強力なコネがあるなら別だが、そうでないならまず無理と思ってもらってよいと思う。

4)はゆまはこのルートから。欧米では一般的だけど、まだ日本ではそんなにメジャーじゃない著作権エージェントという会社だが、2013年現在、はゆまの所属するアップルシードエージェンシーさんはじめ数社存在する。お金はかかるが、応募したら確実にエージェントさんに読んでもらえるという点は心強い。その後のケア・フォローも手厚いしね。はゆま的には一番おすすめのルートだ。

最後は一番簡単な5)。なにせアップしたらいいんだから。だが、たとえばブクログのパブーだと作品数は三万点ある。どうやってぬきんでたらいいだろうか。少なくともはゆまにはプロモーションの方法が思いつかない。今後本は電子書籍に完全に移行していくという話もあるが、たぶんそうはならないと思う。大体OA化が叫ばれていた時、オフィスはペーパーレスになるといわれたが、ちっともそうはならなず、相変わらず職場には紙があふれたままだ。新しいメディアと古いメディアは相互補完的な関係のまま、共存していくと思う。

何にせよ、結局はご縁だと思う。その作品に思い入れがあって、絶対に世に出すべきと思うなら一の矢であきらめず、二の矢、三の矢とどんどん放っていくべきだ。そうすれば、その作品に本当に力があれば縁を自分で手繰り寄せて、勝手に市場に出て行く。

とまぁ色々言ったけど、はゆまも駆け出しなんで、話半分に参考にしてください。皆様ご健筆を。

花見

金曜は、気の置けない仲間と長居公園に花見へ。
いつも参加する若手が欠席のため、ちょっとアダルティな雰囲気。
ライトアップされた競技場前の満開の桜も艶やかでアダルティ。

話題は珍しく発散せず、小説談義中心。何だかトキワ荘みたいな雰囲気だった。

二時間ほど桜を楽しんだ後、我が家に戻って、また飲みを続ける。0時きっかりに、皆ゼンマイが切れたようにパタパタと倒れたが、三時きっかりに全員復活し、オールドパーやら、スパークリングワインやら、北海道土産の日本酒やらをちゃんぽんで飲みまくる。

結局、お開きになったのはもう日も高い朝八時。全員酒は強いからしゃんとしてるのが凄い。

皆帰った後、飲み会の乱れが残る部屋では、ブーチンがご立腹気味だった。御機嫌伺いにトイレの砂を変えてやると、ちょっと鼻を鳴らしたあと、早速おしっこしてた。君もコンパニオン大変だったね。お疲れ様

ロングロングケーキ

大島弓子、ロングロングケーキ読了。

1986年から1988年までの中短編を集めた文庫だが、表現者としてのピークはやや過ぎた感がある。やはり彼女の全盛期は、いちご物語の 1975年から、1977年のバナナブレッドのプディングを経て、綿の国星の連載の終わる1987年ころまでなのだろう。

1980年後半といえばバブル絶頂、浮ついた世相に、もう彼女の感性はついていけなかったのかもしれない。大島弓子作品のひとつの典型は、シャーマン、巫女的な資質を持った主人公(男女どちらの場合もあり)が、突拍子もない言動を繰り返し、自分も周囲も傷つけ、ついに混乱が極に達し、破綻が生じると思われる間際、奇跡のような偶然によって救われ、世界からやさしく受け入れられるというものだ。そして、家族や友人は、このいわば異常者である主人公を、救済の奇跡が起きるまで、辛抱強く支援し、見守り続ける。

が、このロングケーキでは、多くの場合、巫女的な主人公達は皆、世界から迎え入れられることなく、放逐される。「終わらないケーキ」のコタは精神病院に、「山羊の羊の駱駝」の雪子は北国に托鉢に、といったふうに。そして、周囲の家族や友人も、「山羊の羊の駱駝」の駱駝では顕著なように、最初から主人公の言動に対し無理解で冷淡である。

この無理解と冷淡は、当時の世相に対し、大島弓子自身が感じていた違和感そのものなのだろう。、「山羊の羊の駱駝」の少女達がデパートの最上階のレストランでディナーパーティを行う際の、あまりといえばあまりな現実味のない描写から、彼女が当時のバブル経済や少女達の生活をまったく分かっていなかったことが分かる。もはや、甘く、湯気のたゆたうバナナブレッドのプディングで絆を確かめあう時代は終わり、ロマンの果てにあった性愛は日常の通貨にまで堕した。このとき、確かに大島弓子が表現者として先頭をきっていた時代は終わったのである。

そして、代わりに岡崎京子という天才があらわれ、甘くやさしいバナナブレッドのプディングの代わりに、河原で転がる腐敗した浮浪者の死体で、少女達が絆を確かめ合う時代がはじまるのである。

参考文献:戦後民主主義と少女漫画

頑張った自分への

ご褒美。

前から欲しかったHERZのバッグをお買い~

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本も色々買った。漫画やら小説やら辞典やら、とにかく気になるものは手当たり次第。

とりあえず読み切ったものの簡単な感想を。

◆クロ號

「猫なんか呼んでも来ない」の作者の作品。デビュー作ということだが、絵はもうこの時点でほとんど完成している。のんきなようでシビアな猫の世界を可愛らしい絵柄で表現。個人的には、「猫なんか呼んでも来ない」でもあった、ちん子の避妊手術後の描写が切なかった。シンプルな塗りで表現されたちん子の底の抜けたような瞳は重く悲しい。性愛を取り上げられたら猫だってやっぱり辛いよね。

◆ベルセルク37巻

はぁ。本編の話は相変わらず進まない。外伝的に急に出てきた黄金時代前の話は「今、必要か?」っていう感じ。絵の情報量はどんどん増えていくのに、それに反比例して話自体は薄くなっているような気がする。本当に最終回まで辿りつけるのかな……
三国志連載小説
花武担 花武担
プロフィール

黒澤はゆま

Author:黒澤はゆま
歴史小説家。はゆまは古語で「早馬」「報せ」の意味。小説のことや歴史のこと、また日々の徒然のことを、「報せ」ていこうと思います。三国志を舞台にした小説「花武担」連載中。

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